2013年11月30日

日本の政治

「日本の政治は良くなるか」、という演題で、田崎史郎氏(時事通信社 解説委員)の講演を聞いた。
田崎氏といえば、最近テレビによく出ている。
語り口はおとなしく、誠実さが伝わるコメントで、人気があるようだ。

ズバリ、安倍政権は「長期になる」ということだった。

安倍総理の人となり、総理を取り巻く人脈と信頼関係、そして政策の行方などの解説が主たる内容だった。

話を聞き終え、その感想をひと言で表現すれば「政治は人なり」である。

よく「企業は人なり」といわれるが、政治の世界も同じようだ。

講師、田崎氏によれば、「政治とは人間の営みである」ということである。
何となく感じていたことだが、この講演ではっきりした。
「人間の営みであるが故に、政治家の人間性が大きく影響する。個々人の思惑、あるいは感情は反映されるものである。」
印象的なフレーズであった。

もう少し深く考えると、「政治家個人をよく理解すること」が第一歩のようだ。

政治家の(一般的な)価値判断基準として、そのことが正しいか否か(義)というのは半分くらいで、後の半分は「情」と「利」だという。
つまり、口では「公」とか「義」をいううが、それは半分程度であり、実は「情」や「利」が判断の基準に大きく関わっているという指摘だ。

全ての政治家がそうだとは思わないが、多くの政治家がそうであることは想像に難しくない。
やっぱり選挙に勝つことが優先されるのであろう。

こうしたことを前提に、安倍総理の人となりの紹介があり、「故に長期政権となる」という結論であった。

「政治は人なり」と言って、何となく納得するのが日本人であろう。
それは日本の歴史や、伝統的精神文化が育てたもので、世界をリードする文化の一つのようにも思う。

その昔(1980年代後半)日本のことを「経済一流、政治は三流」といわれたことがある。

欧米諸国の政治体制が必ずしも理想ではないことが言われるようになった。
人間的に素晴らしく、人脈や協力者にも恵まれた安倍総理が、新しい日本の政治体制を作り上げられることを期待したい。


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2013年11月29日

地(知)の拠点整備

昨日、名古屋学院大学から情報誌「COSMORAMA」(90号)が送られてきた。

大学院の修了生であり、大学評議員を拝命していることもあり、発行の都度もらっている。

今号のトップ記事は、文部科学省の『地(知)の拠点整備事業』に名古屋学院の事業計画が採択されたというものであった。

名古屋学院大学は、早くから郊外型のキャンパスを目指し、瀬戸市の東部(品野)に自然豊かな学び拠点を用意してきた。
しかし、少子化の進展で学生を広く募集するにはこの「郊外」というのが問題となり、この瀬戸のキャンパスを持ったまま熱田に教室の大半を移したのである。

今回の「地(知)拠点整備事業」は、瀬戸と熱田の両地区に実施されるようだ。

文部科学省の「募集要領」を見ておらず、趣旨などわかってはいないが、情報誌によれば、319件の申請があり、52件の採択された由。
名古屋学院大学はその52件の中に入ったということだ。

事業の名称は、『「地域の質」を高める 「地」域連携・「知」識還元型まち育て事業』という。
「事業期間の5ヵ年を通して、全学的に地域を志向した教育・研究・社会貢献を進める」とのことだ。

瀬戸市にとっては大きなチャンスである。

大学と瀬戸市は今までも、いろいろな連携事業をしてきている。
しかし、「その成果は?」ととわれると回答に困るのではなかろうか。

大学との連携といえば、安直に「産学連携」という発想での付き合いであったように思う。
更には、理工系の研究などの専門分野であり、地域としてというより、地場産業と大学という関係であったように思う。

いうなれば、名古屋学院大学の専門である社会科学という分野での活用や連携が少なかったように思う。

そういう点で言えば、「まち育て事業」であり、全市的に大いに期待したい。

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2013年11月28日

見苦しい

猪瀬東京都知事が苦境に陥っている。

2020年のオリンピック開催地を東京に持ってきた立役者だが、あのときの喜びに満ちた顔はない。
取材を受けている姿や、会見の模様をみるにつけ、誠に見苦しい。

都知事選への出馬表明直後に、あの徳洲会から現金が渡ったとなれば、明らかに「選挙資金」である。
これがいわゆる市民感覚というもので、一般的な見方といえよう。

仮に「違うということであれば」、取材を受けた瞬間に「違う」と述べればいいし、返す必要もなかったのではないか。

最初の取材で言葉を濁し、しつこい質問に声を荒らげたところで勝負ありだった。
しかしその後、発言内容は変わり、ついには「借用証を見せての弁明会見」となった。

ここまで来るともう茶番だし、実に見苦しい。

こうなってくると知事周辺から「芳しくない情報」がボロボロでてくる。
権力の座についている内はダーティーな部分は隠れているが、その座が怪しくなると堰を切ったように出てくるものだ。

「嘘」も何度も同じように話している、それがあたかも真実のように思えてくるようだ。

潔く真実を話し、まずは侘びるべきだ。
その上で、身を引くべきだと思う。

「火のない所に煙はたたない」
多くの人に「疑われただけ」で、もう失格だと思う。

復活があるとすれば、そういう禊を済ますことが大前提である。

益々立場は悪くなる。
知事の個人的な問題ではなくなることの方が問題だ。
日本や2020年のオリンピックに対するイメージダウンである。

一刻も早く身を引くべきである。


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2013年11月27日

いささか疑問

今日の新聞はもとより、多くのテレビ局が報じたのは「秘密保護法案の衆院通過」のニュースであった。

そのことは事実であり、採決に当たっての党派別の状況なども詳しく伝えていた。
しかし、いささか疑問に思うことがある。
法案についての「賛否の意見」の取り上げ方である。

最初に目を通したのは読売新聞だった。
法案が衆議院を通過したことを「淡々と」伝えていた。

次に見たのは中日新聞であるが、「法案は強行採決」「世論の多くは法案に反対だ」ということを全面に、反対派の行動ばかりを報じていた。
読売に「淡々」に比べ中日の「感情的とも思える報道」にいささか疑問を感じた。

新聞社には「公」という立場があると思う。
従って、この法案の審議や各種団体の意見を紙面に掲載するのであれば、「反対の意見」もあれば「賛成の意見」も載せるべきではなかろうか。

「こうした紙面構成は、一種の世論誘導では?」
という意見も聞こえてくる。

いささか行過ぎた報道姿勢ではなかろうか。

人間のやることであり、完全中立など貫くことはできまい。
であるが故に、「反対意見」や「賛成意見」、そして時に「中立意見」などを掲載し、ことの判断は「読者」に委ねるべきであろう。
しかし、現実は明らかに偏っている。

国民に十分な説明があったかどうかといえば足りないと私も思う。
でも、選挙で選んだ人たちが決めようとしている事に理解を示す必要もある。

こう考えてくると、幾つも疑問がでてくる。

採決の時「退席をした議員」がいるが、あの態度こそ「批判されるべきもの」ではなかろうか。
何のために国会議事堂にいるのだろうか。
それで、国会議員の責務が果たされているのだろうか。
こういうこそメディアで取り上げてもらいたいものだ。

もっと勉強し、ことの正しい理解ができるようになりたいものだが、マスコミは、そのための情報提供者になってもらいたいものである。

posted by 伊藤保徳 at 21:59| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月26日

実践の報告

現在、、瀬戸・旭倫理法人会で「純粋倫理」の理解を深める勉強をしている。
しかし、ここでは「知識としていくらもっていても何の価値もない」、といわれる。
つまり、「実践こそ全て」なのである。

問題はこの「実践」である。

倫理運動の創始者が著された「万人幸福の栞・十七か条」は確かに素晴らしい。
しかし多くの会員は「素晴らしい」と感嘆し、そのことを記憶にとどめるが実践にまで至らないのである。

何故実践しないだろうか?
素直に考えてみるに、「素晴らしい!」と感嘆したならば、自らもそうなりたいと想い実践するものだ。
しかし、実践にまで至らないのは「本当に心の底からいいことだ」、と思っていないのではなかろうか。

要するに、「純粋倫理」を前に、妙に「構えてしまっている」のではなかろうか。

モーニングセミナーなどで「純粋倫理実践報告」を聞くことがある。
みんなの前で「実践報告」ができる人は、何か特別な人と想うかもしれないが、「実に些細な生活の変化」を述べていることが多い。

そもそも倫理とはそういうものではなかろうか。

決して構えてするものではないし、「今から実践します」、と宣言するものでもない。

日々の生活の中で、心遣いや言葉遣いを少し直すことでも倫理を実践していることになると思う。
(それが「相手のことを気遣い、喜んでもらうためのものであれば・・・。)

今朝、春日井市倫理法人会で講話を担当した。
テーマは「働くよろこび」であり、会社勤めを振り返りながら、その時のことで、倫理的であったかどうかを見てみれば、明らかに結果が違うのである。

自社のこと優先で考えればうまくいかないし、相手のことを最優先に考え行なったことはうまくいっている。これこそ倫理的であり、実践である。

要は、キチンと意識して行いそれが継続できているかどうかであろう。

講話がすみ、そんなことを思った。


posted by 伊藤保徳 at 11:07| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月25日

よくわからない記事

11月22日の産経新聞(大阪)第一面にあった見出しにいささか驚いた。

『江沢民氏に逮捕状・スペイン裁判所「チベット族虐殺関与」』
こういう見出しである。
何のことかを思い記事を読み、更に驚きである。

スペインには、全国管区裁判所というものがあり、人道に対する罪に関しては、国外の事件であっても同国の裁判所に管轄権がある、とのこと。

そんなことを勝手に宣言しても国際的に通用するのか不思議に感じた。

しかし、「チベット族を支援するスペインの人権団体の告発を受け、中国でのチベット族虐殺に関与した容疑で江沢民元国家主席、李鵬元首相ら5人の逮捕状を出した。」とのことだ。

記事を読んでの理解であり、間違っているかもしれないが、「逮捕状が出ても、自国(中国)にいれば逮捕されない」、とのこと。

では、何のための逮捕状なのか、という事になる。
逮捕が執行できなければ意味がないのではなかろうか?
このあたりのことは知っている人がいれば教えて欲しいものだ。

もう一つ、異なる観点での疑問がある。

この記事、ほかの新聞では目にしないということである。

仮にも「中国の元主席に逮捕状」となれば、大きなニュースといえるのではなかろうか。
それがなぜ、他の新聞が記事にしないのか不思議である。

日本のマスコミは、ほとんど同じようなニュースが掲載されていると思っていた。
しかし、大いに違う。
これが一体何を意味するのか、今後も考えていきたい。

それにしてもスペインのこの裁判所、どういうものなんだろうか?
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2013年11月24日

祝祭日の意義

昨日は勤労感謝の日であった。
国民の祝日であり日の出と共に国旗を掲揚した家庭や会社が日本でどれくらいあっただろうか。

私も二年前までは国旗の掲揚はしていなかったが、「我が国の起源」を勉強する機会に恵まれ、国旗や国歌の重要性を再確認し、具体的な行動として国民の祝日には国旗を掲揚することにした。
ほどなく同志が現れ、「国旗を掲揚する会」を設立した。

祝日の度に、その意義を思い返している。

11月23日は勤労感謝の日であったが、同時に「新嘗祭」でもあった。
このことが新聞などメディアでほとんど取り上げられないのは寂しい限りだ。

世界のどこの国より国家としての歴史は永く、建国以来125代続く天皇制は世界に類がない。
その根本にあるのは「大自然への祈りであり、感謝」である。
天皇陛下は国民や国家の安寧のために、ただただひたすらに祈りを捧げてもらっている。

そういうことを考えると、11月23日の勤労感謝の日は、日本人にとって特に哀切にしなければならない。

自然の恵みをはじめ、あらゆる人やものの働きにまで感謝の念を捧げるべきであろう。

しかし現実は「行楽」に、あるいは自己中心の楽しみにだけに時間を費やしてるようにしかみえない。
これではいけないのではなかろうか。

祝日は学校も休みである。
しからば地域で、あるいは家庭で祝日の意義を考える時間をもつべきではなかろうか。

最低限、家族全員で食卓を囲み、自然の実りやあらゆる働きに感謝しあうひと時をもつべきだ。

こういう内容が、産経新聞の今日の朝刊(「主張」)にあった。
そうあるべきだと思う。


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2013年11月21日

心のノート

第二次安倍内閣がスタートして間もなく一年である。
最優先で取り組んだのが経済対策であり、それなりの効果が出たという評価である。

人は、先行きに明るさが見えると一気に元気になるものだ。
そんなことを感じている。

さて、経済対策も重要だが、それに勝るとも劣らないのが教育改革である。
やはり、資源のない国日本にとって「人材こそ宝」と考えることが大切で、特に子どもの頃からの教育は重要である。

戦後教育は「日教組」によって、戦前教育の徹底した否定であった。
軍国主義などへの誘導という教育のあったが、大切にしなければならないことも数多くあった。
その一つが「道徳教育」である。

最近になり、教育改革に関することが新聞にも載るようになった。それが「道徳の教科化」である。
いろいろな議論があったようだが、一日も早く復活すべき「教科」だと思っている。

下村文科大臣がある会合で、「倫理道徳という言葉に抵抗を感じるなら、人間学といってもいいのではないか・・・」と発言されたと聞く。
その通りだと思う。

道徳の授業に数年後からは検定教科書を使用するとのことだ。
しかし当面は「心のノート」を使用するという。

1週間くらい前の新聞に、改訂版「心のノート」の掲載例が載っていたが、まさに人間学を学ぶための資料だと感じた。

例えば、小学校1、2年では・・・
「二宮金次郎」・・・勉強や仕事はしっかりと行なう
「武者小路実篤」・・よいことと悪いことの区別
「やなせたかし」・・生命を大切にする心

3、4年生では・・・
「澤 穂希」・・・・粘り強くやり遂げる
「手塚治虫」・・・・自分の特徴、よい所をのばす
「宮沢賢治」・・・・自然や動植物をたいせつに

などである。
つまり、歴史に名を残した人たちの「生き方」をしり、子供たち自身で「目指すこと(人)」を見つけることであり、それに向って努力を始めるきっかけにする。
これこそ人間学の学びである。

こういう教育が学校で行なわれるということになると、教師に求められることが変わってくる。
全てを教師に求めるのは難しいであろうから、積極的に地域の人材を活用すべきであろう。

開かれた学校。
地域ぐるみでの人づくり。
教育改革の目指す姿である。


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2013年11月20日

教育の怖さ

先日、「日韓関係が心配」、と書き込んだ。
韓国人の日本に対する対応が危険な状況に達しつつあると思うが、これはある日突然に沸き起こったことではないようだ。
どうも、教育によって「憎しみ」などが増幅しているようだ。

久しぶりに読売新聞を読んだ。
今日(11月20日)の朝刊政治欄に「政治の現場」という欄があり、そこに「冷え切る日韓」という記事があった。連載のようで、「5」という表示があった。

「4」までの記事を読んでいないので全体の流れは理解していないが、今日の記事の見出しは『「反日無罪」教育が影響』というものであった。
つまり、今日の日韓関係は長きにわたる教育の影響であるという内容であった。

「反日無罪」というのは、韓国において、反日なら何でも許されるという意味で、「親日派」とみなされればいのちにか変わる恐れもあるそうだ。
驚きである。

教育により「反日」という思想をつくり、やがて「抗日」とか「嫌日」という行動がうまれ、社会的には「反日なら何でも許される」という世論が形成されている。
このように理解のできる記事であった。

ここまでのことを、我が日本国民はどれくらい理解してるだろうか?

教育は故に難しいのである。
そして怖いのである。

日本でもこうしたことが指摘されている。
いわゆる戦後教育でつくられてしまった「自虐的歴史観」である。

では、今後どうすべきだろうか?

先の大戦で負けたときのように、「全てがゼロ」という状況からのスタートではない。
戦後、60数年間教育されたことの部分的否定であり、実行するにはとても難しい。
でも、何もしなかったら今までの延長でしかない。

やはり、「教育改革」ということになろう。

その突破口が、学校教育での「道徳教育教科化」であってほしいものだ。


posted by 伊藤保徳 at 11:33| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月19日

NHK批判

NHK会長人事をめぐり、いろいろな意見が表面化している。

11月18日の産経新聞にも、「NHK現会長の評価が低いわけ」についての記事があった。
現会長の交代論は根強く、「黒字決算」をしてもなんだかんだと評価は低いようだ。

詳しいことは知らないが、新聞によれば次の三つが交代してもらいたい理由のようだ。
@改革のスピードが遅い
A報道番組の内容が偏向している
B国際放送の強化の遅れ

私自身、以前から感じるのはAの「報道番組の内容が偏向している」ことである。

この事については、財界から「報道が反原発に偏っている」、政界からは「歴史認識が自虐的」などという声がでているとのことだ。
私もそう感じている一人である。

記事では、安倍総理はNHKの公共放送のとしてのあり方に不信感をもち、NHK改革にこだわっていると報じている。
以前、次のように批判したという。
「NHK職員は公共放送の責任をよく自覚する必要がある。
自分の主義や主張、イズムを放送を使って拡大させようとするのは間違っている。」

その昔、その日の放送終了時には「国旗の映像と国歌君が代」が放送されていたことを思い出す。
その頃は、「最も正確な情報が報じられている」と思っていた。

NHKには報道の偏向とは別に、ビックリするようなことがある。
これも産経新聞(11月17日「一筆多論」)でしたことだが、先頃亡くなった島倉千代子さんの代表曲である「東京だョおっ母さん」(昭和32年)が、NHK紅白歌合戦で一度も歌われなかったそうだ。
いや、歌わせてもらえなかったそうだ。
150万枚の大ヒット、35回も出場しているのも関わらずだ。

推測だが・・・
2番の歌詞に問題があったようだ。
1番では母娘が皇居前広場で写真を撮り、2番で、戦死した「やさしかった兄さんが待つ九段(靖国)に向う」、という、この部分が問題視されたとのことだ。
そして、稿の最後で、《見えない「被占領意識」という黒い霧は、この国のメディアをいまだに覆っているようである。》と結んでいた。

このことも、「歴史認識が自虐的である」、ということを示す一つではなかろうか。


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2013年11月18日

教育市民フォーラム

瀬戸市の教育が新しい世界に踏み出した。

「やっと」、という感もするが進むべき方向への舵取りができたと思う。

今から10年以上前、平成13年10月に瀬戸市教育委員会から「瀬戸の教育を創造する市民会議」に対し教育ビジョン策定の諮問があった。
私は市民会議委員の一人であった。

約1年半にわたっての検討結果を教育委員会に答申したのが平成13年3月27日だった。

瀬戸市の教育理念は・・・
・すべての子供たちが瀬戸で学んでよかった。
・すべての親達が我が子を瀬戸で育ててよかった。
・すべての市民が瀬戸で生きてよかった。
と思えるような教育の創造と展開をする・・・というもので、これが答申のベースにあることは言うまでもない。

その後教育委員会では、答申を踏まえ具体的な実施計画に落とし込み、これをアクションプランとした。

その中に、「瀬戸市にふさわしい教育を推進するための取り組み」というのがあり、5項目掲げられている。
1、地域ぐるみの子育て
2、豊かな体験活動と交流
3、社会を担う市民の育成
4、環境を重視したまちづくり
5、学校経営の充実

こうした取り組みが行なわれてきたが、従来と一番大きな変化が『まるっとせとっ子フェスタ』の開催である。
従来、子ども達の活動成果は夫々の学校毎に、発表会や展覧会などが開催されていた。
それを、瀬戸市内全ての小中学校(特別養護学校も含む)が同じ会場で成果発表をするというものだ。

今年は11月14日から17日までの4日間を使っての大発表会であった。

そして、最後に行なわれるのが「瀬戸の教育市民フォーラム」である。
ここでは、地域での人材育成に尽力された方々への感謝状贈呈、子ども達が夏休みを使いいろいろなことに挑戦する「キミチャレ」の成果発表、そして講演会という内容だ。

アクションプランに示されている、「地域ぐるみの子育て」の実践なのである。

全体的な方向性は定まった。
これからは、個別の施策を充実させていくことになる。

広く市民に知らせ、理解を深めてもらい「支援者・協力者」として子育て、人材育成に参画してもらうように、限りない努力が必要であろう。

posted by 伊藤保徳 at 11:42| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月17日

大学院寄附講座

名古屋学院大学大学院で5年前から「寄附講座」を行なっている。
大学院の授業の中に、企業などからの寄付によって用意される講座のことである。
自由度は高いが、教授会での審査を経て講座が設けられている。

河村電器の寄附講座は、専ら自社の経営活動を中心に、実学的な授業を行なっている。
それは、社会人大学院であり、現実に立脚した講座であるべきであり、ならば、資金の提供による講座ではなく、自社の上級管理者が講義を担当することで「現在の事情」を伝えているからである。

講座名は、「経営システム研究」である。

一面、「企業研究」といった所もあるが、自社の実態と理論との比較の中で、「あるべき姿」を研究するのである。

土曜日の午後に二コマ、連続8週の講義である。

今年は、私が第一回目と最終回を担当。
各論を二人の執行役員が担当し、昨日が最終回であった。

受講登録をした院生は7名。
8回欠席もなく終了した。
残るは評価のみで、来月中旬までに報告を求められている。

来年以降の開催も要請されているが、講師を担当する役員とよく相談して決めたいと思っている。

1回に二コマ、合計3時間の講義を8週間行なうのは大変である。
しかしとても勉強になることも事実である。

願わくば続けていきたいが・・・。

posted by 伊藤保徳 at 09:32| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月16日

日韓関係が心配

政治レベルと民間レベルでは大きな違いがあるが、最近のマスコミ報道を見る限り、政治レベルでの日韓関係はどんどん悪くなっているようだ。
識者の意見を聞いていると、「日本はもっと主張すべき」、という論調が多い。

こうした動きがどんどんエスカレートすれば、行き着くところまでいてしまいそうである。
故に、心配するのである。

確かに朴大統領の動きはあからさまで、自国の歴史認識こそが絶対に正しいという態度である。
最近は、「反日」というより、「嫌日」という見出しがつくほどだ。

「これほどまでに根深く、かたくなな態度を取られるとは・・・」
政府の率直な思いではなかろうか。

「ではどうすべきか?」という事になるが、安倍総理の言う「歴史問題は専門家に任せ・・・」という最初の呼びかけに耳を貸さないのだから始末が悪い。

結局は民間レベルでのスポーツや文化などの交流を中心に、双方がもう少し次元の高い所でわかり合う努力が必要ということになる。

しかし一方では、日本国内での歴史認識を一本化することも必要だ。
戦時中の不幸な出来事や領土問題など、よくよく考えてみると、我が国国内の「反日的な一部の人」によって混乱させられている気がする。

ここにも戦後の教育に原因の一つがあるようだ。
多くの国民が、自国の歴史を知らなさすぎるのだ。
そのことが、他国に付け入る隙を与えているのではなかろうか。

こう考えると、日本国や日本人は誇りを取り戻し、反日的活動に毅然として立ち向かうことが求められているような気がする。

いささか抽象的な書き込みなったが、隣国との問題は避けて通れるものでもなく、心配がゆえの考えを述べてみた。

posted by 伊藤保徳 at 09:34| Comment(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月12日

マスコミの報道

最近特に感じるようになったことだが、マスコミの報道が正確ではないのでは、という疑問だ。
実際すべてを知っている人はごくわずかであり、報道記者に完璧を求めることは難しいこともわかる。

であるが故に、より客観的な事実を知らせるということが望まれる。

この、客観的事実というのもなかなか難しい。

個人的には、常に国益を意識して欲しいと思っている。

最近の報道で注目されているのが元総理大臣小泉さんの「脱原発」発言だ。
今日、記者クラブで講演されるようで、発言の意図がより正確に報じられることを望みたい。

しかし、今日も朝刊一面に「細川元首相も脱原発」という見出しがあり、記事の論調は「安倍政権批判」である。(中日新聞)

私がこうした記事に「意図」を感じるのは、殊更に対立の構図を作っているということだ。
政府も未来永劫原発を続けるという考えはない。
また、小泉さんも「今すぐやめよう」というのではなく、エネルギー政策の将来として「脱原発を政府が宣言すべき」ということを語っている。

つまり、日本のエネルギー政策に「時間軸」を入れれば、それほどの対立には成らないと思う。
その上で、国民一人一人が、エネルギー問題を自分のこととして考えるような運動に発展させるべきであろう。

それをマスコミが働きかけるべきではなかろうか。

私はそう思っている。

今日の小泉さんの話に注目したい。
posted by 伊藤保徳 at 07:47| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月10日

会議とは

私は今、瀬戸・旭倫理法人会の属しているが、新年度は9月からでである。
従って、新年度が始まって三ヶ月目となる。
今期は新しい役職をいただいていることもあり、今までにないことも体験している。

その中で、一番おかしいと思っていることが役員会である。

今期、愛知県尾張地区の「副地区長」という役目をいただいているが、これは愛知県倫理法人会の役員ということで、毎月の役員会に出席しなければならない。
今日が11月の役員会であった。

朝6時半から8時までの1時間半であるが、そのすべての時間が「連絡事項」である。

連絡をする側が淡々と連絡するのである。
各種委員会と各地区の地区長からは状況の報告がある。
これで1時間半かけて終了となる。

役員会といえば、一般的には議論はないものの、質疑くらいはあるものである。
しかし、全く無いのである。

時間通りに進行するのはいい。
しかし、質疑もなく、一方的に連絡をするだけなら集まる必要がどこにあるのか疑問である。

今期になって三回出席したが全てそうであった。

企業ではこういう極端なことはないと思うが、改めて「開催する意味」があるのか考えて見る必要があるのではなかろうか。

そんなことを思いながら帰ってきた。



posted by 伊藤保徳 at 17:44| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月08日

道徳の教科化

昨日の中日新聞に、「道徳 教科化提言へ」という記事があった。

道徳教育の充実策を検討している文部科学省の有識者会議では、現在正式科目ではない小中学校の「道徳の時間」を強化に格上げし、検定教科書を使うべきだとする提言をまとめたという。

ずいぶん時間がかかっているが、それだけにむつかしい問題だ。

教科化すれば、評価が必要だし、指導内容の均質性を確保するために教科書が必要になる。

この二つが「道徳教育の教科化」を阻んできたといってよい。

今回の提言で、検定教科書を使うということ。
そして評価については、一般科目のように5段階の数値評価はせず、記述式にし、子供の取り組み状況を評価する方法のようだ。

評価方法は「取り組み状況」の評価というのは良いと思う。
つまり、学校生活で周りの人たちに、どう接しようとしてるか、集団の中でどんな役割を担おうとしているかを評価する、というイメージだ。
問題は教科書であろう。

記事を読みながら思ったことがある。
それは、過日、下村文部科学大臣の発言に関係している。

大臣は、「道徳教育という言い方が問題なら、いっそ人間学と言ったらいい。」と発言されている。

この際、道徳教育の教科化は、「人間学」といったらいいと思う。

企業において人材を育成する場合、「人間学」と「時務学」とのバランスに留意してきた。
むしろ、「人間学」を優先してきたと言えよう。

人間学とは、先人の言動を通して倫理道徳を学ぶことであり、時務学というのは、仕事をうまく行うために必要な知識、技術のことだ。

戦後の学校教育では、専ら「時務学」の基礎となる「読み書きそろばん」を教えてきたのである。
それに、「人間学」を加えようというのである。

何もむつかしく考える必要はない。
いろいろな先人を紹介し、子供たちに「あやかりたい人」を見つけさせればよい。
そして、そういう人の言動を真似させたらいいのである。

そうした指導が学校教育における道徳指導だと思う。

道徳教育にあれこれ反対意見をいう人に、子供達を立派に育てようというという気概が欠けていると見えるのは私だけだろうか。
posted by 伊藤保徳 at 06:26| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月07日

整理整頓術

企業活動で、まずは全員で取り組むべきは整理整頓だと思っている。
「3S」とか「5S」とか言われるものだ。

これは、オフィスや工場だけのものではなく、一般家庭、日常生活でも全く同じことが言えよう。
ただ、「5S」などと、硬い言い方をせず、整理収納術などという言い方をする。

言い方はともかく、一般人にわかりやすい表現がであるという点は重要だ。

収納カウンセラーを名乗る飯田久恵さんが、ある雑誌でわかりやすく解説している。

「我が家がオアシスになる収納術」と題して整理整頓のポイントを述べている。

飯田久恵さん流の「整理収納」の極意
1.「収納」とは、ものの「定位置=指定席」をつくること。

2.「片づけ」とは、使ったものを正しく「指定席」に戻すこと。

3.「整理」とは、不要なものを処分すること。

「片づけても、なぜか部屋が散らかる」という人は、この三つを混同しているという。

言われてみればそうだ。
散らかっているのは、使ったあとにもとあった場所に戻していなかったり、不要なものなのに、何となく手元に置いておくからだ。

どうやらポイントは、「戻す」と「処分する」のようだ。

また使うから・・・
いつか必要になるから・・・

これをすぐやめるべきである。

posted by 伊藤保徳 at 08:37| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月06日

役所の発想

11月5日の中日新聞を見ていささか呆れた。

その記事は「特報」で、森の防潮堤がなかなか進まないというもので、それは、国や自治体がコンクリートに固執しているからというのである。

私が初めて森の防潮堤のことを知ったのは、あの大震災から一年ほど経った頃だと記憶している。

森の防潮堤とは、海岸沿いに震災瓦礫で造った盛り土に、地元に生息する樹木を植え、防潮堤と同じ働きをさせるというものである。
宮脇昭・横浜国立大名誉教授が提唱されたものだが、自然回帰で素晴らしい構想だと思った。

当然ながら、国も自治体も大賛成で、順調に進んでいると思ったが、それがそうでもないようだ。

津波で破壊された防潮堤は、更に強度を高めたコンクリートで整備する計画が着々と進んでいるようだ。
どうも、「強度計算こそ」が安全とか効果的の拠り所のようで、コンクリート製の方が計算が容易であるため高いコストながら容認されているようだ。
問題だと思いませんか?

「いのちを守る森の防潮堤」推進協議会の会長で、輪王寺(仙台市)の日置道隆住職のコメントがあった。
「人間はこれまで豊かな自然を壊して生きてきた。その過ちを繰り返そうとしている。」

「海と陸はつながり、生きている。それをコンクリートで遮断すると、短期では利益があるかもしれないが、長期で見れば、海も陸も死んでしまうことになる。」

私もそう思う。

こういうことこそ日本人が世界に手本を示すことだと思うのだが・・・。

posted by 伊藤保徳 at 17:08| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月05日

正しいのは?

小泉元総理の脱原発発言で日本のエネルギー政策が揺らいでいる。

小泉氏の発言に対し、総理時代には推進と言いながら、今更脱原発とは無責任だという声がある。
これに対して、「人は考え方が変わるもの」と反論しているが、どうもレベルが低く心配になる。
どうしてもっと本質的なことが議論されないんだろうか?

こうした事象を目の当たりにすれば、国民の多くは感覚的、情緒的に判断し、やがて世論が形成されて行くのだ。恐ろしいことだ。
マスコミの責任は大きい。

先日新幹線を利用した際、WEDGEに意外な記事があった。

「福島の避難者が見たチェリノブイリ」というたいとるであった。

記事の概略は・・・
驚くことは多々あった。
事故後も2000年までチェリノブイリ原発が稼働していたこと、
今なお送電施設としては機能しており、作業員が防護服なしに働いていたこと、

避難により廃墟となった町があった一方で、
「夢の町」と呼ばれるニュータウンがあったこと・・・

チェリノブイリ原発事故の避難者や研究者との意見交換を経て、
見えてきた未来のへの希望もあった。
繰り返してはいけない教訓もあった。

これは、記事の冒頭に書かれていた文章である。

内容を読んだが驚くことが多い。

そして今朝の産経新聞(大阪)に、櫻井よしこ氏が「原発恐れず議論の時」と題した意見があった。

何が本当に正しいのか?
やはり歴史に学ぶべきであろう。

世界で唯一の被爆国である。
チェリノブイリ原発事故。

わが国の福島原発事故に際し、本当に歴史に学んでの対策が打たれてるのか、大いに疑問である。
世論とやらに迎合し、「原発ありかなしか?」で本当にいいだろうか。



posted by 伊藤保徳 at 07:00| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月04日

ストレスへの対処

情報化社会となり、ストレスも大きくなり精神的な障害を持つ人が少なくない。

過剰なストレスにより、うつ病患者も拡大の一途のようだ。
厚生労働省の調査によれば、平成8年に43万人だったのが、平成20年には何と104万人だったという。
しかも働き盛りの年代が中心である。

ワークバランスという言葉が登場してから随分と時が経つが、相変わらず「ワーク ワーク」のようだ。

適度なストレスは必要だが、過度のストレスが問題である。

ある雑誌(倫風9月号)に、「ストレスは、一日一日をリセットし、次に日にまで持ち越さない」という内容の記事があった。
それはよくわかる。
しかし、一日のことをどうリセットしたらいいかがわからないから「持ち越す」のである。

この記事は「ストレス一日決算主義」という著書のある山本晴義しによるもので、なかなか説得力のあるものだった。

いろいろな処方が紹介してあったが、ポイントは3つである。

「挨拶」「朝食」「スポーツ」である。
挨拶というのは、極めて重要なコミュニケーションである。
同時に、「存在の確認」と、「けじめ」だという。

改めて考えると、確かにその通りである。
そのように意識するかどうかが問題である。

朝食を家族ととるということは、規則正しい生活をしてるかどうかの指標である。
これもけじめある日常と言えよう。

三つ目のスポーツだが、体力や健康の維持増進に欠かすことはできないだろう。
加えて、気分の転換に効果的である。

要は、メリハリのある生活をすることがストレスをためないことになるようだ。

朝早く起きる。
朝食前のウオーキングとブログの更新、そして家族との朝食。

こんな生活にしてから5年くらいになる。
時に夜更かしもするが・・・。

こういう生活は良き循環になると実感している。



posted by 伊藤保徳 at 09:23| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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