2013年08月30日

新聞を読む

近頃、電車の中で新聞を広げる人が殆んどいなくなったような気がする。
通勤時間のラッシュ時でも「新聞を広げるビジネスマン」がいた。
今は、そういう人はいなくなり、替わりに「スマホ片手」の人が増えた。

新聞を「ペーパー」で読まず、「スマホで読む」という人が随分多くなったと聞きますが、私は少し違うと思っている。
スマホで情報の手に入れてるという人は「ニュースを見ている」のであって、読むという事とは違うように思う。

8月27日の中日新聞夕刊に『新聞を広げてみよう』という記事があった。
これは、《メディア観望》という欄のもので、特別報道部の小栗康之氏によるものだ。

「スマホのユーザーは本当にニュースを読んでいるのだろうか?」という疑問を呈してしる。
(「ニュースを読んでいればいいが・・・」というスタンスなので、私とは問題意識が違う。)

そして、スマホユーザーの実態を類推しえいる。
《朝、電車に乗る。前夜に届いたメールをチェックする。フェイスブックで知り合いの発言などを読む。LINEであの奇妙なウサギとクマのスタンプを使い、あいさつを交換する。ツイッターを見る・・・。

データがあるわけではないが、利用者はこんな順でスマホを使用している気がする。

おおむね、人は家族、友人などみじかな範囲の情報を最初に入手したがる。普通の人は首相の方針や遠い国の出来事よりも友人の気持ちの方が気になるし、読んで楽しい。

だとすれば、どうしてもメールやSNSが優先され、ニュースは後回しということになる。技術革新はニュースを入手しやすくしたが、人々は逆にニュースで世間を知ることよりも、スマホで「仲間内」に閉じこもる方向へ進んでいるようにさえ思える。》(以下略)

というわけで、「新聞を広げてみよう」ということである。

もっと新聞を見ようということだが、大賛成である。
朝の習慣の一つにしよう。

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2013年08月29日

史実を知る

歴史の勉強はとても大切だ。
しかし、そのことが事実であるかどうか、なかなか難しい問題だ。
特に日本は、あの大東亜戦争に敗れたことにより、戦後の歴史教育が一変した。

大きく変わったというより、戦前の価値観が否定されたため、事実が隠蔽されたり、ごく小さな出来事を殊更大げさに教えられたため、極めて「自虐的な歴史観」を植えつけられてしまった。

大体において、自国の歴史を「国史」をよばず「日本史」と呼び、世界史との選択をさせるような歴史教育は異常といえよう。

私もそういう環境に中に育ち、「反体制」というのがインテリの象徴のような思いを持っていた。
しかし社会にでて、いろいろな経験をしたり、本読んだりする中で、「どうも違う・・・」という気持ちが強くなってきた。
つまり、「正しい歴史を知ろう」、という向学心のようなものが芽生えた。
その時期は、会社では取締役を拝命したり、地域社会で昔からの伝統文化を守る活動を始めた時と一致する。

もう、今から20数年前のことだ。

以来、日本の史実について興味は増すばかりだし、理解が深まり新しい興味を持つようにもなった。

日本人なら、一日でも早くそういう意識を持ってもらいたいと思う。

先日行った本屋で『完全保存版 日本戦後史』(モトチャンプ・臨時増刊)という本を見つけ購入した。
表紙を見ただけで、「これは読む価値があると直感」した。
表紙は、昭和天皇とマッカーサー元帥が並んだ、あの有名な写真であった。

家で読み始め、あの戦争の「舞台裏」とか「シナリオ」を見る思いだ。
とにかく新鮮である。

第一章では「戦争終結前に決められていた新たな世界秩序」として、昭和20年1月から8月の降伏への経緯が写真と共に紹介してある。
知らなかったことが実に多い。

第二章は、「日本人全員に科せられた復興への大きな試練」とし、マッカーサーの来日から始まり、東京裁判や憲法制定の経緯が紹介されている。

そして第三章では、「東西陣営の対立による特需が日本経済を後押し」、第4章では「有史以来の好景気が始まり高度経済成長へ」として昭和史を描いている。

少し物足りなさを感じたのは「昭和の戦前時代」に触れていないところである。
つまり、明治維新以後、欧米諸国に立ち向かうまでになった明治時代、そして大正時代を経て、軍国化していった経緯もより詳しく知りたいものである。

日本では戦争における「敗戦」とか「それ以後」はよく語られるが、本当に大切なのは「なぜ戦争に突入していたのか?」を明らかにすることではなかろうか。

戦争は正当化されるものではない。
ただし、その経緯は「史実」として正しく理解しておく必要があると思う。


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2013年08月27日

軍事がわからない

24日、富士で自衛隊による軍事演習が行なわれた。
海外メディアにも公開されたようで、夕方のニュースでは「メディアの反応」を伝えていた。
そのニュースはNHKだったと思う。

2日後の26日。
産経新聞の『論人』に、中静敬一郎氏の『軍事忌避する「奇妙な国」考』と題する所見があった。
これを読み、「富士の大演習報道」に対する報道姿勢が何となく理解できた。

氏が冒頭述べている。
《東日本大震災などを通じて、自衛隊への評価は極めて高くなったものの、軍とすることに違和感を持つ人が少なくない》と。
つまり、《日本はいつの間にか、軍事がわからない「奇妙な国」になってしまったのではないか?》という問題提起である。

私も同じような思いをもつ。

先日も、自衛隊を見学する機会を得たが、その活動内容は「救援や災害復興支援」といったものが中心だという説明だった。
国際的に見れば、「立派な軍」であるにもかかわらず、憲法により「軍隊とは違う。でも警察とも違う。自衛隊!」となっている。

「軍は悪」である。
これが戦後民主主義の考えかたである。
又、「軍イコール戦争」という短絡的な考えのもと、「戦争を放棄し平和宣言をした日本が軍を持つことはおかしい」、という理屈であろう。

これも国際的には通用しない、日本だけの「理屈」なのである。

「軍は悪」という価値観の大転換が必要である。

それは、我が国をどう守るかであり、国家として自立をどう実現していくかという根本的な議論をもっとすべきである。
そうした議論なくして「防衛」とか「憲法改正」などはありえないと思う。
いうまでもなく、政治家の中にはこの事を十分理解している人も少なくないが、なんでも反対という人もいる。

やはり国民的な議論をすべきだと思う。
そしてそれが、価値観の大転換につながっていくと思う。

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2013年08月26日

生業を楽しむ

生きるということは「働く」ことだと思っている。
そしてその働くことが「楽しく」感じられたとすれば、それは理想であろう。

言葉を変えれば、「生業(仕事)が楽しい」「生業を楽しむ」という事になる。

実は、この事を28日のテーマにしようと考え、レジュメを用意した。

28日は瀬戸市倫理法人会のモーニングセミナーの日であり、今回の講話は私の担当である。
倫理法人会の事業年度は9月から8月末までとなっており、今年度最後のセミナーという事になる。

現在まで、毎月1回講話を担当しており、全体のテーマとしては「経営のこころ」とし、月々のサブテーマは月刊誌『致知』の特集を参考にしている。

8月号の特集は『その生を楽しみ その寿を保つ』であった。

そこで『生業を楽しむ』というテーマで45分間話すことにしている。

話は私の体験を基本に、それらを「倫理経営的視点」で見つめなおし、何が理に適ってかなっていたのか、あるいは適っていなかったのかを考察するのである。
反省すべきことの方がうんと多いが、そんな中でも「善かったこと」の発見もある。

ある面、「温故知新」の実践なのかもしれない。

今回の紹介事例は、昭和50年代初めの頃営業本部にあって、全国の営業所の現地指導という仕事のことである。
地域の特性がよく出ている営業所運営を、どう合理化し標準化するかという挑戦でもあった。
ただ実態は「営業所を元気にする」という当面目標に邁進していた。

実に楽しく、充実した毎日を送っていた。

あれから30年以上経つ。
今振り返りながら、「なぜ楽しかったのか」を考察しながら、所見を述べるつもりでいる。


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2013年08月25日

特別講演会

私が代表世話人を務める「瀬戸木鶏クラブ」の発足5周年を記念して、特別講演会を企画した。
本ブログは、そのPRである。

日時  平成25年9月25日(水)午後6時30分より
場所  瀬戸市文化センター 文化ホール
講師  文部科学大臣 下村博文氏
演題  「国家戦略は教育にあり」
入場料 500円

木鶏クラブというのは、月刊誌『致知』の読者で、その読後感や意見の交換を通じ、更に啓発しようという「学びの会」で、全国に100以上ある。
愛知県の尾張地域では名古屋と瀬戸市の二ヶ所にある。

今から5年前、発足すべく声をかけたところ、14人が集まった。
毎月1回、第一土曜日の午前中を例会とし、以来一度も休むことなく7月で5年が経った。

5周年で何かをやろうといっていたが、6月号に下村大臣のインタビュー記事があり、「どうせやるなら大臣くらいに来てもらったら・・・」と、お願いをしてみた。
いわば、「ダメモト」であった。

幸いなことに、地元の代議士が下村大臣と親交があり、「OK」の返事をもらった。

大臣のご都合で、9月25日に決まり諸準備がはじまり、先週木曜日に「案内チラシとチケット」が出来上がった。
先週末、関係者と打ち合わせをし、PR活動に入ったところである。

期間は一ヶ月。
全力でPRをして、広い会場(定員1500名)を埋めなくてはならない。

興味のある方は是非お出かけ下さい。

posted by 伊藤保徳 at 15:42| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月24日

緑十字賞

個人的なことで恐縮ながら、数日前に「平成25年度中央労働災害防止協会緑十字賞」の表彰決定の連絡を受けました。
この「緑十字賞」というのは、一般的には馴染みが薄いですが、事業場で「安全衛生活動」に携わったことのある人ならよく知られたもので、それなりの権威がある。
「緑十字」というのは、「安全衛生のシンボル」で「旗」にもなっている。

私は今年の三月まで、愛知労働基準協会の理事であったことや、瀬戸労働基準協会長としていろいろな取り組みをしてきたことを評価いただき、推薦されていたことは承知していた。

この関係の仕事に14年間関われたことは幸せであった。

何よりも、多くの企業(事業所)責任者と知り合えたことだ。

安全衛生は経営上の課題である。

日本の場合経営資源に恵まれておらず、人材こそを経営資源の最重要として考え、その育成にも熱心である。そういう経営でなければ生き抜いていくことはできないといえよう。

その大切な人材を確保していく前提が「職場の安全衛生」である。
「安全作業の確保と維持」「快適な職場環境の維持」など、社員の能力を遺憾なく発揮してもらえる環境整備こそが「安全衛生活動」の究極である。

つまり、「人を大切にする経営」の真髄は、経営者自らが取り組む安全衛生活動だと思っている。

活動は永遠である。

受賞の連絡をもらい、改めて思う。
今は第一線を退いたが、こうした活動への支援は惜しまないつもりだ。

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2013年08月23日

8月15日のこと

8月15日のことを「終戦の日」とか「終戦記念日」とかいう。
私は「終戦の日」といっているが、それは「記念日」という言葉に何となく違和感を持つからである。

この「何となく」という感情はうまく説明できないが、その「モヤモヤした気持ち」を晴らすような記事があった。
8月20日の産経新聞に、佐伯啓思氏(京都大学教授)の「終戦記念日考」があった。

《8月15日は「終戦の日」であった。「終戦記念日」とも呼ばれる。しかし、いったい何を「記念」しているのであろうか。》
こんな書き出しである。

私も同じような「素朴な疑問」を持っている。

佐伯氏の結論は、『8月15日を終戦記念日などということによって、ある大事なことを国民的規模で隠蔽してきた。』というものだ。
そのあることとは、「歴史の事実」である。

8月15日は、日本はポツダム宣言を受託し、降伏を宣言した日である。
そして9月2日から日本の統治権はGHQの最高司令官のもとに置かれたのである。

つまり、8月15日は「敗戦が確定した日」なのである。

ところが、「戦後の神話」は《8月15日をもってあの戦争は終結し、「戦後」が始まった》とした。
「敗戦記念日」や「被占領記念日」などとはいえず、結局「終戦記念日」となった。
これが、佐伯氏の指摘である。

これが「ある大事なこと」なのである。

記事を読み、日本人の「自虐的歴史観」の起点がここにあるような気がする。

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2013年08月22日

識字率と革命

中日新聞の第一面コラム「中日春秋」(8月19日)に、識字率が一定のレベルに達すると「革命」がおきるという「話」を紹介していた。

主旨は、現在のエジプトの状況を「当然である」とする根拠を示している。(一つの考えだが)

コラムでは、人口統計学を駆使して1970年代にソ連の崩壊を予測したことで知られるE・トッド氏の『アラブ革命はなぜ起きたか』(藤原書店)で指摘していることを紹介している。

まず、「フランス革命」は、パリ周辺の男性の5割が文字を書けるようになった時に起きたという。
そして、17世紀の英国の市民革命も、20世紀の初頭のロシア革命も、男性の識字率が5割を越えた頃に起きたとそうだ。

いうなれば、「知への目覚め」が、民衆の政治参加を呼び起こす条件になるとの説明だ。

識字率だけではなく、他に出生率とか内婚率も重要視しているという。
(内婚というのは、一族の絆を固めるため、いとこ同士など身内で結婚すること)

女性の識字率が高くなると、妊娠出産を自分でコントロールするようになり、出生率は下がる傾向があるそうだ。これも革命に関係するという。

こうした諸々のデータから、『エジプトの社会は、呆気にとられるような仕方で変貌しつつある』という指摘をしているとのことだ。

一つの考えだが、「とても説得力がある」。

日本で「識字率が5割」を超えた頃というのが江戸時代の終わりころかもしれない。
思えば、日本で革命といえそうなのは「明治維新」であり、ふとそんなことを思った。


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2013年08月21日

体罰の激増

学校での体罰が激増しているという。

これは「調査の姿勢」が変わったため、いままで表面化しなかったものもカウントされるようになり、「激増」したようにみえるのではなかろうか。
教育現場では、未だ「体罰容認」の空気があるところがあるようで、残念なことである。

産経新聞の「オピニオン」の欄で、曽野綾子さんが「大胆な記述」をされていた。

「体罰が激増」した調査結果を踏まえ、戦前のことにも触れている。

一部原文のまま紹介する。
《私など、戦前の方が体罰は激しかったのだろうと思い込んでいたが、それは軍隊の世界だけで、戦前の日本の教育界には、ほとんど体罰はという存在はなかったらしい。

つまりサーカスの動物ではないのだから、ムチとエサで理解させるのではなく、口でいえばわかる人間を作ることが当然の目的とされていたと思われる。》

この部分は重要な意味を持っている。

曽野さんは、こうした状況をも考え、『一般に言葉を使って自分の思いを伝えることのできる大人が少なくなったと思っている』と、述べている。
同感である。

そして最後に次のように述べている。
《言葉によって人間は、自分の心理を吐き出し、対立した相手との関係修復も図った。暴力教師の増えた理由は、教師たち自身に日本語の表現能力がなくなたからだろう、と私は思っている。》

会社でも同じようなことが言える。
よく怒鳴ったりする管理者は、総じて「日本語づかい」が下手だ。
怒鳴りや暴言は「体罰」に等しい。

もっと本を読み、語彙を豊かにすべきであろう。
私も努力中である。


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2013年08月20日

朝礼スピーチ

昨日は月曜日。
多くの職場で全体朝礼が行なわれたと思う。

私は昨日、水俣に滞在しており、水俣工場での午前8時からの朝礼に出席した。
この工場での全体朝礼は屋外で行なわれているが、午前8時には太陽がジリジリと照りつけ、10分ほどの時間でも額に汗をかいている人が少なくなかった。

その昔、本社から各地の工場や支店に出張した時は、必ず朝礼にでて、「近況など」のスピーチをすることになっていた。
工場や支店の社員にとって、本社の情報は貴重だったようだ。
しかし、社内情報もITの活用により、容易に入手できるようになり、昔のような期待は薄れてきたようだ。

日曜日に、水俣工場の社員と食事をしていて朝礼の話になった。

もう20年以上前のことだが、水俣工場での朝礼で話したことをいまだに覚えていてくれた。
そんな思い出話の延長で、「明日の月曜日、朝礼で何か話して欲しい」ということになり、昨日、8時前に工場にいった。

「どんな話を?」と、聞いてみたが具体的なことは返ってこなかった。
ただ、食事中に「社員の挨拶が不十分だ」、という話題があったのでこの事についてスピーチする事にした。

朝とはいえ、炎天下なので「3分」だけ時間をもらった。

話の内容は、「倫理法人会での学び」についてだが、特に「返事・挨拶・後始末」ということについてであった。
「ごく当たり前のことを、継続し習慣化することこそ重要」というもの。

どれだけの人が「感じてもらった」かわからないが、真剣に耳を傾けてもらい、時々うなづいてもらったところを見ると、こういう「生の声」も時に効果があると感じた。

参考にしてもらい、更にいい職場作りに邁進してもらいたいものである。

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2013年08月15日

サイパンへの旅

今日は終戦の日です。
新聞各紙も「終戦」に関わる記事が多いようだ。

そんな中で、産経新聞の社会面で「サイパン」のことを取り上げていた。
記事の内容は、第二次世界大戦で父、兄を失った2人の家族がマリアナ諸島のサイパン、テニアンを初めて訪れ、冥福を祈ったというもの。

更には、日本統治時代を知る現地男性の談話も紹介している。
この中で、「日本人は勤勉で実直だった。だからこそ、日本の先生に教えてもらったことは忘れられない」との話を伝えていた。

記事を見て1989年のことを思い出した。

河村電器の創業70周年の記念事業で、社員約1100人が「サイパンへ旅行」したのである。

トップから、全国で働く社員が一堂に介したい、更に公平に感じるような場所を、という考えからサイパンに決まった。
全国各地の空港からサイパンに集合。
そこで、全社員のセレモニーとパーティーをやるという趣向だった。

なぜサイパンかといえば、「日本人として先の大戦を顧みる地」であること、日本と時差がないことが決めた理由であった。

1989年10月10日午後6時現地集合ということで、行程は出発地から2泊3日であった。
現地での集合が、旅行の最終日というグループもあれば、その日から旅行が始まるというところもあった。

現地の観光局から絶大な歓迎を受けた。
サイパン島のメイン道路にも歓迎の横断幕が掲げられたほどだった。

日本人に対する好意的なもてなしは今でもよく覚えている。

その後、5年くらいはサイパンによく出かけていたが、日本はバブル経済の崩壊があり、日本人観光客は大幅に減ってしまった。
それに変わって増えたのが韓国からのお客であったようだ。

90年代後半、久しぶりに出かけた時、現地の人たちが嘆いていた。
韓国からお客さんが来るのは嬉しいが、部屋の使い方が日本人と違ってヒドイ。
特に、部屋でのキムチ鍋などで、臭いが就いてしまって困っているとのことだった。

今は果たしてどうだろう?

悲惨な戦争を繰り返さないためにも、当時の日本軍が統治していた現地を訪ねることは必要だと思う。

こんなことを思う終戦記念日である。


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2013年08月14日

終戦の日

明日は終戦の日である。
各地で戦没者の慰霊祭が行なわれる予定になっている。

日本国民の一人として、我が国のために尊い命をささげられた多くの先人に哀悼の意をささげます。
同時に、平和への誓いと共に「正しい歴史」を確認する日にしたいものである。

1980年代までの日本は、「まずは経済による立国」を目指し、努力をしてきた。
世界の国々からは、敗戦からの奇跡の復興とか、経済は一流とまで言われるようになった。

トップランナーの背中が見えるまではよかった。
しかし、見えなくなった途端迷走し始めた。
それがバブル経済崩壊後の20年ではなかろうか。

自身で目標を作り出し、世界意をリードすべきだった思うがそれができなかった。

その一番の原因は「国としての誇りや尊厳」が希薄だったからだ。
2600年以上の国家の歴史がありながら、たった1回の敗戦で、戦勝国により見事なまでに骨抜きにされてしまった。

我が国の歴史を執拗にまで否定し、「自虐視」するまでになってしまった。

そうしたことの一つが「8月15日の靖国神社参拝問題」である。
「問題」と書いたが、何も問題ではなく「反対」とか、「批判する」ことのほうが異常である。
特に、近隣の中国と韓国である。
何をそんなに騒がねばならないのか疑問だが、明らかに両国の「意図」を感じる。

この、「靖国問題」にどう対処するか、日本国として「誇りや尊厳を取り戻す」試金石のような気がする。

外国に対して「どうこう言う」前に、まずは国内、日本国として共通普遍の認識作りから始めるべきである。
マスコミ対策も必要でしょう。
学校教育で「正しい歴史認識や日本人の価値観」を教えるべきでしょう。
靖国神社参拝をもっと奨励すべきでしょう。などなど。

まずは我が国日本の確固たる姿勢を早く確立すべきだと思う。


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2013年08月13日

生活満足度

8月11日の中日新聞に、「生活に満足・71%」という見出しがあった。

先の参院選で、民主党を初めとする殆んどの政党が、「国民の生活は困窮している」とか、「格差の拡大が更に進行している」などいう言葉を多く聞いた。(私の印象だが・・・)

だからというわけではないが、「生活に満足71%というのはどこの国のことか?」と、一瞬思った。

このデータは、内閣府が今年6月、全国の成人男女1万人を対象にして行った「国民生活に関する世論調査」の結果である。
データを見てみる。
現在の生活に「満足」・・・71.0% 昨年比3.7ポイント増
これは、1995年の72.7%以来、実に18年ぶりだという。

「不満」というのは、27.6%で、昨年比4.4ポイント減だった。

調査結果は分野毎のものも紹介されていたが、私は「満足・不満足」の結果に正直驚いている。

その昔言われていた「1億総中流意識」そものではなかろうか。
「満足・不満足」という、主観的な回答ではあるが、一つの推論として、世の中の流れに身を任せてしまっている人は、今の生活に「まあ、こんなもんか」という気持ちで「満足と回答」しているのではなかろうか。

一方「不満足」と回答した人というのは、あるはっきりした欲望があり、それがなかなか叶えられない状況にあるのではなかろうか。
全てではないが、大きな比率を占めてるのではなかろうか。

こうみてくると、主観的とはいえ、「生活に満足71%」というのは手放しでは喜べない。

記事の中で、この結果に対する所見として総理府の担当者のコメントを紹介している。
『円安、株高で経済情勢が好転しつつあることが影響した。』
以上のような分析結果を述べているが、「それでいいのか?」と思う。

多額の費用を使って行なわれる各種調査。
もっと広い視野で分析してもらいたいと思う。


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2013年08月12日

地域の行事

今の時期、各地で夏の行事が真っ盛りである。
こうした地域の行事に、企業としてどうすべきであろうか。

大企業では、自社でもつグランドなどを開放し、そこで地域の人たちを巻き込んでの行事をされていることをよく聞く。
でもそれは、企業が主体性をもっての行事であり、ある面「広報活動」の一環といえなくもない。

そうした行事ではなく、昔からある地域の行事に企業としてどうかかわるかという問題である。

「町内会会費を納めている」「お祭りにお供えをした」「花火などの協賛をした」などなど、いろいろな行事への「協賛」という関わり方もある。
しかし、本当にそれでいいのだろうかと思っている。

随分前に「企業市民」という言葉がはやった。
そしてその後、「企業の社会的責任」とか「社会貢献」ということがいわれている。

企業は「自身の事業を通じて社会に貢献するのが本来」ではある。
しかしそれだけでいいのだろうか。
地域ともっと深い関係性を持つべきではないかと思う。

規模の大小にかかわらず、少しだけ地域に気遣いする気持ちを持つだけで違ってくるように思う。
その上で、「協賛」もすべきであろう。

「仕方がないから・・・」という後ろ向きな気持ちでは喜ばれないのではなかろうか。

今週末、水俣に出かけるが、地域の祭りである「桜ヶ丘観音祭」の準備(力仕事)の多くは河村電器水俣工場の社員が担当している。
こうした協賛の仕方は、モデルの一つだと思っている。

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2013年08月11日

本を処分する

今まで持っている本を処分するという気持ちは全くなかった。
いつまでも「本に囲まれて」生きていきたいと思っていた。

それが最近「処分しなければ・・・」という気持ちになってきた。
収納スペースといった物理的な理由からではない。

思えば、「手に入れた本はずっと身近に置いておきたい」というのは親父に似たのかもしれない。
父親の収集癖は本や古文書、骨董品にいたるまで幅広いものであった。
しかし、亡くなった以後、それらの収集品に目をくれる人はほとんどいないのである。

価値あるものがなかったといえばそれまでだが、主人を失ったそれらは「単なるゴミ」なのである。

今年は11月に祖父の50回忌と父の13回忌の法要を営む予定でいるが、父親の持っていたもの(仕事(大工)の道具や収集品)を全て処分しようと思っている。

そう考えた途端、自身の周りにある本も処分した方がいいと思うようになった。

本の処分というのはなかなか踏ん切りがつかないものだ。
処分する前に「どんな内容だったのか」、と少しのつもりでページをめくるとついつい読んでしまうものだ。したがって、始めた意気込みはすぐにどこかにいってしまうものである。

ただ今回は今までにない決心をしている。

まずは書棚に入りきってない書籍を「納めるか処分するかの二者択一」から始めた。
納めるためには、現在の書棚から「処分すべき数冊」を選ぶ必要がでてくる。
これをまずは始め、つぎは「書棚スペースを減らす」行動だ。

この段階になり、処分には二つの方法があることに気付いた。
「寄贈する」か「処分する」かである。

そんな作業を今は行なっている。

購入し、十年以上全く開いていない本も沢山ある。
「だから不要だ!」ともいえない本もある。

まとまった時間で行うというより、少しづつ処分して行こうと思っている。

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2013年08月10日

歓喜の銅メダル

世界陸上モスクワが始まった。
甲子園も始まり、「冷房のきいた部屋でテレビ観戦」で、電力使用はピーク。

今日からが帰省のラッシュとの報道。
高速道路は40キロ近い渋滞。新幹線の下りは全てが満員。

3.11以来、価値観を変えるとか、エネルギー問題がやかましく言われるようになったが、実態は「80年代のまま」のような気がしてならない。
本当にこれでいいのだろうか・・・。

この問題は改めて考え、所見を述べたいと思っている。

さて今回は、世界陸上の話題だ。
大会第一日目。
女子マラソンで福士選手が見事に銅メダルを獲得した。
テレビでは、中間点あたりから見始めた。

女子マラソンはひと頃日本のお家芸で、メダル獲得種目でもあった。
ところが勝てなくなった。
いつだったか、勝てなくなった理由を評論家が述べていた。
「日本の練習方法を各国が取り入れたから」・・・と。

走ることについて、「体格・体質」共に劣っている日本女子が、世界大会でメダルを獲得していたのは、一にも二にも「練習」だという説明。
それを今や世界が取り入れているようだ。

何となくわかるような気がするが結果を見る限り納得せざるを得ない。
だから今回も、ほとんどの人が予測していなかったようだ。

今回出場した「福士、木崎、野口」の三選手。
野口選手は途中棄権だったが、福士、木崎選手は3位4位のゴールだった。

その要因は専門家に譲るとして、観戦していて理屈なしで嬉しかった。
福士選手のゴール前の表情は、本当に42キロを走り切った人なんだろうかと思えるほどの表情だった。
まさに、歓喜の銅メダルである。

世界陸上も第一日目に「女子マラソンで銅メダル」という成果。
これを弾みにしてもらいたいものである。

明日の朝刊が楽しみである。

posted by 伊藤保徳 at 22:39| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月09日

月刊誌の読み方

人間学を学ぶ月刊誌『致知』を教材とした勉強会を始めてちょうど5年になる。
この月刊誌は9月で発刊35周年になるとのこと。

思えば、購読を始めて24〜5年になるが、しっかり読むようになったのは勉強会を行なうようになってからである。
勉強会の一つの効用である。

更に私の場合、瀬戸市倫理法人会で毎月1回講話(45分間)を担当しており、2年位前からは『致知』の特集を講話のテーマにしていることもあり、より深く読むようになった。
これもありがたいことだ。

ただ気をつけているのは、そのつきの特集を紹介するだけではなく、その記事をベースに「自己の体験」と「純粋倫理での学びや気付き」を話の核にしている。
このことにより、理解がより深まっていると感じている。

8月の勉強会は既に終わった。
『致知』8月号の特集は「その生を楽しみ その寿を保つ」であり、これをタイトルにした講話内容をこれから組み立てるところである。
講話を担当する日は今月28日であり、まだ時間はある。
しかし、しばらくは持ち歩きながら「焦点」の絞込みをしようと思っている。

「その生をたのしむ・・・」とは、「生業を楽しむ」と解説があり、この「生業」を仕事と考え、「仕事を楽しむ」という視点でストーリーを組み立てようと思っている。

それは、純粋倫理の中に「喜んで働く」という考え方が示されているからであり、多くの人(セミナー参加者)の共通的な課題であるからだ。
しかも自身の過去の経験から、「仕事が全く面白くなかった」「やるべきことがわからず苦労した」「仕事が面白くてしょうがなかった」、というような時期があり、体験としてもいろいろなことが紹介できそうである。

こんなことを考えながら少しづつ準備をしている。

一番大変なのは、毎回の出席者がほぼ同じであり、同じ事例紹介は失礼だということだ。
いつも新しいネタで望んでるつもりだが、この点は気を使うところである。

posted by 伊藤保徳 at 10:04| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月08日

道徳心を植える

人間学を学ぶ月刊誌「致知」を使っての勉強を行なっているが、これが「瀬戸木鶏クラブ」というグループだ。
縁あって設立時から世話人を務めているが、8月で5周年となった。
節目でもあり、同時に我々が学んでいることを知らせ、仲間も増やしたいということから、5周年記念事業を行なうことにした。

勉強会で毎回のように話題になるのが「教育問題」である。

教育問題というのは、いろいろな角度から議論百出であるが、ポイントは「教育の有り様」である。
そんな共通認識から、我が国の「教育政策・改革の内容」が聞きたく、下村文部科学大臣にお願いしてみようという事になった。

地元代議士の口ぞえもあり「9月25日」に瀬戸市で講演いただくことになった。

大臣にお願いしようと決めたのは、「致知」6月号にあった、下村大臣のインタビュー記事に大いに共感したからである。
その一部を原文のまま紹介する。(「致知」6月号33ページ)

「道徳心をいかに植え付けるか」
《戦後教育は戦前教育の否定から始まっています。当然、否定すべきものもあったと思いますが、よいものもすべて否定しました。
では、そこから新しい価値を見出したかというと、逆に歴史教育の自虐観に見られるように、日本人としての誇りと自身を奪うような教育が行なわれてきたわけです。

深刻化するいじめ、これも戦後教育のツケだとおもいます。
先般、官邸で教育再生実行会議を立ち上げましたが、その第一の提言がいじめ対策です。今、小中学校のうち実に17万5千人が不登校。おそらく半分近くがいじめが原因だと思います。

死にたいと考える子をいかに救うか。これは早急に対応しなくてはいけませんから今国会でいじめ対策防止基本法を成立させるために動いているんです。

その提言には他にも大きな柱として道徳の教科化を挙げています。
戦後教育では「修身」も「教育勅語」も否定されました。数学とか英語というアプローチだけで、人が人としてどう生きるかという教育、知徳体の徳の教育がなされてこなかった。
いじめの根本にはそれがあると思います。

私が考える道徳の教科化とは、子供の発達段階に応じて、人はどう生きるのかを教えることです。ですから道徳というより広い意味で人間学と言ったほうがピッタリくるかもしれません。》(以下略)

全く同感である。

大臣の講演が楽しみである。

posted by 伊藤保徳 at 09:45| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

心の持ち方

昨日、月刊誌「致知」が自宅に届いた。9月号である。

この月刊誌を教材にし、勉強会(瀬戸木鶏クラブ)を開催しているが、毎月第一土曜日であり、読み始めるのは月中くらいからである。
ところが今回はすぐに開いた。

驚いたことについ先月、久しくお話をさせてもらった「尾車親方」のインタビュー記事があった。
今号の特集は『心の持ち方』であり、親方の記事のタイトルは「怒涛の人生・かく乗り越えん」であった。

先月は大相撲名古屋場所があり、尾車部屋の宿舎は瀬戸市にあり、しかも我家の近所であった。
宿舎提供の方とお付き合いがあり、部屋の激励会や千秋楽の打ち上げに招いてもらっている。そんな縁から親方とはいろいろな話をさせてもらっている。むろん怪我についてでもある。

昨年の4月、福井巡業中に、体育館に敷かれたシートに足を引っ掛けられ転倒、脊髄損傷で四肢麻痺になられてしまった。
手術をされ、猛烈なリハビリの結果、先月の名古屋場所には元気な姿を見せられた。
痩せられましたが、杖を使って自力歩行ができるまでに回復された。
驚異的な回復力だそうだ。

記事は、事故から手術、そして復帰を目指してのリハビリの様子。
相撲の世界で「心の持ち方」を学び、自身の生き方を通して弟子を育てていこうとされていることを語られている。

中でも印象的なのは、親方の力士時代、師匠から言われた言葉である。
『心・技・体は、心も技も体も優れていることじゃない。順番なんだ。』

要するに、心が一番、技が二番、体が三番。
技や体が優れていても、心がダメなやつは相撲がダメだ。
少し怪我があっても、心がしっかりしていれば勝てる・・・師匠はこう力説されていたという。

「心」が如何に重要かということだ。

直接話をした人でもあり、しっかり読み込み多くを学びたいと思っている。
9月の木鶏クラブが待ち遠しい。

posted by 伊藤保徳 at 10:31| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月05日

終戦の日

今年も8月15日が近づいてきた。
毎年のことだが、マスコミは「戦争に関わる」ことを多く記事にしている。

長い長い自民党政権の時代でもそうであったが、あの民主党への政権交代があったことで隣国の日中、日韓の関係に変化がでてきたように思う。

長期自民党政権の外交がよかったというわけではないが、民主党政権の3年間は「外国に付け入るスキを与えてしまった」ように感じる。
中国との尖閣問題や韓国との竹島問題や従軍慰安婦問題などが大きな話題になっている。

そうした問題の多くは、かの大東亜戦争に起因しているようだ。
「敗戦国だから・・・・」という理由だけで、理不尽な言い分にも耐えてきたのが日本の戦後ではなかろうか。
加えて、自国の歴史を「自虐的に見る教育」により、「謝罪・沈黙」を通してきたともいえそうだ。

こう考えていくと、「終戦の日」というのは、かの対戦を振り返る大切な日である。
マスコミで「終戦」を取り上げることはいいことである。

ただ問題だと思うのは、「戦争はいけない」という誰でもが同意することから次への発想である。
つまり、自虐的な歴史観から「日本人はまた戦争に向うのではないか?」という仮設だ。

こうした考えがベースにあり、「国家・国旗問題」「靖国神社への参拝」「道徳の教化」などが、ナショナリズムとか軍国主義の再来という論調で、結果「反日運動の誘導」になっているように思える。

こうした考えの人は、「自国日本」をどうしようとしてるのだろうか。

このまま間違った歴史認識の上に、外国からの理不尽な要求に、ただひたすら従えとでも言うのだろうか?
そうすることが本当に地球平和になるとでも思っているのだろうか?

一般的には「そうなるはずがない」と思っている。

しからばどうするかということだ。

私は、この「終戦の日」を、「日本の歴史を考える日」としてはどうかと思っている。
2673年前日本は建国した。
そして、国として戦争に初めて敗れたのがあの大東亜戦争だった。
つまり、終戦は我が国にとって「第二の建国」のスタートである。

サンフランシスコ講和条約で独立を果たす日本だが、あの戦争へと走り出したころから昭和27年4月28日までの時代をキチンと総括し、国としての統一見解を示すべきだ。

その上で、歴史にかかわる「談話」それぞれを検証すべきである。

こういうことを考えたり、議論したりするだけの情報の提供がマスコミの一つの役割ではなかろうか。


posted by 伊藤保徳 at 08:04| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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