2013年12月18日

市民憲章の推進

全国の多くの市では「市民憲章」が制定されている。
市制の周年事業の一つとして制定されたところも少なくないという。
我が瀬戸市も市制50周年の時に定められた。

そのこと自体特に問題ではない。
しかし、市民憲章制定後の活動という事になると各市千差万別のようである。

聞くところによれば、「市民憲章推進協議会」なる組織が各所にあり、その全国組織(連絡協議会)もある。
そのほとんどが「行政組織内に推進事務局」をもち、自治体経営との整合をはかりながら憲章の推進運動を行なっているようだ。

瀬戸市では100%民間でこの推進組織を立ち上げた。
とても大きなことだが、その勇気に敬意を表し、できる限りの応援をしようと思っている。

とは言っても、具体的に「何をするのか」が、まだハッキリしていない。
当面は志を同じにする「同志」を集める事になるが、その過程において「活動目標や計画」を策定する事になろう。

外部に広報しての最初の会合が昨晩開かれた。
集まったのは全部で10人。

いろいろな意見交換をしようと考えていたが、食べながら、飲みながらだと4〜5人がいいと感じた。
昨晩の10人だと、一人の発言に9人全員が注目するのは難しく、隣同士などで異なる話が始まってしまうのだ。

食べながら、というのはいけないわけではないが、少し工夫が必要のようだ。

でも、回を重ねればかなり面白いものがアウトプットできそうである。
とにかく第一歩を踏み出した。

posted by 伊藤保徳 at 15:05| Comment(0) | 社会貢献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月16日

平和主義って?

最近のマスコミの論調は、「反政府」的である。

原発問題、特別秘密法問題など、多くのマスコミは政府意向に対する「反対大合唱」である。

反対は反対で認める事は大切だが、マスコミの報道により、そのことだけを信じてエスカレートする人もでてきており、これは問題である。
マスコミは、自身としての「思想」を出すのではなく、事実もとづく公平な報道が望まれる。

原発や秘密法など、「国民のほとんどが反対」という報道だが、本当にそうなのか疑問が残る。
むしろマスコミが必要以上に騒いでいるという感すらする。

それは、賛成派の意見や、そもそもそのことの根本の紹介が殆んどないからである。
仮に賛成が少数としても、尊重してしかるべきである。

その「そもそも」というのに「平和主義」というものがある。
「平和、平和」と叫んでいれば正義だと思っている人もいる。
これから議論されるであろう、集団的自衛権の行使とか、憲法の改正などで「平和主義」という言葉が必ずでてくるだろう。

これを考える上で参考になる意見が新聞にあった。
産経新聞11月26日号、「世界のかたち 日本のかたち」欄で、大阪大、坂元一哉教授が意見を述べていた。
『平和主義、見直すべき時』というものだ。

《憲法が成立した当初、憲法の平和主義といえば、日本が軍事力を持たないことを意味していた。》
それはそれで正しい。
《だが、いまの日本は、毎年5兆円弱の予算を使用する世界有数の軍事組織を持つ国家なのである。
憲法の平和主義が現在も守られているとしたら、それは軍事力を持たないことではなく、持っていいる軍事力の使用にきわめて抑制的な態度をとっていることをいうのだろう。》

氏は、軍事力の使用抑制に理解を示しながらも、日本の現状に疑問を呈している。
つまり・・・
《いまのように、個別的自衛権の行使はできるが、集団的自衛権の行使はだめ、という抑制のあり方はどうだろうか。
安全保障の現実から見ても、また憲法の理想からいっても、かなり問題があると思う。》

要するに軍事力をもている日本が、それを行使する場面を自国の都合だけで決めていいのか、ということだ。

やはり、「平和主義」の解釈を憲法にはっきりと明示すべきだし、国際社会の一員としての日本国の責務も十分認識すべきである。

こうした基本的な議論をオープンに進めてもらいたいものだ。
このプロセスを広く国民に知らせることにより、コンセンサスは得られるものである。

マスコミは、その役割の一端を担うべきである。

posted by 伊藤保徳 at 08:17| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月15日

挨拶のレジュメ

昨日、小牧市倫理法人会のモーニングセミナー300回記念に出席した。

80名という参加で、成功裡に終えられたが一つ感心したことがある。
それは毎回行なわれる「会長挨拶」にレジュメが用意され、出席者全員に配られたことである。

配られたレジュメには、55の番号があり、このことが継続されていることを知った。

倫理法人会の会長は、モーニングセミナー開催の折には必ずセットされているものであり、毎月4回年合計48回挨拶をする事になる。
小牧市の会長は2年目であり、9月からの新年度で昨日で14回目となるはずである。

会長就任の第1回目からではないものの、かなり早い時期から「会長挨拶のレジュメ」を作り配布されてるようだ。

5分程度の時間だが、会長としての責務を果たすために会員に対して「学びの姿勢」を示しているといえよう。
自分の思いや価値観を伝えるのに、時間の長さはさほど問題にならない。
5分もあれば十分といえる。

毎週1回、1年以上も続けられれば大きな効果が得られていると思う。
一方で、会長は素晴らしい勉強をされてきたと思う。
毎週、ほとんど同じメンバーに違った話をするということは大変なことだ。

昨日のレジュメは、「安藤百福から学ぶ A」だった。
安藤氏は日清食品の創業者であるが、発明家としても有名だ。

安藤氏を紹介した書物を参考に、その生き方や考え方をなどを紹介された。
ただ単に、書かれていることを紹介するのではなく、「倫理での学び」に投影し、そこから我々が学ぶべきものは何かを示してもらった。
安藤氏は、とにもかくにも「気づいたらすぐやる」という姿勢の持ち主であったようだ。

純粋倫理では『即行即止』という言葉がある。
つまり、「気づいたらすぐ行う、それが最もタイミングのいい時だ。また、いけないと思ったらすぐに止めることが肝要。」と説いている。

安藤氏はそんな人だったようだ。

これが会長挨拶の概要である。

聞いてる我々も勉強になった。
法人会での会長挨拶にレジュメを作り配布している例は聞かない。

posted by 伊藤保徳 at 10:18| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

記憶保持能力

今朝、久しぶりに小牧市倫理法人会のモーニングセミナーに出席した。

今日が記念すべき300回目のセミナーであるということ、知人がチラシを持って瀬戸までPRに来たこと、そして講師に興味があったことで出かけた。

300回記念ということで、普段より広い会場が用意されていたが80名満席であった。

さてお目当ての講師だが、チラシに寄れば「驚異の記憶保持能力を手に入れて学力・ビジネス向上」、「自らの能力に目覚め、感動する人が続出」などの文字が並び、興味津々であった。

いきなり度肝を抜かれた。
まずはメモ用紙に1〜20までの番号をふり、出席者からランダムに単語を書き並べた。
講師は勿論メモなどしていなかった。

20個単語が出揃ったところで、改めて、1番から20番まで「単語」を確認した。

たったそれだけで、20の単語が頭に入ったというのである。
検証だが、1番から順番でも、20番から逆でも、会場からランダムに番号を言っても「全て合致」したのである。

こんなパフォーマンスを見せられると「セミナー「にでたくなるものだ。
うまい営業である。

時間の都合もあり、このような記憶保持力を会得するメソッドまでは披露されなかったが、脳の使い方としていくつか勉強になった。

いままで感覚的にポジティブな言葉を使おうと思っていたが、これが記憶に大きく影響していることがわかった。
ポジティブとは前向きで、将来を見据えた言葉である。
つまり、過去の記憶(情報)を断ち切り、将来を展望している。
この将来の展望は、あたかも実現できできるかのごとく「今、ワクワクする」のである。

そのワクワク感や感動こそが「記憶」に残るというのである。

脳の中心にある「海馬」は情報の入り口と言える。
問題はそのすぐとなりにある感情を司る扁桃帯(へんとうたい・漢字が間違っているかもしれない)の働きこそが重要だという。

つまり、記憶というのは、「感動」とか「ワクワク感」が伴なっていないとできないものだそうだ。
確かにそうである。
ボーッと見ているテレビはほとんど頭に残らないもんだ。

なるほどと思った。

そもそも「脳の老い」とは、脳そのものが機能的に老いる事ではなく、「感情」や「感応」が劣化して脳が働かない状況を言うそうだ。
感覚的に共感できる話しであった。

朝早くでかけた甲斐のあったセミナーだった。

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2013年12月11日

活路を見出す

月刊誌「致知」12月号の特集は「活路を見出す」だった。

この特集テーマは、毎月1回担当している倫理法人会の講話テーマでもある。

今朝の瀬戸・旭倫理法人会ではこのテーマで話をした。
その中で、最も強調した点は、我が国の活路を見出すにはどうするか、ということであった。
それは現状の日本を憂いてのことだ。

特集記事の中で特に紹介したかったのは、田久保忠衛氏(外交評論家)と月尾嘉男氏(東大名誉教授)との対談記事であった。

その中に、田久保氏の「振り子を真ん中に戻す」という話は印象的だった。
「振り子を真ん中に戻す」とは、敗戦によって連合国によって大きく触れた振り子を真ん中まで戻すということ。
それは、戦前のそれに戻すというのではなく、日本国の原点に戻るということである。

建国から今日まで、長期永続の国家としての価値観や伝統文化を継承するということにもなろう。

こういう議論が今までなさすぎた。
こうした議論を経レバ、憲法改正は必然事項となるだろう。

日本という国を定義し、今後どうするのかという方向付けをすべきであり、そこから全てのことが発想されなくてはならない。

日本の姿を明らかにし、国民の大多数が共有すべきである。

これが、日本が活路を見出す第一歩だといえよう。

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2013年12月10日

活路を見出す

「活路を見出す」とは、月刊誌『致知』12月号の特集テーマである。

記事を読みながら、「活路を見出すには?」と考えてみた。
いろいろな方法がありそうだが、遡って考えてみると、概ね二つの方法があると思う。

一つは、「原点に立ち戻る」こと。
原点から考え、行くべき道(つまり活路)を見出すこと。

もう一つは、目の前にあることを懸命に行なうこと。
自身の取り組んでいることが正しいと信じ、やってやってやりぬくことである。

なにか障害にぶつかった時、このどちらかの方法で「現状打破」をしているようだ。

特集の中で、日本の現状を憂い、百年の大計を持って「活路を見出そう」という対談記事があった。
外交評論家の田久保忠衛氏と東大名誉教授の月尾嘉男氏である。

日本の活路を見出すとすれば、まずは「原点に立ち戻ること」であろう。
建国や今日まで正しく見つめなおした時、今我が国日本がどんな使命感を持ち、どう舵を取り活路を見出すかが自ずとわかるのではなかろうか。

一つは憲法であろう。

かの大戦で敗れ、米国からのおしきせの憲法を守ろうとしている。
あたかも日本の起源が敗戦の1945年にあるような発想である。

つまり、あの敗戦以前の歴史を全て否定しているのである。
そうではない。

キチンと歴史を見つめ、冷静にその流れを見た時、自ずと次代への道が開けてくるように思う。

12月号の特集「活路を見出す」で、いろいろ勉強させてもらった。

posted by 伊藤保徳 at 08:40| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月09日

社説を考える

11月30日の中日新聞「社説」で、道徳の教科化や教科書検定に関する批判が述べられた。

新聞各紙の記事は、その取り上げ方や記事の構成などにおいて各紙の「個性」が出るのは当然である。
「社説」ならば、それが一層色濃くなると思う。
そういう点から、社説は注目している。

こういう前提で読んでいるが、11月30日の「社説」は些か偏りすぎである。

道徳の教科化に「真っ向からの反対」である。

それも一つに意見だとすれば、「対案」を示さなければ議論にならない。
つまり、対案がなければ「反対のための反対」という、どこかの政党と同じである。

道徳について所見が述べられている。
《道徳とは更に幅広く人格や価値観の形成といった内面に深く関わる領域だ。
学校生活に限らず、地域や家庭でのさまざまな体験や人間関係を踏み台に、子どもが手探りで心の肥やしとしていくものだろう。》

一見その通りである。
しかしそれは、家庭や地域での大人たちが「人格的に模範」であることが前提であるが、現実的には「無関心」「個人主義」が横行し、とても子ども達が学ぶ環境にない。
だからこその教科化である。

また、教科書検定の問題で、《明治天皇の教育勅語が軍国主義の支柱にされた過去の教訓を忘れず、警戒したい。》と結んでいるが、これもまた極めて偏った意見である。

「教育勅語」が「軍国主義の支柱」という決め付けも極端だ。

過去の教訓というのは、そこから何を学ぶかということであり、安直に「やめてしまう」事ではない。

日本のことを思い、次代を担う子ども達に今教えるべきことは何なのか。
国民一人ひとりが真剣に考えなくてはならない問題だ。

そうした問題提起をするのも「社説」に求められている一つではなかろうか。

posted by 伊藤保徳 at 07:04| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月08日

大物政治家

先週名古屋にて、時事通信社解説委員の田崎史郎氏の講演を聞く機会があった。
氏は最近よくテレビにも出ておられるが、あの口調での90分であった。

はじめに、政治家の人となりについての説明があった。
つまり、政治は人間の営みであり、政治家の人間的な面をよく見ておく必要があり、その代表的な人物として故田中角栄氏をあげていた。

持ち前の決断力と実行力を遺憾なく発揮した政治家であり、「今太閤」として有名であった。
一方で、「金権政治」とか「派閥政治」という評価もあり、いまだ評価が分かれる所である。

私自身も興味があったが、偶然にも産経新聞で3回に亘っての記事があった。
11月30日からの連続3回であった。

タイトルは「角栄の流儀・田中元首相没後20年」というものだ。
「亡くなってもう20年も経つのか・・・」と言うのが率直な思いである。

田中角栄氏の政治手法は賛否両論あるようだが、やはり印象なことは、「情」についてである。
「人の心をつかむすべは天才的」、というのは周りの一致した評価のようだ。

象徴的なエピソードが紹介されていた。
《田中の指導内容は細やかだった。

集会では、『「私なんか手を握ってもらえない』と思っている隅っこのおばあちゃんとだけ握手しろ。

訃報があれば「初七日にも花をだせ」とも。
「葬儀は慌しくて親族は悲しさがわからない。皆がいなくなって『ああ、お父ちゃんが死んだんだ』と実感する。花はそのときに出すんだ。》

現、自民党幹事長の石破氏にも「情」についてのエピソードがある。
《石破は58年9月に結婚した。
仲人を頼みに行くと、田中は即座に言った。

「何を言うんだ。お前にはおやじがいないじゃないか。オレはおまえの親代わりとして、お袋さんの横に立ってやりたいんだ」

田中は式に「父親」として出席し、びょうぶの前で石破の母と一人一人出迎えた」》

なかなか出来る事ではない。

「決断と実行の人田中角栄」は、平成5年12月16日、75歳の生涯を閉じた。

いまだに、「この事態、田中角栄だったらどうするか?」という事がささやかれるようだ。
評価は分かれる所だが、政界の歴史に名を残した大物政治家には違いない。

posted by 伊藤保徳 at 10:34| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月03日

インドとの交流

天皇皇后両陛下がインドを訪問されています。
各地で大変な歓迎を受けておられます。

インドと日本は古くから交流があるようですが、あまり知られていないようだ。
私もその一人だったが、東京裁判のことを勉強するうちにパール判事のことを知り、また、9月に靖国神社にお参りした時、そのパール判事の記念碑を拝見し認識を新たにした。

この事を端的に表したのが12月2日の『産経抄』であった。(産経新聞一面)

パール判事とは、あの東京裁判のインド代表判事の一人で、「日本人被告全員の無罪を主張」したことで知られている。
そして、裁判後の昭和27年にも来日されていて、日本の教科書を見て嘆かれたそうだ。
そこには、「日本は侵略瀬印層を行なった」と書かれていたからである。

つまり、史実がゆがめられ、子供たちに間違った教育がなされていたということだ。

そして「産経抄」では・・・
《パール博士だけではない。悪阻荒く戦前からの日本の歴史を日本人以上に正当に評価し、好意を寄せてくれたのはインドの人々だ。》とまで述べている。

われわれは、もっと日本の歴史を正しく知るべきだ。
そして、次代を担う子ども経ちに「国史」としてキチンと教える責務がある。

あらゆる機会を通じで、正しい歴史認識を伝えたいとおもっている。
そのために、更に学ぼうと思っている。

posted by 伊藤保徳 at 09:16| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月02日

成績の公表

いわゆる「学力テスト」の結果を公表することを文部科学省が認め、学校別の成績公表は市町村の教育委員会に委ねられた。

この方針に反対の姿勢で紙面と作っているのが中日新聞だ。
もう、40年くらい購読している中日新聞であり、産経新聞の購読を始める前までは、それが(中日新聞の記事)が世の中の一般論だと思っていた。

しかし、「ちょっと違うなあ・・・」と感じる記事が少なくない事に気がつき始めた。

その一つが「学力テストの成績公表」に関する記事である。

全体の論調は「公表は絶対駄目、その昔学力テストを止めたということが教訓になっていない。」という感じである。
勿論賛成派の意見も掲載しているが、圧倒的に「反対」というスタンスだ。

「公表反対」の理由が、「競争をあおる」というだけでは説得力に乏しい。
その競争による悪影響も縷々述べられているが、「本当か?」という疑問がある。

こんな風に考えると、「そこまで反対する人たち」というのは誰?ということになり、それは「日教組」だと想像するに難しくはない。

日本の現状を見た時、右肩上がりの経済第一主義からの転換が求められている。
しかし、なかなか転換できず、ここ20数年を経過してしまった。

反省をしてみると、やはり「教育」に多くの問題があるということで、今、教育改革に取り組み始めたところだ。
こうした、日本の状況変化の中での「方針転換」であり、そのことをマスコミは正確に捉えなければならないと思う。
さすれば、その昔学力テストが廃止になったことや、今回の成績公表についてももっと違う捉え方があってしかるべきだと思う。

因みに、一般的にいわれる「学力テスト」だが、正式には「全国学力・学習状況調査」といい、公表はテストの結果だけではないのである。

「学習状況」は、テスト結果の「要因・要素」であり、今後の教育指導にとても役立つものだと思う。
私は「公表賛成」であり、学力が少しでも上がって欲しいと願っている。

「子供は学校へ行くことが仕事」「勉強するのが仕事」
昔、私の祖父母はそういっていました。

学童、学生の本分を考えた施策を期待したい。

posted by 伊藤保徳 at 08:45| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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