2013年07月31日

反日行動

韓国の反日的行動が話題になっている。
先のサッカー東アジア・カップ男子の日韓戦で、韓国の応援団が「歴史を忘れた民族に未来はない」とハングルで書かれた横断幕や、伊藤博文を暗殺した安重根が描かれた幕などを掲げたという。

スポーツに政治が持ち込まれた格好で、日本サッカー協会は主催の東アジア連盟に抗議文を提出したという。

それにしてもどんどんエスカレートするばかりで、困ったことである。

更にはこの試合中、日本の応援席で「旭日旗」を振ることを問題視し、メディアも「不穏な出来事」として報じたようである。

エスカレートしていると言うのはこういうことで、自分たちの行動は棚に挙げ、「旭日旗」は日本軍国主義の象徴として「ケチ」をつけ、黙っていると「日章旗」までもが批判の対象にされるような雰囲気である。
どうしたらいいのか、もっと日本国として真剣に考えるべきである。

日本人が、自国の国旗を大切にしていないという「ツケ」がこうしたところにも現われていると思う。

今朝(7月31日)の産経新聞には、このことについて詳しく報じている。
他の新聞は中日以外は読んでいないが、扱いはきわめて小さい。
「どうしてなのか」、疑問が湧く。

さて、産経の記事の中で、時事通信社でソウル特派員を務めた評論家の室谷克美氏が「韓国の実情(?)」について述べている。
怖い話だが紹介する。(原文のまま)

《昨年のロンドン五輪で、韓国人選手による竹島プラカード事件の際、韓国側からは、日本の旭日旗を『ナチスと同じ』と問題視する主張が持ち出されていた。

世界に浸透しなかったが、韓国国内では支持されており、今回の事件はその延長線の出来事と思えてならない。

彼らは反省はおろか、自分たちを反日とも考えていないだろう。
世界中が日本を嫌い、その中心に正しい自分たちがいるとさえ思っている。

放っておけば、いずれは日章旗もダメと言い出すに違いない。

呉善花さんの入国拒否劇でも興味深いのは韓国のメディアが言論の自由について語らないこと。民族としての独特の優越意識に根ざしているように感じる。》

我が国も、何らかの手を打つ必要があろう。
黙っていては「容認」と思われてしまうだろう。

冷静に、大人の対応をしたいものだ。

まずは、こうした自体を全国民に知らせ、「世界の中の日本」を客観的に理解させる努力をすべきであろう。
ことが起きてからでは遅いのである。


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2013年07月30日

キャリア教育再考

昨日、福井市の清川メッキ工業株式会社に行ってきた。
目的は「キャリア教育の推進状況視察」であった。

この会社はキャリア教育の分野では群を抜いて素晴らしい活動をされている。
数年前に、「企業の教育CSR」というファーラムでこの会社の専務と一緒したことがある。
その時の発表もユニークで素晴らしいものであったが、私としてはもう少し経営の根本のところが知りたかった。

昨日、その思いがかなった。
午前11時に到着し、説明から昼食をはさんでの工場見学、その後、福井市商工会議所青年部の方々も入っての意見交換会。
終了したのが午後4時だったが、その間専務は一時も中座されることもなく一緒であった。

このキャリア教育に並々ならぬ情熱を持っておられることを改めて感じた。

一番印象的なのは、「キャリア教育の王道」を感じた。

今、我々(瀬戸市のキャリア教育)が取り組んできる教育の中心は「職場体験」というものだ。
瀬戸市では中学2年生に対し、「進路指導」の一環として「職場体験」が以前から行なわれており、キャリア教育が登場したとき、スムーズな導入ができた。

それは、「職場体験」の実績があったからであろう。

しかし、この職場体験というのは「キャリア教育の一環」であり、その狙いとする「働くことの意義」とか、「仕事の面白さや難しさ」を本当に理解させているかといえばそうとはいえない状況にある。

我が社でも同じである。

中学2年生を受け入れ、まるで「アルバイト」のように使っているのではなかろうか。
あるいは、仕事の意義や面白さを伝えて入るのだろうか?
こんな反省と疑問が湧く。

清川メッキ工業の「キャリア教育の思想」は素晴らしいと思った。
『地域で「生き抜く力」を協働で育てる』という理念を持って進められている。

ここでいう「生き抜く力」とは、まずは「働くこと、仕事をすることの意味」をキチンを教えることである。

私は、どんな企業でもできる「地域貢献(投資)」こそが「ひとづくり」であると思っている。
自社の人材育成はもとより、地域の子供たちにその機会を用意し、自ら実践をしていること。
このことがキャリア教育の根幹にあることが素晴らしいと思った。

そしてこれこそが「王道」だとも思う。

瀬戸市も、我が社も再考が必要だ。

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2013年07月29日

祈りの語源

最近、お伊勢への参拝とか、瀬戸の産土神といわれる深川神社での祭礼に参列させてもらい、手を合わす機会が多い。
いい事だと思うが、皆さんは神仏に手を合わせるとき、一体どんなこをことを心に思われているのだろうか。
ふとそんな思いをもった。

7〜8年位前に、お伊勢さんに行ったとき、初めて「ガイド」をお願いした。

「外宮」の鳥居の前であらましの説明を受け、早速「正宮」へを向った。
歩きながら、いろいろな説明を受けたが今でも鮮明に覚えているのは、「神様に手を合わすといつのは感謝の気持ちをささげることなんだ」、と。
「人間を願い事を聞いてくださる神さんもおみえになる」そうだが、ごく僅かなようだ。

でも、「手を合わせるの感謝の気持ちをささげること」だけなんだろうかとモヤモヤした気持ちがあった。

7月26日の産経新聞「正論」欄で、筑波大名誉教授の村上和雄氏が『祈りとは「生命の宣言」である』という考えを述べていた。
これを読み、モヤモヤが晴れた。

氏は、「祈りの語源」を「生宣り(いのり)」という解釈を紹介しながら、まさに、生命の宣言だと説明している。
手を合わすことと「祈る」ことを、全く同じだといえるかどうか。
議論はあると思うが、私は「イコール」だと思っている。

次のようなことを述べている。
《人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けている。そのようの苦しいとき、人は「自分はめげずに頑張って生きるぞ」と宣言する、それが祈り(生宣り)である。

そうした「生命の宣言」をすると、祈る人の遺伝子も活性化して、いきいきと暮していけるようになると考えられる。》(以下略)

神仏に手を合わす時、「日頃の感謝とともに、生きる宣言」をしたいものだ。

考えてみれば、「お願い事」というのも、「その成就のために頑張ります」、という宣言に他ならないかもしれない。


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2013年07月28日

忍び寄る影

産経新聞で、オウム真理教についての連載記事が終わり、ブログでも取り上げた。
いまだに「麻原を信ずる者」は絶えず、むしろ形を変えて入信への誘いの手が伸びているという内容だった。

連載記事のタイトルは「忍び寄る影」というものであった。

数日前からその「番外編」として、かの「上祐史浩氏」へのインタビュー記事が掲載された。

読んでみて驚くことばかりだ。

《麻原とは完全に決別した。麻原の唱えた教義をそのまま受け継いで入る団体「アレフ」を批判しながらも「宗教の世界」からは抜け出せないようだ。》
こんな印象を持った。

インタビューでは、上祐氏の言動における矛盾点をついているが、やはり「ああいえば上祐」と流行語となった本人らしく、煙に巻くような発言である。

上祐氏が自ら宗教団体(「ひかりの輪」)を主宰していることについて、《あなたが主宰する意味は?》という質問に、驚きの回答をしている。

問い・「あなたがする必要はないのでは・・・」
上祐氏「カリスマ性のある人間が、バランス感覚を持ち、神ではないと自覚しながら上下関係を形成することが課題ですから」

問い・「自身にカリスマ性があると認識している、と」
上祐氏「簡単に言うとまあ、そうですね」

このやり取りをどう考えるかです。
私には理解不能な領域です。

自身への「自信過剰」も感じますが、結局一般人はどう対処したらいいんでしょうか?

posted by 伊藤保徳 at 10:27| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月26日

わかっているはず

ブログとは言え、個人の批判はすべきではないと思っているが、この人は問題があると思う。
元首相の菅直人氏である。

政治に関する講演会では「ボロクソ」に言われている。
でも、一国の首相まで務めた人であり、いろいろな批判について「十分わかっているだろうに・・・」と思っていた。
しかしながら、先の参議院選挙における活動を見るに、やはり「問題の人」だと思った。

民主党の選挙惨敗結果を受け、細野幹事長は責任を取っての辞任。
しかしその前に、「菅直人氏の除籍処分提案」をしたという。
選挙期間中の菅氏の行動は今更紹介するまでもなく、党人として、あるいは政治家として「あるまじき行動」をしているのであり、「除籍」は言うに及ばず、「今すぐ議員を辞めてもらいたい」と思うほどだ。

でも、民主党幹部には「それに反対する人がいる」という。

一体全体民主党はどうなってしまったのか?

日頃高邁な理屈を並べられているが、人としての「出処進退」が全くわかっていないのだ。
でも思う。
「わかってるはずなんだが・・・」

今朝の産経新聞にもそのことが大きく報じられていた。

産経新聞の政治部編集委員の阿比留瑠比氏にあっては、《今や菅氏の名声はしぼむ一方だ。これ以上「元首相」の肩書きを軽くしないためにも、勧告に従いバッジを外して市井の市民運動家に戻ってもらいたい。》と述べている。

私は民主主義社会というのは自由であるが、「義務先行」であると思っている。
いわゆる権利の主張は、まずは義務を果たしてからするべきだと思う。

菅氏でいえば、「元首相」という肩書き、政治家という立場の「義務」を果たしているのか疑問に感じる。

発言や思想の自由という「権利のみで行動」しているように思えてならない。
だとすれば、やはり問題である。

そういう人を、短い期間とはいえ、「総理大臣に戴いた日本国民は極めて不幸」である。
これからも「元首相の肩書き」は無くならないのである。

posted by 伊藤保徳 at 09:16| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

技能オリンピック

今月の上旬にドイツで技能オリンピックが開催され、日本の金メダル獲得数は5個にとどまったという。

7月24日の中日新聞に大きく報じられていたが、このオリンピックに出場した選手の多くが、トヨタ自動車関連であり、どうも「ローカルの扱い」のようである。

記事によれば、2年おきに開催されるこのオリンピックで、日本が金メダル獲得数第1位であったのは07年で、その後09年、11年、そして今年の1位は韓国であったという。

今年の大会は、52ヶ国、986人が46競技に参加、日本は金5個、銀4個、銅3個という成績だった。

これまでの成績や、韓国などの成績などは紹介されておらず、詳しいことはわからないが、国として「力が注がれてない」ことは事実のようだ。

日本では、就業能力を高める目的で厚生労働省が所管してるそうだが、「技能オリンピンクで勝利すること」は大きな目的にはなっていないようだ。
実態から言えば、技能訓練を行う公的期間は少なく、その範囲も限られたものであり、自社に訓練校を持つ大企業の独壇場になっているようだ。

日本の強さを説明する時、必ずいわれるのが「ものづくり」である。
しかし、それを支える「技能」が計画的に育成されていないとすれば問題である。
「技能オリンピックでの金メダル獲得数」が、「ものづくり力」の全てではないが、要素の一つであろうし、「国のイメージ」にはそれなりの影響があろう。

ここ3年の金メダル獲得数の順位である。

09年 1位・韓国、2位・スイス 3位・日本
11年 1位・韓国、2位・日本、3位、スイス
13年 1位・韓国、2位スイス、3位、台湾

人が大きく変わらねばならない時。
日本のお家芸とも言われる「ものづくり」。
国際市場の中で、「メイドインジャパン」のブランドを維持していくためにも、ここはネジを巻きなおし国家レベルで「ものづくり技能強化」をするべきではないか。

競技が46種類もあるというが、それすらも知らないのではないか。
また、競技方法や狙いが違っているものもあるという。
例えば、「CNC旋盤」の競技で国際大会では半自動式の機械を使うが、国内大会では手動式だそうだ。(手動式は既に現場では使われていない。)

記事で、国内大会を運営する中央職業能力開発協会のコメントが載っている。
『においや音で機械の操作の加減がわかってこそ、新しい技術も生み出せる』とのこと。

永年の経験により、そうした境地になることはあるかもしれないが、「においや音で・・・」などといっていては技能は上がらない。つまり、「経験年数だけを熟練度の指標」にしていては遅れるばかりだと思う。

「人材こそがわが国の資源」
こう考えたら、もっと力を入れる分野だと思うが・・・。

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2013年07月23日

新聞の比較

産経新聞で気に入っているコーナーがある。
不定期だと思うが、『社説検証』というものだ。

産経新聞を購読するまでは、こうした新聞各紙を比較する記事は見たことがなく、せいぜい「引用」する程度のことだったと思う。

しかし、この「社説検証」はズバリ、各紙の比較記事である。

どの新聞が自分自身の考えに近いのかを知るのに参考になる。

さて、7月18日は、『防衛白書』についての各紙の社説比較であった。
参考までに各紙の社説概要は次のとおりである。

産経・「国守る決意実行の議論を」  11日付
朝日・「脅威を語るだけでは」    10日付
毎日・「安倍カラーが満載だ」    10日付
読売・「中国の危険行動を抑止せよ」 10日付
日経・「厳しい安保観に見合う防衛を」10日付
東京・「信頼醸成にも力を注げ」   10日付

社説はその新聞社の「価値観表現」といわれている。
報道は公平であるべきだが、やはり人が関わっているのでその社の価値観は反映される。
そいう意味で、社説はこうして並べてみてみることは有効である。

産経新聞がこうした比較記事を掲載していることは意味あることだと思う。

つまり、どこの新聞がいいとか、筋が通っているとかの評価は「読者」であり、その判断は「比較すること」によってよりハッキリするからだ。

今回の防衛白書について、各紙の取り上げ方はまちまちだ。
それは、立ち居地というか、切り口というか、「防衛白書」をどういう姿勢で捉えるかによって大きく異なってくる。
当然のことである。

この事を承知しながら、新聞ファンの一人としてを毎日読んでいる。


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2013年07月22日

足るを知る

過日、「ブータン」という国のことを書いた。
規模は違うが「研究してみる価値」があるのではなかろうかと思ってである。

その時は二つの新聞記事を見て思いついたことを書いたが、一つの記事に、ブータンに住む日本人に「ブータンの国民性を訊ねたら・・・」という内容があった。
答えは、一言でいえば『足るを知る』とのことだった。

科学技術の進歩のお陰で、今の日本はとても便利になった。
しかしながら、その欲望は尽きることはない。
もう、いいかげんに「求めることをやめてはどうか・・・」と、昨今思うようになり、ブータンの国民性が「足るを知る」と聞き、やはりブータンを研究すべきだと思った。

ところが偶然であるが、先日戴いた本(社団法人実践倫理宏正会会報『倫風』7月号)の巻頭にこの「足るを知る」が取り上げてあった。
正確には、『吾唯知足の心』(われただたるをしる)であった。(上廣榮治氏・述)

内容の一部を紹介する。

《「吾唯知足」とは、「私は足りていることだけを知っている」、つまり、現状に満足しているということです。

人間、あれが足りない、これが足りないと不満を言い出すときりがありません。
「知足」は現状をあるがままに受け入れる「現実大肯定」の態度です。

勿論、安易に現実に盲従するのではなく、一歩進んで、現状をより善い方向に進める努力を惜しんではならないという戒めも含んでいると、私は解釈したいと思います。

現実を大肯定したうえで、そこから「我も人もの仕合せのため」に努力して、「新しく大地に生き貫く」ことこそ大切なのです。》(以下省略)

こういう心になるのはなかなか難しいが、「足るを知る」ということを意識することはできる。
日常生活で、「現実大肯定を意識」すれば、何かが変わるように思う。

意識したいものである。

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2013年07月20日

平和憲法

昨日に引き続いて憲法に関する話題。

今朝の産経新聞に、「拉致被害者家族の方々が、今の憲法をどう思っているのか」について紹介があった。

「阿比留瑠比の極言御免」という欄で、有本明弘さん(拉致被害者、有本恵子さんの父親で、拉致被害者家族会副代表)から寄せられた手紙が紹介されている。

ズバリ、「拉致問題が解決できないのは、わが国の争いを好まない憲法のせいであると悟ることができました」
切実ではあるが、ある種「諦めの思い」をも感じる内容だ。

手紙には、有本さんが過去、新聞への投稿文や、拉致問題の集会で読み上げた文章も同封されていたようだが、そうした中にも憲法に関する文章があったようだ。

「憲法改正を実現し、独立国家としての種々さまざまな法制を整えなければ、北朝鮮のような無法国家と対決できません。」

これもまた、拉致被害者の家族として、無念な思いが伝わる文章だ。
記事でも、《実際に外国によって危害を被り、苦しみ抜いてきた当事者の言葉は重い。》と述べている。

一方、明日の投票日を控え、大詰めの参院選挙で「憲法は絶対守らなきゃいけない。戦後の平和は日本国憲法のお陰だ・・・」などと全く無責任な発言をしているいくつかの政党がある。

素朴に考えたらわかりそうなものだ。

この機に及んで、外国からは何の影響も受けないと本当に思っているんだろうか。
「武器を持たず、世界平和を目指す世界になるべき・・・」
それは、世界の国々を信じ、期待しているだけでそうなる保証は全くないし、現実的には「各国の国益」を考えたらそれは有りえない。

この記事の見出しは『平和憲法 めぐみさんを守れず』とあったが、そのとおりである。

書きながらふと思ったことだが、今の「憲法議論」は、論点がいつも合っていないように思う。
つまり、「ああ言えばこう言う」式の言葉のやり取りだけだ。

今後国家レベルの課題について解決策を考える時、「憲法による制限はずし」(たられば)もアイディアの一つに加えてはどうだろうか。

「重要課題」が憲法の規制により手が打てないとすれば、それは大きな(憲法)問題だと思うのだが・・・。


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2013年07月19日

憲法の議論

ブログでも過去何回か書いたが、日本国憲法について広く議論をするべきだと思う。
新聞でも「話題」にはしているが、産経新聞以外は「護憲」というスタンスが多いようだ。

「護憲」ときくと、「議論もしない」というような感じを受けるのは私だけだろうか。
「なんでも反対」とか、「反対のための反対」というのは、真面目に議論するという姿勢が全く感じられず、残念に思う。

その「議論の仕掛け」というような発言があった。
7月18日の中日新聞2面に、「憲法を聞く」という囲み記事があった。
政党の代表へのインタビュー記事で、どうも最後の一人であったようだ。
「減税日本」代表の河村たかし氏であった。

話している内容は共感できるものであり、紹介する。

問い・国民的な改憲論議が必要との立場?
『戦争に負けて犯罪国家とまで言われた憲法制定当時と、世界で冠たる貿易国家になった現在では、日本が世界に置かれている立場は違う。
憲法も時代に即した形に変えないかん。』

問い・一番変えるべきは九条だと・・・
『自衛権の行使は必要最小限度とされているため、集団的自衛権は解釈上、行使できない。
米国の若者が日本のために血を流しても日本の若者が米国のために血をながさんというのは独立国として通用しますかね。』

『さらには、在日米軍の存在。
世界最強の軍隊が日本の領土で堂々と展開している事実を護憲論者はどうとらえるんですか。
北朝鮮で核兵器をつくってミサイル実験をやっとる時に、「米軍は出てってくれ」と言えるんですか。』(以下略)

この発言こそは「議論のキッカケ」にすべきだと思う。

posted by 伊藤保徳 at 09:38| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月18日

ブータンの研究

たまたまのことだろうが、昨日と今日の産経新聞に、ブータン王国に関する記事があった。

17日は「産経抄」で、ブータンの総選挙結果に触れていた。
概要は、「政権交代の理由をエネルギー問題だとし、自給率4%の日本も他人事ではない。原発依存はいけないとし、火力フル稼働で電力供給をしてるが、エネルギー代があがるのは必至。原発稼動反対を唱える政党の「代替案」が見えない今、節電で乗り切ろうなんて子供じみた発想だと批判していた。」

なるほどと思える内容だ。

ブータンは今までの与党が中国に接近することによりインドによる補助金が廃止となり、燃料費が急騰したとのことだ。

今日の記事は、「ブータン訪問記」であり、世相のことが記事になっていた。

「タバコの持ち込みは200%課税」や「野良犬は駆除ではなく自然減を待つ」とかの話題。
先の総選挙の事についても触れているが、国民に、政治を熱く語る空気はあまりないようだ。

ひと頃、持続可能な社会にシフトしていくということがよく言われた。
そうしたときに、目指すは「経済第一」ではなく、国民の幸せ度向上を目指すべきだと「ブータン」がその事例として取り上げられたことがあった。

現在の野党の中にも、今の政権が「経済第一主義で格差社会、競争社会に向っているとし、あらゆる政策に反対しているところがある。

しかし、そうした政党から「どんな社会」にするのか、という具体論が示されたことがない。
つまりは、反対のための反対だといわれている。

ブータンは日本にとって目指すべき方向の一つといえよう。
国の力が違うので、そっくりそのままというわけにはいかないが、「社会システム」などは検討をしてみてはどうだろう。

そのままを真似することはできないだろうから、まずはブータン研究からはじめてはどうだろう。
手本にすべきことがきっとあると思う。

posted by 伊藤保徳 at 14:56| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月17日

現代人の三大欠点

今朝は、瀬戸市倫理法人会にて講話を担当した。

いつものように、月刊誌『致知』の特集から「歩歩是道場」というテーマでの40分であった。
伝えたかったのは、「今、この場所を自身を高める道場である」ということだが、もっと突き詰めれば「気づいたらすぐ動く」ということだ。

動くというのは「口に出すこと、足を出すということ」だ。
動けば環境に変化がでる。
その変化こそが自身の成長の兆しだと思う。

こんな話をさせてもらったが、その前段で『致知・7月号』の記事から、イエローハットの創業者である鍵山氏の言葉を紹介した。

『現代人には3大欠点がある。「気がつかない」「すぐ動かない」「我慢できない」この三つだ。』
こういう発言である。

言われてみれば・・・思い当たる節もある。

でも、よく考えてみると、この三つというのは裏返すと「日本人の美徳」ではないかと思う。

「気がつく」「すぐに動く」そして「我慢強い」。
そんな風に思うと、昔から日本人が持っていた「美徳」が、昨今失われてしまった、という鍵山氏の嘆きにも聞こえる。

今朝、皆さんに「気が付いたらすぐ動く」、という話をし、今こうしえ反省しながらブログを書いているが、動けば新たな気付が生まれることを実感している。

欠点を直す、という感覚より、「美徳を磨く」という発想で望みたいものである。


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2013年07月16日

過労死の国

「過労死の国」というのはいささか行過ぎた表現のような気がするが、今日から始まった産経新聞1面連載記事のタイトルだ。
正確には『過労死の国・日本 労組の存在意義』というタイトルだ。

昨日までは「オウム真理教」を取り上げていたが、今回の「過労死」も社会的な問題の一つである。

過労死を「労組の存在意義」という視点で取材が続けられただろうが、興味深い。

つまり、日本の企業経営の三種の神器といわれた一つが「企業内組合」であり、右肩上がりの経済成長を続けた80年代まではうまく機能していたように思う。
ところが、バブル経済崩壊以降長い低迷期を経験した今でもなお、昔ながらの仕組みや慣習を後生大事にしていること(もの)が少なくない。
脱皮できないでいるのである。

私は労働組合もその一つではないかと思っている。

高度経済成長を遂げている時、労働強化や安全衛生に関し「労働者を守る」ために各種法律が整備された。その法のもとで、労働環境の改善などが進められてきた。
従って、労働者の代表たる組合は、常に労働者の待遇改善と職場環境の改善に努力してきた。

そういう時代であった。

しかし現在は全く環境がかわった。

企業経営で「従業員を大切にしない経営者(企業)は社会から淘汰される時代」になった。
それは、従業員の処遇や環境の改善を経営者自らが考え、実行する時代になっていることだ。

全ての企業には当てはまらないと思うが、「労働組合がある」企業では概ねそういえるのではないかと思う。

そういう意味で、「過労死と労働組合の意義」という連載記事は興味が湧く。

何回の連載かわからないがしっかり読ませてもらうつもりである。


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2013年07月15日

忍び寄る影

産経新聞で7月11日から連載されていた記事が、今日の5回で終了した。
『忍び寄る影』と題した「オウム真理教」を取り上げたものだ。
第1面に掲載ということからも、本紙の問題意識の高さがうかがわれる。

全て読んだが、いろいろ考えさせられた。

「あれほどの事件」だったが、「犯罪」として刑法上の対応は終ったかに見えるが、「社会問題」としては原因の究明や再発防止は何もなされないまま18年が経過した・・・。
これでいいのだろうか・・・、という問題提起の記事だと思った。

オウム真理教は解体されたが、後継団体といわれる「アフレ」の存在。

又、オウム真理教の最高幹部だった上祐史浩氏が代表の「ひかりの輪」の活動。

これらの活動状況が紹介されていたが、「オウム真理教」と何ら変わらないという印象だ。

一人一人として「気をつける」しかないが、それで防げることばかりではない。
困ったことである。

連載記事の最後で「日本脱オカルト協会の理事で、日蓮宗僧侶の楠山泰道氏」の活動と談話が紹介されていた。

楠山氏は述べている。
(原文引用)
《なぜ、そこまでする必要があるのか。楠山は「18年たったいまも、オウム事件が終わっていないからだ」と言い、その意味をこう語った。

「優秀な人が入信した社会背景は何だったのか。どんなマインドコントロールによって、テロを実行させるまでの支配が可能になったのか、どれ一つとして解明されていない。」

教訓は社会に根付かないまま風化し、ポアと称して殺人を正当化する危険な教義を唱えた麻原への帰依を説くアフレに今、若者らが入信している現状がある。

公安関係者によると、アフレ信者の間では、麻原がいる東京拘置所が半ば聖地と化している。「パワーを浴びる」と称し、イヤホンで麻原の説法を聞きながら建物の周囲を回ったり、蓮華座を組んで瞑想したりしているというのだ。》(以下略)

まさに忍び寄る影である。


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2013年07月14日

道徳教育

日本の教育改革についていろいろな議論がある。

教育を受ける平等性を初め、戦後確立された教育委員会制度や日教組問題などなど。
その議論は多岐に及び、一堂に介しても「主張」ばかりでなかなか前に進まないでいた。

今の政権になり、文部科学大臣に「教育改革」を掲げる下村博文氏が就任し、期待が大きく膨らんでいる。

私自身興味を持って見ているのは「教育内容」である。
「立派な日本人を育てあげていく教育はいかなるものか」
このことだけでも多くの議論を呼びそうだ。

このところ、この教育内容には、「道徳教育」とか「人間学」というようなことがいわれており、方向性として大賛成である。
しかしである。
この「道徳教育」なるものは、実際面としてとても難しいものである。

個人的には、倫理法人会で絶対倫理を学んでいるが、頭で理解するだけではなく、実践し成果を出すことが求められるのである。
この、「実践して成果」というところがポイントであり、知識として知っていても何の役にも立たないのである。
子どもらの「道徳教育」と同じだといわないが、「何を教え」「どんな変化」をもって教育効果とみるのか、とても難しい問題である。

この事について、一つの考えが示された新聞記事があった。
今朝の産経新聞(大阪)である。
「解答乱麻」という欄で、木村貴志氏(バッカーズ寺子屋塾長)が述べている。

やはり、知識教育とは違いその指導方法がとても難しいと述べている。
そして、自身の出来ることとして、次の三つのことを示している。

1、私たちの祖先が、どのような道徳的価値観と共に生きてきたかを、歴史と古典文学に触れることで自ら感じとること。

2、私たちの命を育んでくれた自然への畏敬の念が育まれるような自然体験をすること。

3、与えられた命に感謝し、二度とない人生をどう生きるかという「志」を立てること。

以上の三つを、「子どもたちと学び続けて生きたい」、と結んでいたが、素晴らしいことだ。

私のモヤモヤしていたことも一気にはっきりしてきた。
この三つは、次代の人たちの「学びの目標」ではなく、今の大人たち、つまり私たちがまず実践するべき内容だ。

心したいものである。

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2013年07月13日

記念講演会

今日の午前中、瀬戸市文化センターでの記念講演会に行ってきた。

昨日の朝刊でこの講演会のあることを知った。
講師も知らない人だったが、演題の『置かれた場所で咲きなさい』というのに魅かれ出かける事にした。

会場は瀬戸市で一番大きく、定員は1300名。
入場無料、但し入り口で「入場整理券を渡します」とのことだった。

あの広い会場であり、時間ギリギリでも大丈夫だと思い、講演時間の10分前に着いた。
予想とは大違い、大きな催しの時しか使われない駐車場まで満車の表示。
一般の人が案外気がつかない駐車場が一つ有り、そこに行ったら案の定空いていた。
そこで今日の講演会が「普通のものではない」ということに気づいた。

自宅のすぐ近くにある女子高「聖カピタニオ女子高等学校」のスクールバスが4台も駐車していたのだ。
本校創立50周年の記念講演会だったのである。

入場し、2階へと案内された。
1階客席の半分くらいは生徒が占めていた。
全体では九割近く席が埋まっていたようだ。

講師は、学校法人ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子氏だった。

私には少し聞き取りにくかったが、話の内容は「女子高生への生き方アドバイス」というものだった。
いくつか参考にさせてもらうことがあったが、感心したことが二つある。
一つは、客席の女子高生であるが、90分間の講演中の態度である。
真剣に聞き入っている様子が2階席から見ていてよくわかった。頭がほとんど動かないのである。

隣同士で話したり、スマホをやったりする子が一人や二人いても・・・と思っていたので驚きであった。

もう一つ感心した事は、講師の話術である。
ご高齢のようだが、言葉と言葉の間の「接続詞」が全くありません。

「アー」とか「エー」を全く発しないのは難しいもので、意識していてもつい出てしまうものである。

更には、話が始まり60分は淡々と進み、聞き手が「少し飽きてきたかな?」というタイミングで冗談をいれ、笑いをとっていました。
残り30分は、「話の結論部分」であり、「置かれた場所で咲きなさい」と、両親を始め、周りの人への想いと感謝の心をもち、精一杯努力することを話された。

子どもたちに、慈愛をもって諭されていた・・・という感じだった。

とてもいい講演会だった。

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2013年07月12日

県民の反発

一週間ほど前に「いかがなものか」、というタイトルで書いた「鹿児島県職員の研修旅行」の件だが、いよいよ県民の反発の声が大きくなっているという。

そもそもは、中国東方航空の鹿児島ー上海便が利用者の減少により、便数が減りこのままだと無くなってしまうと言うことから、県の職員を「上海への研修旅行」をさせるというもの。
しかも、費用はすべて官費で賄うというもの。

補正予算をめぐり、議会は紛糾したものの当初の「1億1千800万円」から「3千4百万円」に減額して承認可決されたようだ。
それが6月の議会。

そしてその後の状況が、今日のmsn産経ニュースで詳しく報じていた。

6月28日の県議会でこの補正予算案が審議されたようだが、大荒れだったようだ。
傍聴席から知事や議員に対して痛烈な野次もあったという。

この補正予算成立を受け記者会見した伊藤知事は県民の反対について、「日本が国際化しているとの認識がない。鹿児島に住んでれば十分という主張が強かった」、と息巻いたという。

もうこれは「末期症状」だ。

つまり、何が正しいのかが全くわかっていないように見受ける。

議会での論戦をもって「県民の声」とするのも問題だと思うし、おそらく反対意見に対するコメントが「国際化認識がない」、というのはいかにも上から目線である。

第一陣は7月10日から上海に出かけたそうだが、いくら近いといっても外国である。
6月28日に補正予算が決まり、僅か12日目であり、議会よりうんと前から出発準備が進められていたと勘ぐられても仕方がない。

いずれにしても県民の反発は益々大きくなるだろう。

何のためにこの事業をしたのか、もっと突っ込んだ議論が必要のようだ。

私には、中国東方航空に頼まれたとしか思えないが皆さんはどう思いますか?


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2013年07月11日

本音と建前

昨日、東海市倫理法人会で講話をしたが、皆さんの反応は一つの言葉に尽きる。

講話は、45分間で、「働く喜び」というテーマで話した。
自身が高校卒業後大きな希望をもって就職した大企業。
そこには働く充実感はなく、「喜び」は全く感じなかった。

若かったということもあるが、仕事の全体が見えず、一向にやる気が出なかった。
そうすると人間は「条件」だけを価値基準にし、どうすれば収入は増えるのかばかりを考えるようになる。
しかし、そうした欲望はキリがないのである。

結果として会社を辞め、三ヶ月間の失業期間を経て河村電器に採用してもらった。
20歳の時である。

とても辛いこともあったが、前の会社での失敗が反面教師となり、「仕事を前向きに捉える」ようになった。

その後、幸いなことに社長の近くで仕事をするという幸運にも恵まれ、65歳の役職定年までにオーナー三代に仕えたことになる。
そこで感じたこと。

経営トップは「本音と建前が本気でイコール」であるということだ。
副社長といえどもトップではないし、トップの「覚悟や意気」には到底及ぶものではない。
これは、トップにならないとできない「能力」のようなきがする。

つまり、部下や社員に「経営者の立場で・・・」とか、「経営的視点で・・・」と何度いってもそれは満足できる対応をしてもらえないとトップは理解すべきだ。

人は、あるときに本音と建前が合致することがある。
要は、そういう状況を探し出し、それを活かしきることである。

社会生活においては「本音と建前」の使い分けはあろうが、こと自社の経営においてトップには「建前」は無いのでは、と思っている。
全て本音である。
それが、真剣であり、覚悟があることだと思う。

講話で、こんな話をしたが、これをまとめに使ったことも有り、皆さん心に留まったようだ。


posted by 伊藤保徳 at 10:36| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月10日

ところ変われば

今日は、東海市倫理法人会のモーニングセミナーに出席し、講話を担当してきた。
セミナー会場は東海市にあり、自宅から30キロほどの所なので1時間強かかると思っていたが、時間が時間であり、40分ほどで着いた。

会場はホテルの3階にある宴会場。
入り口には受付があり、担当者二人の元気な挨拶で迎えてもらった。
受付簿に、会社名、氏名を記入し会場に誘導、入り口で会釈をした後「ただ今講師がおみえになりました!」との紹介。

会場で準備などをされていた4〜5人の方が、一斉に「いらっしゃいませ!」の挨拶。

講師席が用意されており、そこに鞄などを置いた途端「個別のご挨拶」(名刺交換)が始まった。
会長、事務長、幹事と続いた。
そして会長自ら「今日の流れ」についての説明、演台の位置、マイクの使い方、講話の終了時間など実に手際よく説明を受けた。

セミナーの運営は「マニュアル化」されており、滞りなく進行するが、要は出席者への「気配り・心配り」である。

セミナーの始まる前に、「お茶」を出す事になっているようだが、それは「講師」と「初めての出席者」のようだ。
今朝は、初めてのご出席が1名あった。

なにも全てを同じにする必要はないし、その処で精一杯のもてなしをしたらいいと思う。
しかし、所属する瀬戸市倫理法人会では、この「もてなしの心」が希薄のように感じる。

今回の経験を踏まえ、真似すべきところはドンドン真似をしたらいいと思う。
そのためにも、他の会に出席すべきであろう。

一番の問題は、「井の中の蛙」であるということだ。


posted by 伊藤保徳 at 12:18| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月09日

本屋で学ぶ

昨日いつもと違う本屋に出かけた。
コミック本を売りにしているところだが、家から近いこともあり事のついでに行くことがある。

本の配列は店によって違うのは当然だと思うが、やはり人気本は入り口に近い処にある。

このコーナーに並んでいる書籍名をみるだけでも勉強になる。
今の世相を反映しているといえよう。

昨日、気がついたことをいくつか・・・
・アベノミクスについて、いろんな人が書いているがひところの「花盛り」から少し沈静化してきた。
選挙戦では民主党が「アベノミクス批判」(打ち上げ花火だ!)をしているが、賛同者は少ない。大方の評価は「効果あり」、但し、国民が実感できるのはもう暫くかかりそうだ。

・選挙で党首討論などで争点になっている憲法問題。
憲法に関する本が目立っているようだ。
「歴史」と言う切り口、外交・防衛と言う切り口など、そのスタンスはマチマチだが、「ようやく国民レベルでの議論」が始まりつつあるという感じだ。

例えば、「この一冊で日本国憲法がわかる」とか、「教科書が教えてくれない日本国憲法」などという本が並び始めている。
いい傾向だと思う。

私自身は改憲(現憲法を廃し、新たに制定)をすべきという考えだが、「護憲」や「加憲」の意見もキチンと理解しておくべきだと思っている。

・もう一つ多くなっている本は、「中国・韓国の歴史」関連本である。
手にとって数ページ読むだけで「エッ!本当に?」ということが多くみられる。

われわれがかの国のことを「知らなさすぎる」のである。
これは、教育の問題もあるがマスコミの責任もある。
学校の教科書もさることながら、日常的に流されているおびただしい情報の量に、国民が影響を受けないはずが無い。

昨日は酷暑日。
涼むつもりで入った本屋さんだが、学ぶことが沢山あった。


posted by 伊藤保徳 at 08:06| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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