2013年11月21日

心のノート

第二次安倍内閣がスタートして間もなく一年である。
最優先で取り組んだのが経済対策であり、それなりの効果が出たという評価である。

人は、先行きに明るさが見えると一気に元気になるものだ。
そんなことを感じている。

さて、経済対策も重要だが、それに勝るとも劣らないのが教育改革である。
やはり、資源のない国日本にとって「人材こそ宝」と考えることが大切で、特に子どもの頃からの教育は重要である。

戦後教育は「日教組」によって、戦前教育の徹底した否定であった。
軍国主義などへの誘導という教育のあったが、大切にしなければならないことも数多くあった。
その一つが「道徳教育」である。

最近になり、教育改革に関することが新聞にも載るようになった。それが「道徳の教科化」である。
いろいろな議論があったようだが、一日も早く復活すべき「教科」だと思っている。

下村文科大臣がある会合で、「倫理道徳という言葉に抵抗を感じるなら、人間学といってもいいのではないか・・・」と発言されたと聞く。
その通りだと思う。

道徳の授業に数年後からは検定教科書を使用するとのことだ。
しかし当面は「心のノート」を使用するという。

1週間くらい前の新聞に、改訂版「心のノート」の掲載例が載っていたが、まさに人間学を学ぶための資料だと感じた。

例えば、小学校1、2年では・・・
「二宮金次郎」・・・勉強や仕事はしっかりと行なう
「武者小路実篤」・・よいことと悪いことの区別
「やなせたかし」・・生命を大切にする心

3、4年生では・・・
「澤 穂希」・・・・粘り強くやり遂げる
「手塚治虫」・・・・自分の特徴、よい所をのばす
「宮沢賢治」・・・・自然や動植物をたいせつに

などである。
つまり、歴史に名を残した人たちの「生き方」をしり、子供たち自身で「目指すこと(人)」を見つけることであり、それに向って努力を始めるきっかけにする。
これこそ人間学の学びである。

こういう教育が学校で行なわれるということになると、教師に求められることが変わってくる。
全てを教師に求めるのは難しいであろうから、積極的に地域の人材を活用すべきであろう。

開かれた学校。
地域ぐるみでの人づくり。
教育改革の目指す姿である。


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2013年11月18日

教育市民フォーラム

瀬戸市の教育が新しい世界に踏み出した。

「やっと」、という感もするが進むべき方向への舵取りができたと思う。

今から10年以上前、平成13年10月に瀬戸市教育委員会から「瀬戸の教育を創造する市民会議」に対し教育ビジョン策定の諮問があった。
私は市民会議委員の一人であった。

約1年半にわたっての検討結果を教育委員会に答申したのが平成13年3月27日だった。

瀬戸市の教育理念は・・・
・すべての子供たちが瀬戸で学んでよかった。
・すべての親達が我が子を瀬戸で育ててよかった。
・すべての市民が瀬戸で生きてよかった。
と思えるような教育の創造と展開をする・・・というもので、これが答申のベースにあることは言うまでもない。

その後教育委員会では、答申を踏まえ具体的な実施計画に落とし込み、これをアクションプランとした。

その中に、「瀬戸市にふさわしい教育を推進するための取り組み」というのがあり、5項目掲げられている。
1、地域ぐるみの子育て
2、豊かな体験活動と交流
3、社会を担う市民の育成
4、環境を重視したまちづくり
5、学校経営の充実

こうした取り組みが行なわれてきたが、従来と一番大きな変化が『まるっとせとっ子フェスタ』の開催である。
従来、子ども達の活動成果は夫々の学校毎に、発表会や展覧会などが開催されていた。
それを、瀬戸市内全ての小中学校(特別養護学校も含む)が同じ会場で成果発表をするというものだ。

今年は11月14日から17日までの4日間を使っての大発表会であった。

そして、最後に行なわれるのが「瀬戸の教育市民フォーラム」である。
ここでは、地域での人材育成に尽力された方々への感謝状贈呈、子ども達が夏休みを使いいろいろなことに挑戦する「キミチャレ」の成果発表、そして講演会という内容だ。

アクションプランに示されている、「地域ぐるみの子育て」の実践なのである。

全体的な方向性は定まった。
これからは、個別の施策を充実させていくことになる。

広く市民に知らせ、理解を深めてもらい「支援者・協力者」として子育て、人材育成に参画してもらうように、限りない努力が必要であろう。

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2013年11月17日

大学院寄附講座

名古屋学院大学大学院で5年前から「寄附講座」を行なっている。
大学院の授業の中に、企業などからの寄付によって用意される講座のことである。
自由度は高いが、教授会での審査を経て講座が設けられている。

河村電器の寄附講座は、専ら自社の経営活動を中心に、実学的な授業を行なっている。
それは、社会人大学院であり、現実に立脚した講座であるべきであり、ならば、資金の提供による講座ではなく、自社の上級管理者が講義を担当することで「現在の事情」を伝えているからである。

講座名は、「経営システム研究」である。

一面、「企業研究」といった所もあるが、自社の実態と理論との比較の中で、「あるべき姿」を研究するのである。

土曜日の午後に二コマ、連続8週の講義である。

今年は、私が第一回目と最終回を担当。
各論を二人の執行役員が担当し、昨日が最終回であった。

受講登録をした院生は7名。
8回欠席もなく終了した。
残るは評価のみで、来月中旬までに報告を求められている。

来年以降の開催も要請されているが、講師を担当する役員とよく相談して決めたいと思っている。

1回に二コマ、合計3時間の講義を8週間行なうのは大変である。
しかしとても勉強になることも事実である。

願わくば続けていきたいが・・・。

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2013年11月08日

道徳の教科化

昨日の中日新聞に、「道徳 教科化提言へ」という記事があった。

道徳教育の充実策を検討している文部科学省の有識者会議では、現在正式科目ではない小中学校の「道徳の時間」を強化に格上げし、検定教科書を使うべきだとする提言をまとめたという。

ずいぶん時間がかかっているが、それだけにむつかしい問題だ。

教科化すれば、評価が必要だし、指導内容の均質性を確保するために教科書が必要になる。

この二つが「道徳教育の教科化」を阻んできたといってよい。

今回の提言で、検定教科書を使うということ。
そして評価については、一般科目のように5段階の数値評価はせず、記述式にし、子供の取り組み状況を評価する方法のようだ。

評価方法は「取り組み状況」の評価というのは良いと思う。
つまり、学校生活で周りの人たちに、どう接しようとしてるか、集団の中でどんな役割を担おうとしているかを評価する、というイメージだ。
問題は教科書であろう。

記事を読みながら思ったことがある。
それは、過日、下村文部科学大臣の発言に関係している。

大臣は、「道徳教育という言い方が問題なら、いっそ人間学と言ったらいい。」と発言されている。

この際、道徳教育の教科化は、「人間学」といったらいいと思う。

企業において人材を育成する場合、「人間学」と「時務学」とのバランスに留意してきた。
むしろ、「人間学」を優先してきたと言えよう。

人間学とは、先人の言動を通して倫理道徳を学ぶことであり、時務学というのは、仕事をうまく行うために必要な知識、技術のことだ。

戦後の学校教育では、専ら「時務学」の基礎となる「読み書きそろばん」を教えてきたのである。
それに、「人間学」を加えようというのである。

何もむつかしく考える必要はない。
いろいろな先人を紹介し、子供たちに「あやかりたい人」を見つけさせればよい。
そして、そういう人の言動を真似させたらいいのである。

そうした指導が学校教育における道徳指導だと思う。

道徳教育にあれこれ反対意見をいう人に、子供達を立派に育てようというという気概が欠けていると見えるのは私だけだろうか。
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2013年09月08日

心の持ち方

昨日、第62回の瀬戸木鶏クラブ例会だった。
通常の、読後感の披露や意見交換の時間を1時間半にし、残り30分を今月25日に予定している、記念講演会についての準備状況報告会とした。

毎月思うことだが、皆さん熱心である。
それに、月一回とはいえこうした「学びの会」があるが故に本もよく読まれるようになったとのことだ。

良い本を沢山読んだほうがいい事はよく知っている。
しかしなかなか出来ないのも現実である。
そうしたなか、木鶏クラブという存在は、何がしの役割を果たしていると思っている。

昨日の場合でも、積極的な発言とともに貴重な体験談も聞かせてもらった。

その人(出席者の一人)は「癌」が見つかり、抗がん剤などを使用する治療を進められたが、考えることがありそれをしなかったそうだ。
そして、以前経験したことのある「断食」を行い、自身の考え方を変えたそうだ。

つまり、この病気は私自身への試練であり、キチンと受け止めよう・・・、と。
その結果、「癌」の進行が止まり、活性度も低下したとのことだった。
いうなれば、「癌細胞の活動が止まった」そうだ。

そしてしみじみ話された。
「心のもち方一つで、善くもなるし悪くもなる」と。

木鶏クラブでは、月刊誌『致知』を読んでの意見交換をしているが、9月号の特集が『心の持ち方』であった。
正に、この特集ピッタリの体験談であった。

医学の世界でも最近は「心」とか「気持ち」が臓器などにいろいろな影響を及ぼしていることが報告されている。
科学的に証明されていることだけが「信じられる」事だけではない。
体験によって実証されていることも立派な事実といえよう。

こう考えると、人の「心」とか「考え方」というのは極めて重要なことといえよう。
要は、全てのことを「肯定的に見る、認める」。そしてそれに感謝し、与えられたところで精一杯に頑張ること。
こんな当たり前のことこそが、精神、肉体共に健康である秘訣ではなかろうか。

生きているのではなく、生かされている。

最近、そう思うようになってきた。
そうなると、「当たり前のこと」が、とてもありがたく感じるものである。

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2013年08月29日

史実を知る

歴史の勉強はとても大切だ。
しかし、そのことが事実であるかどうか、なかなか難しい問題だ。
特に日本は、あの大東亜戦争に敗れたことにより、戦後の歴史教育が一変した。

大きく変わったというより、戦前の価値観が否定されたため、事実が隠蔽されたり、ごく小さな出来事を殊更大げさに教えられたため、極めて「自虐的な歴史観」を植えつけられてしまった。

大体において、自国の歴史を「国史」をよばず「日本史」と呼び、世界史との選択をさせるような歴史教育は異常といえよう。

私もそういう環境に中に育ち、「反体制」というのがインテリの象徴のような思いを持っていた。
しかし社会にでて、いろいろな経験をしたり、本読んだりする中で、「どうも違う・・・」という気持ちが強くなってきた。
つまり、「正しい歴史を知ろう」、という向学心のようなものが芽生えた。
その時期は、会社では取締役を拝命したり、地域社会で昔からの伝統文化を守る活動を始めた時と一致する。

もう、今から20数年前のことだ。

以来、日本の史実について興味は増すばかりだし、理解が深まり新しい興味を持つようにもなった。

日本人なら、一日でも早くそういう意識を持ってもらいたいと思う。

先日行った本屋で『完全保存版 日本戦後史』(モトチャンプ・臨時増刊)という本を見つけ購入した。
表紙を見ただけで、「これは読む価値があると直感」した。
表紙は、昭和天皇とマッカーサー元帥が並んだ、あの有名な写真であった。

家で読み始め、あの戦争の「舞台裏」とか「シナリオ」を見る思いだ。
とにかく新鮮である。

第一章では「戦争終結前に決められていた新たな世界秩序」として、昭和20年1月から8月の降伏への経緯が写真と共に紹介してある。
知らなかったことが実に多い。

第二章は、「日本人全員に科せられた復興への大きな試練」とし、マッカーサーの来日から始まり、東京裁判や憲法制定の経緯が紹介されている。

そして第三章では、「東西陣営の対立による特需が日本経済を後押し」、第4章では「有史以来の好景気が始まり高度経済成長へ」として昭和史を描いている。

少し物足りなさを感じたのは「昭和の戦前時代」に触れていないところである。
つまり、明治維新以後、欧米諸国に立ち向かうまでになった明治時代、そして大正時代を経て、軍国化していった経緯もより詳しく知りたいものである。

日本では戦争における「敗戦」とか「それ以後」はよく語られるが、本当に大切なのは「なぜ戦争に突入していたのか?」を明らかにすることではなかろうか。

戦争は正当化されるものではない。
ただし、その経緯は「史実」として正しく理解しておく必要があると思う。


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2013年08月25日

特別講演会

私が代表世話人を務める「瀬戸木鶏クラブ」の発足5周年を記念して、特別講演会を企画した。
本ブログは、そのPRである。

日時  平成25年9月25日(水)午後6時30分より
場所  瀬戸市文化センター 文化ホール
講師  文部科学大臣 下村博文氏
演題  「国家戦略は教育にあり」
入場料 500円

木鶏クラブというのは、月刊誌『致知』の読者で、その読後感や意見の交換を通じ、更に啓発しようという「学びの会」で、全国に100以上ある。
愛知県の尾張地域では名古屋と瀬戸市の二ヶ所にある。

今から5年前、発足すべく声をかけたところ、14人が集まった。
毎月1回、第一土曜日の午前中を例会とし、以来一度も休むことなく7月で5年が経った。

5周年で何かをやろうといっていたが、6月号に下村大臣のインタビュー記事があり、「どうせやるなら大臣くらいに来てもらったら・・・」と、お願いをしてみた。
いわば、「ダメモト」であった。

幸いなことに、地元の代議士が下村大臣と親交があり、「OK」の返事をもらった。

大臣のご都合で、9月25日に決まり諸準備がはじまり、先週木曜日に「案内チラシとチケット」が出来上がった。
先週末、関係者と打ち合わせをし、PR活動に入ったところである。

期間は一ヶ月。
全力でPRをして、広い会場(定員1500名)を埋めなくてはならない。

興味のある方は是非お出かけ下さい。

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2013年08月08日

道徳心を植える

人間学を学ぶ月刊誌「致知」を使っての勉強を行なっているが、これが「瀬戸木鶏クラブ」というグループだ。
縁あって設立時から世話人を務めているが、8月で5周年となった。
節目でもあり、同時に我々が学んでいることを知らせ、仲間も増やしたいということから、5周年記念事業を行なうことにした。

勉強会で毎回のように話題になるのが「教育問題」である。

教育問題というのは、いろいろな角度から議論百出であるが、ポイントは「教育の有り様」である。
そんな共通認識から、我が国の「教育政策・改革の内容」が聞きたく、下村文部科学大臣にお願いしてみようという事になった。

地元代議士の口ぞえもあり「9月25日」に瀬戸市で講演いただくことになった。

大臣にお願いしようと決めたのは、「致知」6月号にあった、下村大臣のインタビュー記事に大いに共感したからである。
その一部を原文のまま紹介する。(「致知」6月号33ページ)

「道徳心をいかに植え付けるか」
《戦後教育は戦前教育の否定から始まっています。当然、否定すべきものもあったと思いますが、よいものもすべて否定しました。
では、そこから新しい価値を見出したかというと、逆に歴史教育の自虐観に見られるように、日本人としての誇りと自身を奪うような教育が行なわれてきたわけです。

深刻化するいじめ、これも戦後教育のツケだとおもいます。
先般、官邸で教育再生実行会議を立ち上げましたが、その第一の提言がいじめ対策です。今、小中学校のうち実に17万5千人が不登校。おそらく半分近くがいじめが原因だと思います。

死にたいと考える子をいかに救うか。これは早急に対応しなくてはいけませんから今国会でいじめ対策防止基本法を成立させるために動いているんです。

その提言には他にも大きな柱として道徳の教科化を挙げています。
戦後教育では「修身」も「教育勅語」も否定されました。数学とか英語というアプローチだけで、人が人としてどう生きるかという教育、知徳体の徳の教育がなされてこなかった。
いじめの根本にはそれがあると思います。

私が考える道徳の教科化とは、子供の発達段階に応じて、人はどう生きるのかを教えることです。ですから道徳というより広い意味で人間学と言ったほうがピッタリくるかもしれません。》(以下略)

全く同感である。

大臣の講演が楽しみである。

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2013年07月14日

道徳教育

日本の教育改革についていろいろな議論がある。

教育を受ける平等性を初め、戦後確立された教育委員会制度や日教組問題などなど。
その議論は多岐に及び、一堂に介しても「主張」ばかりでなかなか前に進まないでいた。

今の政権になり、文部科学大臣に「教育改革」を掲げる下村博文氏が就任し、期待が大きく膨らんでいる。

私自身興味を持って見ているのは「教育内容」である。
「立派な日本人を育てあげていく教育はいかなるものか」
このことだけでも多くの議論を呼びそうだ。

このところ、この教育内容には、「道徳教育」とか「人間学」というようなことがいわれており、方向性として大賛成である。
しかしである。
この「道徳教育」なるものは、実際面としてとても難しいものである。

個人的には、倫理法人会で絶対倫理を学んでいるが、頭で理解するだけではなく、実践し成果を出すことが求められるのである。
この、「実践して成果」というところがポイントであり、知識として知っていても何の役にも立たないのである。
子どもらの「道徳教育」と同じだといわないが、「何を教え」「どんな変化」をもって教育効果とみるのか、とても難しい問題である。

この事について、一つの考えが示された新聞記事があった。
今朝の産経新聞(大阪)である。
「解答乱麻」という欄で、木村貴志氏(バッカーズ寺子屋塾長)が述べている。

やはり、知識教育とは違いその指導方法がとても難しいと述べている。
そして、自身の出来ることとして、次の三つのことを示している。

1、私たちの祖先が、どのような道徳的価値観と共に生きてきたかを、歴史と古典文学に触れることで自ら感じとること。

2、私たちの命を育んでくれた自然への畏敬の念が育まれるような自然体験をすること。

3、与えられた命に感謝し、二度とない人生をどう生きるかという「志」を立てること。

以上の三つを、「子どもたちと学び続けて生きたい」、と結んでいたが、素晴らしいことだ。

私のモヤモヤしていたことも一気にはっきりしてきた。
この三つは、次代の人たちの「学びの目標」ではなく、今の大人たち、つまり私たちがまず実践するべき内容だ。

心したいものである。

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2013年06月17日

日本人の教科書

人間学を磨く月刊誌『致知』を購読し、それをもとに勉強会をしていることは、過去、何度も紹介している。
記事の内容には、毎回沢山の学びがあり感謝している。

記事とは別に楽しみがある。
致知出版社の新刊及び書籍紹介だ。
実の多くの書籍が出版されているが、記事に関連づけて紹介してあるのも嬉しい。
なかなかのPR上手でもある。

今回はその中の1冊についてであるが、「日本人千年の教科書」として紹介されている『子どもと声に出して読みたい「実語教」』(齋藤孝著、平成25年3月13日第一刷発行)という本である。

購入して暫く積んでおいたが数日前から読み始め感動している。
正に、「日本人の教科書」である。

著者の説明では、「実語教」というのは福沢諭吉が書いた『学問のすすめ』の下敷きになっているとのことだ。
日本人千年の教科書」といわれる所以である。

この「実語教」というのは、平安時代の終わりにできたようで、その作者は弘法大師(空海)という説もあるようだがよくわかっていないようだ。
全部で「29項目の漢文」からなっているが、その読み下し文とわかり易い解説が載せてある。

私にとって新鮮であり、今後29回にわたって紹介していきたい。
単にほんの内容を書き写すのではなく、私自身の考えもそれに加えていこうと考えている。

これも勉強の一つである。


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2013年06月14日

人財塾の最終回

今年1月から始めた「瀬戸人財塾」が来週金曜日の第6回で終了する。
私の担当した一期(通算第三期)の最終回となる。

ブログでも数回取り上げたが、この塾は、瀬戸市倫理法人会の主催で会員へのサービスの一つとして始まった。
最初はコンサルタント会社に丸投げで始まったが、2回続ける中で「経営意管理技術」の指導に偏りすぎている、という反省から「経営の考え方」や「倫理経営のあり方」を基本にした内容に変える事になった。

継続することを前提に、加えて「狙いを実現できる内容に!」ということで任された。丁度1年ほど前のことだ。

結果、前半を「日本型企業経営の本質」の研究とし、後半は「人物(経営者)研究」をすることにした。

前半部分は、名古屋学院大学院で講義をしている「経営システム論」の中から抜粋、主として日本企業の経営思想を研究した。河村電器の工場視察も行なった。

そして後半の人物研究だが、渋沢栄一氏、松下幸之助氏、稲盛和夫氏の三氏を取り上げた。
初めての経験だったが、私自身がとても勉強になった。
準備のために自信で調査研究したこと、塾生との議論で新しい視点の発見など、どんどん理解が深まっていった。

最終回である来週は、稲盛和夫氏を取り上げる。
塾生との議論の時間があまり取れないので、最終回のレポートとして後日提出してもらうと考えている。

そして、講義終了後には、倫理法人会会長からの「ミニ講話」があり「修了式」が予定されている。
その後、各塾生の派遣責任者にも集まっていただき、懇談会が計画されている。
恐らくその場で感想や要望などを聞かせてもらう事になる。

法人会は9月1日が新年度のスタートだが、来年度の方針に「人財塾の開催」盛り込まれており、更に内容を充実させていくつもりである。


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2013年06月04日

体罰か指導か

大阪桜宮高校で体罰を受けたバスケットボール部の男子生徒が自殺した問題で、教育現場はもとより、社会で「それは体罰か指導か?」と議論百出だった。
このほど、文科省の有識者会議が「部活動の指導についてのガイドライン」がまとまり、新聞にもその概要が掲載された。(中日新聞6月3日教育欄)

議論が盛んな頃、私自身は「程度の差はあるが、体罰容認」という立場だった。
中学、高校とバスケットボール部に所属していたが、「体罰当たり前」という世界でした。
特に中学時代は、市内では常に1位か2位の成績であったこともあり、勝つことにとことんこだわった練習だった。

こういう経験があり、「容認」という考えであった。

しかし、先月(5月13日)とある講演会で話を聞き、ガラリと変わった。
最も印象的で心に残っている言葉は、『体罰容認は、勝ち組の理屈だ!』というものだ。

講師は、法政大学特任教授の山中正竹氏であった。

本欄でも「スポーツマンシップとリーダーシップ」というテーマでの講演内容は紹介しているが、その冒頭で「体罰か指導か」という話をされた。

結論は、「体罰は絶対に許されない。スポーツでは、絶対的に「暴力の抑止」が謳われている。」ということだった。
つまり、日本は戦後多くのスポーツを海外から取り入れた。しかし、それは技術や技能中心で肝心の精神をキチンと取り入れなかったために、技術の向上などに「スパルタ訓練」を取り入れ、その延長線上に体罰があったのだ。

スポーツ界(野球界)に長く身を置き、海外でも監督経験の多い山中氏の言葉であり、説得力があった。

聞いていて、全くそのとおりだと思った。

そういう考えに変わった今、「示されたガイドライン」を見てみるに、「体罰容認の考え」が見え隠れする。現実にそれを求める親御さんや指導者がいるようだ。
ガイドラインは、「体罰と指導の境目」を示しているようだが、あまり意味を感じない。

それは、「スポーツの本質」を指導することが欠けているからだと思う。

小手先の施策では、不毛な議論を繰り返すだけだと思うが・・・。

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2013年05月27日

道徳教育の中身

第二次安倍内閣が発足して半年ほどになるが、マスコミはアベノミクスを異常に取り上げているのではないかと感じている。
先日の株価急落でも、大きな出来事ではあるが「お茶の間向け」を標榜しているマスコミにしては騒ぎすぎだ。「株式市場のことを知らないのは国民ではない」、とばかりの報道だ。

もっと伝えるべき、あるいは国民が話題にすべきことがあるはずだ。

その一つが教育問題である。

教育再生実行会議が開催され、いろいろなことが議論されているがそうした重要なことは一向に伝わってこない。マスコミに猛省を促したいところだ。

その教育であるが、私が注目しているのは「道徳教育」である。

ブログでもいろいろ述べてきたが、教育は時間がかかるので一刻でも早く改革し、実行に打つべきだと思う。特に「道徳教育」である。

教育に関しては時折産経新聞が取り上げている。
昨日も「道徳教育の中身」に関する意見(記事)が載っていた。

教育再生実行委員会の第一次提言を受け、「道徳教育の充実に関する懇談会」が設置されているが、そこの委員でもあり、ジャーナリストの細川珠生さんが、産経新聞「解答乱麻」欄で述べていた。

要点は、《道徳教育の必要性や重要性は国民の共通認識が得られている。しかし、「今何が問題なのか?」とか、「何を指導すべきか?」という点はいろいろだ。》

それは、現実の道徳教育現場についてもいえるようだ。
今後の懇談会で、きめの細かい議論を望みたい。

私が注目したのは、細川氏の「持論」の部分だ。

《私自身は、道徳教育の基本は家庭という考えから、これから全く新しい仕組みづくりを行なうのであれば、家庭、つまり親も学び直す機会がなければ意味がないと思っている。》
と述べている。

私もそう考えている。

今、子供たちの教育に少し関わっていたり、教育委員会にいた経験からして「親の再教育」が不可欠だと思っている。

考えてみれば、戦後、教育を学校に全面的に委ねてしまったのである。
「知識」の詰め込みはそれでよかたかもしれないが、肝心の人間教育までも学校任せになってしまった。そしてそういう教育環境の中で育った人が今の親たちである。

是非取り組んで欲しい点である。

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2013年05月26日

自然に親しむ

先日仲間と「海上の森」に出かけた。
この「海上の森」とは瀬戸市の南東部に位置するところにあり、2005年の愛知万博の当初会場とされた所である。

「当初会場」といううのは、結果として「ごく一部の利用」で終ってしまったからである。

当時「海上の森」海上推進派の私にとっては、残念な結果だった。
これは、瀬戸市にとてもとても残念なことであったと思う。

さて、その海上の森に出かけて思ったのは、あの愛知万博の精神が辛うじて残っているということだった。
ごく僅かな「瀬戸会場」の跡地に設けられた「海上の森センター」では、「子供たち向けの自然体験教育」の態勢が整っているのである。

私が育ったのは、野山や川という環境の中だったので、「自然に触れ合う」ということはごく当たり前のことだった。しかし、今の子供たちにはそうした環境はどんどん減少して来ている。

だから、「あの海上の森センターをもっと利用して・・・」と思った。

自然に親しむことの大切さを何となく思っていたところ、「自然体験の重要性」を述べた記事があった。

5月24日の中日新聞夕刊「あの人に迫る」という記事だ。
絵本作家の岩村和朗氏のインアビュー記事だが、『絵本の構想を練るということは、自分の「内なる子ども」と向き合うこと』、であるとし、それは「子どもの頃の自然と親しんだこと」がベースになっている、という内容だ。

その中で、《自然に親しんでもらいたいのはなぜですか?》の質問に答えられている。

《まず何より喜びが一杯ある。
春になれば芽吹き、花が咲き、一、ニ週間で一気に違う風景になる。

命が溢れていることが実感できる。
それも毎年同じ繰り返しかと思うと、少しずつ違うんですよね。

あの木の高さは去年、山までかかっていなかったにのとか。》(以下略)

以前、こんな言葉を聞いたことがある。
《人が人であるために、一日に一回でいいから「人の手で作られていないもの」をジッと見てみることが重要だ。》

自然に親しむとことと同じことだと感じた。

近くにある「海上の森」。
もっと出かけようと思った。


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2013年05月21日

てんびんの詩

「てんびんの詩」とは、以前にも紹介したが、今から20年以上前に社員教育の教材のひとつとして購入したビデオである。
我が社では、当時「営業マン必見のビデオ」として、全国各地で視聴してもらった。

このビデオが今、話題になっている。
一般的な話ではないが、私の属する「瀬戸市倫理法人会」の中でのことだ。

事の発端は、今年1月から始まった「瀬戸・人財塾」でのこと。
1月と2月は「日本型企業経営の特質」について講義と議論をした。
そして3月は、実地研修として河村電器に出かけ工場見学や工場経営などについてのディスカッションをする予定であった。

ところが、1月の「日本型経営の話」の中で「近江商人・三方善しの商い」について触れたところ、反応が今一つであった。そこで、この「てんびんの詩」というビデオを見れば理解が深まると考え、3月の実地研修の中に盛り込んだ。

そうしたところ、塾生の派遣者から「我が社でも視聴したい」、という要望が出た。

そんなことから話題になっているが、ついに、倫理法人会主催のイブニングセミナーで、このビデオを視聴することになった。
6月の26日の予定である。
おまけに、私がコメンテーターを担当することになった。

またまた勉強である。

もう一度じっくり見て、私の感じた、学ぶべき点や実践すべき点を整理しようと思っている。
何度見ても教えられる素晴らしい映画である。


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2013年05月20日

話す力

第一線をリタイヤしたつもりだが、人様の前で話をする機会は相変わらず多い。

頼まれて、ごく僅かな時間のスピーチ。
定期的な講話。
大学院での授業。
連続的な研修会での講義、などなど。
それぞれに難しいものだといつも思っている。
つまり、どうすれば「話し」がうまくなるかを常に考えているが、「これだ!」という処方箋を未だに見つけられずにいる。

5月5日の産経新聞「解答乱麻」欄に、「話す力」について述べられていた。
バッカーズ寺子屋塾長の木村貴志氏である。

「今求められる学び方の変革」と題したものだが、子ども達への指導において「正解のない問題にどう向き合うか?」という問題意識とその対応策という内容だ。

それは「話す力」であり、「話の質」に出てくるというのだ。

以下文章からの引用だが・・・
《雑談や他人の意見に批判することは簡単でも、自分の意見や考えを人前で語るのは大変だ。

経験と信念がなければ言葉は力を持たない。話す場に立たされてはじめて人は、自分の中に語るべきものがあまりにも乏しいことに気づき愕然とする。

しかしその「気づき」こそが、人生を主体的に生きるための学びの始まりとなる。》(中略)

更には・・・
《借り物の言葉で話しても人の心には響かない。
原稿に頼れば、それは聴衆ではなく紙切れに向って話すに過ぎず、
原稿を丸暗記すれば、それは自分の記憶と対話しているに過ぎない。
自分の前の聴衆を尊重しない話など、相手の胸に届くはずもない。》・・・と。

その通りだと思う。

しからば、「話す力」を身につけるにはどうするか?ということだが、氏は、「正解のない問題にどう向き合い、複数の解答を考え、そこから一つを選択する」という訓練をするしかないという。

ふと思った。
今開催している研修(瀬戸・人財塾)で、人物研究を行なっている。
言うなれば「絶対解のない問題」である。
こうした研究(研修)を行なうことにより「話す力」が磨かれるとすれば、もっと話す機会を増やしたほうがいいのかもしれない。

つまり、「自分の意思」が重要である。
それが「言葉」を作ったり、「話を組み立てる」のであろう。


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2013年05月11日

読書勉強会

本来なら先週の土曜日がその予定であったが、大型連休の真ん中なので今日の土曜日に変更をした。
「瀬戸木鶏クラブ」の例会である。

メンバーの協力があり、間もなく発足して5年になる。
思い出せば、軽い気持ちでスタートした勉強会である。
人間学を学ぶ月刊誌『致知』を読み、感想や意見の交換をするという内容である。

時に要請され、所見を求められるが、自身が学びの途上にあり、せいぜい先人の言葉などを紹介する程度である。

いろいろな感想があり、意見がある。
会を主宰する側は、それをまとめようとするが、本会ではは決してまとめることはしない。
これは発足した時から変わらない「進め方」である。

皆さんの発言内容をまとめることに何の意味もありません。

発言の全てが、出席した人それぞれへの「学び機会の提供」であると思うからだ。

こういう進め方なので、続いているかもしれない。

要は、全ては本人次第である。
よく読んで参加すればそれに比例して学ぶ機会が多くなる。

反対に、今号は殆んど読んでないが、皆さんの感想を聞き「間接読書としよう!」というのもある。
各人の自由である。

さて、5年という歳月が流れ、内容について見直す機会だと思っている。

今日の勉強会で皆さんに意見を聞いてみるつもりである。

posted by 伊藤保徳 at 06:25| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月10日

新人の安全教育

今日、瀬戸労働基準協会主催の「新人安全教育」が行なわれる。

かれこれ10年位になると思うが、基準協会でこの時期、会員事業所の新人を対象にした安全教育を開催するようになった。
大手の事業場では、毎年多くの新人を迎え入れており、新入社員教育の一環として安全衛生教育もある。しかし、基準協会会員の大半は中小企業であり、新人の採用もなかったり、あっても一人、二人というのが実態である。そこで、協会としてこういう機会を設けたのである。

毎回5〜60人の新人が受講している。
朝から夕方まで、丸一日の研修である。

さて、この安全教育の冒頭で、主催者として挨拶をすることになっている。
毎年同じような内容になる。

「社会人としての心構えの基本」として、「チームの一員として、会社の一員としての責任の自覚」が大切である。
学生のころは「結果も責任も個人のものだった」。しかし社会人はそれよりも先に「チーム、会社」としての責任を問われる事になる。

安全作業を怠り、ケガをしたとする。
作業が止まる。仲間や上司が駆けつけ、彼らの仕事が止まる。状況により病院に行くようなことがあれば時間もお金も大変な損失となる。

大きな事故になれば、ラインが止まり生産が止まり大きな損失を生む事になる。

つまり、安全作業の遵守は、自らの身体を守るとともに、チームや会社の日常を守ることでもある。

こういう基本的な事が案外教えられていない。
失敗を経験すれば身をもってわかる事になるが、事故が起きてしまってからでは遅いのである。

そうならないための研修である。
安全教育を通じて、社会の厳しさを再認識してもらいたいと願っている。

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2013年05月06日

人物の研究

松下幸之助氏は「経営の神様」といわれている。

今年1月から始めた「瀬戸・人財塾」で、「人から学ぶべし」という信念に基づき、3人の人物を取り上げることにした。
日本の資本主義を気づいたといわれる「渋沢栄一」。
日本の経済成長の立役者「松下幸之助」。
そして、松下幸之助氏と並ぶ、「稲盛和夫」。の三人である。

今までの勉強で、それなりの知識はあると思っていたが、とんでもない思い上がりであった。
知らないことばかりである。
特に、今準備をしている「松下幸之助氏」にあっては、先日「松下資料館」に行って、2時間余の勉強でわかったのは、「知らないことばかり」ということであった。

改めて、経営の神様といわれる松下幸之助氏を深く知りたい思いが湧いてきている。
氏の場合、その生き方や企業経営などに関する資料が揃っており、その気になればかなりの研究ができるのではないかと思っている。

5月17日に、人財塾があり、松下幸之助氏に関する議論をする予定だが、一般的にいわれる「松下幸之助像」とは違う視点を提供しようと思っている。

「経営の神様」とは最上級の形容だと思うが、私は「戦略家・松下幸之助」という視点で所見を述べようと思っている。

事業を始めてすぐに「歩一会」という社員親睦会を組織し、「衆知を集める経営」の一歩を踏み出していること。
30代半ばにして、「事業の使命」を悟り、これを「命知元年」として250年計画を示していること。
そして、事業を進める上での「最も重要な資源」である人材に対し、育成・活用、更に仕事を任せて育成と、見事なまでの「人づくりシステム」が確立したのである。

こうしたことをもって「戦略家」としてみた。

先ずは一つの仮説として提示し、塾生の議論に期待したい。
これからが楽しみである。

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2013年04月20日

人物研究の面白さ

挑戦的ではありますが、人物研究を始めました。
昨日は、日本の近代資本主義の礎を作った渋沢栄一であった。

塾生には一冊の本しか紹介しなかったが、無論これだけでは不十分であり、私からは、参考書籍の紹介を含め、いろいろな情報提供をした。
それだけで一時間以上かかった。

人物研究では、その人物に関わる様々な情報を集め整理し、一口で言ったらどういう人なのかを決める。

問題はそのあとで、結論づけた理由とともに、自身が学ぼうとする項目についてあげることにしている。

そのための情報提供であり、大きな責任を感じると共に、改めて人物研究の面白さを感じている。

自分なりに人物像を描けれるほどの情報量が必要だと思った。
それ程までに人物研究は難しくもある。

ますます挑戦意欲が湧いて来た。



posted by 伊藤保徳 at 15:26| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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