2013年03月31日

良い習慣を持つ

『新潮45』4月号の特集、「新入社員諸君!」にあるメッセージを紹介してきたが、今回で最後とする。

「良い習慣は才能を超える」と題したメッセージを、佐々木常夫氏(東レ経営研究所特別顧問)が寄せえている。
ご自身の経験からのアドバイスであり、具体的である。

佐々木氏が新入社員の頃、「新人に割り振られる雑用のような仕事」をなめて、ミスを連発し、事あるごとに上司に怒られていたそうだ。
暫くして、「これではちょっとまずい」と思い、どうしたらミスを起こさずにすむだろうか、もうちょっと効率的にできる方法はないかと、小さな改善目標をメモにして、少しづつ達成していったという。

そうすると、段々仕事が楽しくなってきて、ある時振り返って手帳に書きとめた言葉が「良い習慣は才能を超える」だったそうだ。

氏の行なってきたという「良い習慣」が説明されている。
第一は、早寝、早起き、、朝ごはんを必ず食べる。運動して体を鍛える。という生活習慣。

第二は「仕事面で」・・・
常に目標を設定し、それを必ずどこかに書き留めるか、誰かに話すことを習慣に。

つまり、「良い習慣」というのはスキルを超えるものであり、《仕事に大切なのは良い習慣と高い志》であると述べている。
「良い習慣」と「高い志」があれば、スキルはついてくる、とまで言い切っている。

自身の体験であり説得力がある。

もう一つ重要な事を述べている。
《「仕事で伸びる人」とは「学力のある人」である》

氏の言う「学力」とは「学ぶ力」のこと。
自身を取り巻く環境から「あらゆることを学び取る力」を持て、ということである、

更に言えば、「謙虚」とか「素直」という言葉が思い浮かぶ。

あとは「高い志」を持つ事に尽きよう。

今の学校教育に最も欠けている事ではなかろうか。
どうすれば「高い志」を持つ事が出来るであろうか。

私見だが、「人間学の学び」だと思う。


posted by 伊藤保徳 at 08:09| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月30日

虚栄心を捨てよ

今回で5回目となる『新入社員諸君!』である。
最初の時書いたのは、新入社員へのメッセージのほとんどは、「新入社員にはあまり理解されず、元若者の心に響くものだ」、ということだった。

『新潮45』4月号の特集である、新入社員へのメッセージであるが、今回は作家の白取春彦氏である。

「虚栄心を捨てよ」、と題し、「悔いのない人生をおくるために、常に精魂をこめて物事に当たれ」と述べている。

最初に結論である。
《私は、若い人に、悔いることのない生き方を勧める。
つまり、常に精魂を込めて物事にあたる生きかたのことだ。

だいたいこれでいいだろう、とか、こんな感じだろう、という生半可な関わりをしない生き方だ。
不器用でも下手でも不様でもいいから、何事も精魂こめてやって欲しい。》

この結論を述べた上で、「では、こういう生き方をするためにどうするか」。
自己変革の方法が幾つか述べられている。

一つ目は「集中力」と「感性」を磨く方法。
氏は言う。
《最低でも一日に二回は、15分程度でいいから静寂の中ない身を置くことだ。》

背を伸ばして座り、、いっさい何も考えない。
ただ呼吸する。

これを毎日の習慣にするだけで、小さな怒りやイライラが自分から遠ざかっていくという。

二つ目は、「虚栄心を捨てよ」ということ。
物事に精魂をかたむけるということは、今までの腐れ縁の関係やしがらみなど、すっぱりをすて去ること。
特に、虚栄心を捨てよ・・・と。

現代人が「自尊心」だと感じているものは、実は「自尊心ではなく、虚栄心が変容したものだ」と指摘している。
胸に手を当て考えてみるに、反論できる人は極々僅かだろう。
私も自信がない。

この二つだけでも実践できたら凄いと思う。

虚栄心を持っていたり、いろいろなしがらみに引き摺られていたならば、精魂をかたむける事はできまい。
また、集中力がなくても同じ事だ。

与えられた仕事、あるいは目の前のことに「懸命に取り組む事、精魂をかたむける事」が如何に重要か。

この歳になってしみじみ思う。


posted by 伊藤保徳 at 16:16| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月29日

仕事ができるとは

三人目の(「新入社員諸君!」)メッセージは、内田樹氏である。
私としては、初めて目にする名前である。

経歴を見ると、東京大学文学部卒で、武道家、現代思想家とある。
「武道家」は想像できるが、「現代思想家」というのはなかなか難しい。
そのせいなのか、メッセージの内容も深い意味を感じた。

仕事というのは「知識」や「技術」で語るものではなく、「人として、人に接する心構えとだ」、とする所見に大いに共感した内容である。

いわゆる「仕事ができる人」の立ち振る舞いについて、具体的な事象を紹介した後、次のような解説があった。

《「仕事ができる」というのは、「英語ができる」とか「ITリテラシーが高い」とか「寝ずに働ける」とかいう軽量可能な力のことではない。

そもそも上司の評価とか出世とかに結びつく力でさえない。

それは自分の目の前にいる人がどういう「支援」を求めているかを直感的に察知し、それをさりげなく差し出すことのできる感受性の細やかさと手捌きの鮮やかさのことである。

その力は学歴とも家柄とも文化資本ともご本人のキャリア志向とも何の関係もない。

仕事ができる人は、「誰かがちょっと困っている」という事態につい反応してしまう。

人間が「困る」仕方は無限にあるし、「困る」深刻さの程度もさまざまである。
だから、もちろんどれほど仕事ができる人でも、すべての人間のすべての困惑に対応できるわけではない。

できるのはせいぜい「自分の自由裁量でできる範囲のこと」に限られる。》(以下略)

なかなか難しい言い回しであり、理解するのに何度も読んだ。
要は、「仕事ができるとは」、いろいろな能力(計量可能な能力)で見るのではなく、「相手の困っていることを察知し、それにすばやく応える感性」で判断すべき・・・というように理解した。

いうなれば、「相手に尽くそうとする姿勢」であろう。

結局仕事とは、「世のため、人のために行なう」ものである。


posted by 伊藤保徳 at 14:43| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月28日

すぐに役立つこと

「新入社員諸君!」の二人目は、ジャーナリストの池上彰氏である。

テレビでの「ニュース解説」はわかり易く、ファンも多いと聞く。
また、書店にいくと「数多くの著書」が並んでいる。
博学であり、とても勉強家だと思う。

そんな人が新入社員に向けて、「すぐに役立つことは、すぐ役に立たなくなる」と題し、メッセージを贈っている。(月刊『新潮45』4月号)

こんな内容を述べている。
《自分の名前で仕事をする。
それはつまり、本当の意味でのプロになるということであると思います。
そのためには日々是勉強。

私の場合は本が仕事の逃避先でもあったので、いろんな本を濫読しました。

読書体験は、実生活にすぐに役立つものではありません。
むしろ、すぐには役に立たないものが多い。

しかし、慶應義塾の塾長だった小泉信三が言ったように「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」のです。
反対に、一見仕事には結びつきそうもなくても、長い目でみれば心の栄養になったり、自分の世界を広げてくれたりする本もあります。

そういう本が回り回って仕事にも生きてくるのを、特にフリーになってからはひしひしと感じています。》(以下略)

池上氏は、「読書の勧め」とともに、ある程度「長期の視点」で仕事をみてみる必要性を説いている。

『石の上にも三年』とはよくいったもので、まずはどんな仕事でも「3年位は懸命に取り組んでみる」ことが重要であろう。
真剣に取り組む中から「喜び」や「楽しみ」を見つけるべきだし、そうなるのが普通だと思う。

もし、その仕事が「つまらない」と思えるようだったら、自らの真剣度を疑ってみるべきであろう。


posted by 伊藤保徳 at 12:36| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月27日

自分に合う仕事

月刊誌『新潮45』4月号の特集より・・・
『新入社員諸君!』
第一番目は養老孟司氏が「自分に合った仕事なんてない」と題したメッセージである。

今時の若い人、「自分探し」などと、わけのわからないことを言ってるが、「自分は自分であり、探すまでもない」。
どこかに「自分」がいて、その自分にあった仕事を探そうなんてするから難しい。
こうした前段があり、結論として次のように述べている。

《自己なんてどうでもいい。その結論は滅私奉公である》・・・と。

つまり、仕事に対する考え方である。
続けて述べている。
《自分にあった仕事。ふざけんじゃない。

自分が固定していると思っているから、合う合わないがあると思い込む。
自分が固定していたら学習なんか成り立たない。

しかも仕事というのはやってみりゃわかるが、一つ事ではない。》(中略)

《仕事はもともと世のため、人のために決まっている。》

つまり、仕事を自己主体で「合う、合わない」と判断しないこと。
自分からその仕事にあわせること、自分を変えていくことが大切であるということだ。

故に、世の中に「自分に合う仕事なんて一つもない」ということだ。
その仕事を通して、いろいろなことを学び成長することが重要だ。
滅私奉公を積極的に捉えるとこうなる。

仕事が人を育て、そして人が仕事を進化させていくのだと思う。

「元若者の心」に響くメッセージである。


posted by 伊藤保徳 at 15:09| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月26日

新入社員諸君!

本を購入する場合、多くは書店に出かけ手に取りながらである。
しかし、時に新聞広告を見て購入する事もある。これは、「月刊誌」の場合が多い。

最近も、広告の見出しに興味を持ち1冊購入した。
新潮社の『新潮45』(4月号)である。

目を引いた記事項目は、「皇太子殿下の祈りは本物である」(竹田恒泰)と、「特集・新入社員諸君!」であった。
竹田氏の寄稿は、竹田氏の一ファンとして読みたいと思ったからで、本命は「新入社員諸君!」であった。

この特集は、14人の識者による新入社員へのメッセージである。
興味を抱いたのは、時を得た特集だと思った事と、自身、その時代を思い出しながら、人生の振り返りをしようと思ったからである。

書店で『新潮45』を手にして特集のトップを見てみた。
以下のような一文があった。

《新聞の名物広告として書き継がれた山口瞳『新入社員諸君!』は、決して新入社員のためだけのものではなかった。
読んで腑に落ちるようになったのは、むしろだいぶ歳を重ねてからである。
若者へのメッセージは、実は「元若者」の胸にこそ響く。
心あらたまる季節に贈る珠玉のエール集。》

「元若者」の胸にこそ響く・・・
内容を読む前から「そうだ!」と感じた。

そして3人ほどのメッセージを読み終えたが、なかなかいい。

是非紹介したいと思うので、明日から、何回か書き述べてみるつもりでいる。


posted by 伊藤保徳 at 08:19| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

教育の二文字

「教育」というものを意識し始めたのは35年くらい前のことである。
当時、会社の営業本部に属していて、営業マンや拠点長への教育の必要性を感じ、自ら携わったことがキッカケだとおもう。

以来、会社のいろいろな部署を担当させてもらたが、「教育(人材育成)」は常に最大関心事であった。
会社以外の所でも、関わりができたし積極的に関わってきたといえる。

そうした中、昨年民主党に変わり安倍政権が誕生した。

まずは経済対策が打たれたが、新政権の大きな柱の一つが「教育の再生」である。
従って、新聞などにも「教育」の二文字がよく載るようになった。
それはそれで好ましいことだが、「教育」をワイドショーてきに取り上げると、際限なく広がり、論点がぼやけてしまう可能性もある。

今年になり、新聞に「教育の二文字」を見つけると、片っ端から切り抜いてきた。

私のスクラップ法というのは、読んで気になったものはすぐに切り抜き、封筒に一時保管をしておく。
1〜2週間経って、改めて見てみて保管の必要性を感じた記事は台紙に貼り付ける。
こうしてジャンル別に保管しているが、台紙に貼ってからも捨てる記事はある。

振り返ってみると、「教育」に関する記事で残るのはごく僅かである。

当然といえば当然かもしれない。

議論を広めることは必要である。
ただ、教育の議論は「百人百様」ともいわれ、本質までなかなかいかないものでもある。

勉強を深めねばならないと思っている。


posted by 伊藤保徳 at 08:06| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月24日

学びの機会

先の金曜日、瀬戸市倫理法人会では尾張旭市でイブニングセミナーを開いた。
このセミナーの狙いは、「純粋倫理運動の普及」にある。

このねらいを実現するため、方法はいろいろあるが今年度は「イブニングセミナーでモーニングセミナーを」、と銘打ち、毎週午前6時から行なっているモーニングセミナーの紹介をしている。

そっくり再現するというのではなく、全体の流れと「純粋倫理の概要」を説明した。

22日の場合は、定例行事の後「パネルディスカッション」が行なわれた。
3人のパネラーで、「倫理法人会との出会い」や「純粋倫理実践の感想」などを述べあった。

私もパネラーの一人として話をする機会をもらったが、これがなかなか難しい。

自身の体験を率直に述べればいいのだが、来場者に理解してもらい、「共感」を得なくてはならないのである。
まずは体験だが、「〇〇をしました。」というだけではよくわからない。
体験談というのは、個人的なことであるが故に「自分本位の話」になりがちである。
これは、よほどの体験なら興味を持ってもらえるが、「ごく当たり前のこと」の実践を話すのであり、十分な配慮が必要である。

そして、その話で「自分もやってみようかな?」と思ってもらうためには、一工夫も二工夫も必要だ。
そういう意味で、改めて学び直す機会となった。

今回は「朝起き」について実践の内容を披露したが、「私もやってみよう!」とまではいかなかったようだ。

もっと説明の仕方に工夫が必要だと感じた。

posted by 伊藤保徳 at 18:55| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月23日

利他の心

今年のはじめ、とある会合での挨拶で「利他の心で・・・」という話を聞いた。
聞いたその時は、「なるほど、その通りだ」、と思ったが、後でその挨拶内容を文字で読む機会があった。

挨拶を聞いた時の感情とはまた違ったものを感じた。
数度読み返してみたが、今度の印象は「言うは易し、行いは難し」である。

《相手のいうことに耳を貸さない、貸しても批判の心でしか聞かない。
自分の考えを曲げない。
自分さえよければそれでいい。
このような利己的な振舞いがますます目に余るようになりました。》・・・と、現代社会に苦言。

こうしたことの原因は、「利己主義がもたらしたもの」。
だから、この「利己」から「利他」に転換しなければならないという内容だ。

身の回りを見回しても、「利己主義の人が多い」ことを感じる。

しからばどうすれば「利他の心」で生きることが出来るか?ということになる。

答えとして、次のように語られている。
《ではどうすればよいのでしょう。
答えは単純です。

これまでの考え方ややり方、しきたりなどに囚われず、「より善く、より善く」と積極的に改革を続けることです。
今に安住することなく、前進し続けること、ただそれだけです。

前進するに当たって大切なことが一つあります。
どこに向って前進するか、ということです。

それはもちろん「我も人もの仕合わせ」に向ってです。
「利己」ではなく「利他」によって前進することです。
「利他」によって「共生社会」を目指すことです。》

要は、「人を思いやり、人の仕合わせを願い、思い、行動すること」であろう。

書きながら、改めて「言うは易し、行いは難し」と思う。

ただ、「より善く、より善く」と、日々の活動を意識することは出来よう。
そういう実践こそが重要なのであろう。

早速意識していこうと思っている。


posted by 伊藤保徳 at 09:55| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月22日

人生を楽しむ

昨日、人物研究の面白さについて書いたが、「研究」とまでいかなくても「歴史にその名を留めている人」からは学ぶことが多い。

30年以上人間学を学ぶ月刊誌『致知』を購読しえいるが、正に「人物から学ばせて」もらっている

その致知出版社の社長が「小さな人生論」と題し、毎月1回メルマガを発行されているが、終始一貫「人から学ぶ」ことを体現されている。

その3月15日号で、「貝原益軒」を取り上げられていた。
「養生訓」で有名な貝原益軒である。

初めて知ったことだが、この「養生訓」、健康法を説いた本のように思っていたが、実は、「人生をいかに楽しんで生きるか」を説いているとのことだ。

最も基本的な考え方というのは、
《人間の命は私物ではなく 天地のものだから、つつしんで、よく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし》
ということで、「人の命、身体」は、天からのあずかりモノ。故に、大事にして長く生きることが肝要。それを「養生」と言ったんであろう。

そして、益軒の説く「人生を楽しむ」ことを、『三楽』といっている。

一には、道を行ひ、ひが事なくして、善を楽しむにあり。
(ひが事尾とは、「僻事」と書き、道理や事実と違った事柄をいう。(広辞苑))

二には、身に病なくして、快く楽しむにあり。

三には、命長ながくして、久しく楽しむにあり。
この三楽なくんば、いかなる大富豪をきはむとも益なかるべし。

基本は「天道に沿う生き方をせよ」ということであろう。

「楽しむ」という生き方は、倫理でいうところの「明朗・愛和・喜働」と意は同じであると思った。


posted by 伊藤保徳 at 10:31| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月21日

人物研究の面白さ

学ぶための対象で最も効果的で面白いのは「人物」ではなかろうか。
最近特にそう感じるようになった。

昨日も書いたが、「道徳」というものを学ぶのにも「人物を通して学ぶ」のがいいと思う。

人間社会であり、「人の手本は人にあり」ということであろう。

今年1月から始まった、瀬戸市倫理法人会主催の「人財塾」でも後半は「人物研究」である。

取り上げるのは、「渋沢栄一」「松下幸之助」「稲盛和夫」の三人である。
「人財塾」のねらいは、経営人(経営者・上級官吏者)として、「事業経営の考え方と心構え」の研究であり、それぞれの人物から「価値観や思想」を学ぼうとしている。

4月は「渋沢栄一」を予定している。
「1冊の本」(渋沢栄一の言葉)を配布し、その中から「学ぶべきこと」を抽出したうえで講義に望んでもらう予定だ。
しかし、講義で「その本」を教科書的に使うつもりはない。

塾生がより多くの「学びの着眼」に気付いてもらうのが私の役目であり、異なる書籍などから講義を構成しようと思っている。
私自身も勉強である。

数ヶ月前からこういうことを意識して本を読んだり、参考資料などを集めているが、改めて人物研究の面白さを感じている。

その人物の人となりを理解しようと、適当な参考資料を見始めるが、ほどなく、その人の育った時代背景、家族や人間関係などなど、興味の対象がどんどん広がっていくものだ。
塾生にはこの事をまずは知ってほしいと願っている。

「一冊の本」とは、その一冊でしかない。
しかし、読み込んだ中でいくらでも広げることは可能だし、深く掘り進めることも可能だ。
それは問題意識の差だと思うが、そういう人になってほしいと思っている。

今手許には、渋沢栄一に関する本が7冊ある。
全てを熟読したわけではないが、一通り目を通し、そこから描き出す人物像こそは、「私の渋沢栄一」である。

この面白い研究を今後も続けていこうと思っている。


posted by 伊藤保徳 at 08:30| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月20日

人から学ぶ

道徳教育の「教科化」についていろいろな意見を紹介した。

具体的に指導する先生は、現場でかなり大変だと思う。
自ら受けた経験のない授業を行なうというのは並大抵ではないだろう。

個人的には、地域で人格者といわれえいる人に担当してもらってはどうだろう。
「道徳の何たるか」を指導するというより、「人間社会で生きていく上での心構え」という内容になろう。そうだとすれば、人生の達人のほうが的確な指導が出来るようなきがする。

自身の人生観を教えるとなるとバラつきが大きくなり、やはり統一した教科書が必要である。

この教科書も、難しく考えればキリがない。
要は、「偉人といわれる人たちのこと」を教科書にすればいいのである。

実存した人物を通じて、その生き方を学ぶこと。
それは将来にわたって「肖りたい人」「目標とする人」になるかもしれない。
そうなれば、学習の動機付けにもなる。

このように考えると、明治以降、第二次世界大戦までに行なわれてきた教育そのものである。
それは「修身」という授業であったり、「教育勅語を暗誦」し、徳目を育てあげるところにあった。

残念ながら、敗戦によるGHQ統治下で、これらがすべて否定されてしまった。
このことが今更ながら残念なことであった。

更には、名実共に「独立」した時、統治下の憲法を破棄するタイミングを逸してしまった。
かえすがえす残念である。

今、教育再生が大きく叫ばれているが、すべては先の敗戦からの脱却がベースにある。

現内閣も大変であろうが、強いリーダーシップを発揮され、大きな転換を図ってもらいたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 16:11| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月19日

いい言葉

フェイスブックを始めてから感じたことだが、日常生活(特に食事)などを頻繁に投稿する人たち、目にした素晴らしい光景を写真に収めた人たち、更には、自身の家族を題材にした写真などの投稿と、どちらかといえば「自身の発信」が多いと思う。

そんな中で、長文で自身の考えを述べる人や、人生の糧になるような「いい言葉」を紹介する人もいる。

おそらく読書家が多いのであろう。
出典を明らかにしての投稿もあるが、中には「出所のはっきりしない」ものもある。

投稿方法はともかく、私は「いい言葉の紹介」はいつも楽しく拝見している。

一昨日だったか、どの他の言葉なのかはわからないが、「なるほど!」と思えた言葉があったので紹介する。

実力の差は 努力の差
実績の差は 責任感の差
人格の差は 苦労の差
判断力の差は 情報の差

真剣だと 知恵が出る
中途半端だと 愚痴が出る
いい加減だと いい訳ばかり

本気でするから 大抵のことはできる
本気でするから 何でも面白い
本気でしているから 誰かが助けてくれる

どこかで見たような言葉だが、毎日の生活の中で「反芻」したい言葉だ。

ものは考えようであることを痛感した。

posted by 伊藤保徳 at 10:40| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月18日

親に道徳教育

安倍内閣となり、経済対策が優先項目として進められている。
今のところは、「期待感」で為替や株価に変化がでてきて、全体的なムードも明るくなって来ているように感じる。

他の政策も重要であるが、私は「教育改革」に注目している。

教育再生実行会議が最初の答申で「道徳教育の教科化」が述べられ、これに対していろいろな意見がある。
道徳教育そのものに反対しているわけではないが、「教科化」については反対論が多い。
「教科」にすれば「評価しなければならず」、他の国語、算数のような教科と同じような評価方法では難しいからであろう。

実行のための議論を深めていってもらいたい。

この事に関連し、「子どもへの道徳教育は重要だが、親にもすべきだ」、という意見がある。

産経新聞(3月10日)の「解答乱麻」欄で、ジャーナリストの細川珠生氏が述べている。
いじめを始め、学校ではいろいろな問題が発生している。
親の価値観が世間のそれとかけ離れ、そのことでトラブルも多いようだ。

《ある学校では、親の判断には任せておけないと、年度当初の保護者会で、100項目ほどの「注意点」を伝えるそうだ。
つまり、親の道徳観や判断力の乱れがはびこり、それが各地で子供を取り巻くさまざまな問題を引き起こす最大の要因になっていると、私は常々感じてならない。》

そしてその対策として・・・
《親の道徳教育を必須とする制度を国がつくればいい。》
なんとも明解な提言である。

この「制度」について具体的な記述があるが、要は、「ある一定時間の道徳教育を受けることを義務化する」、というものだ。
そして感想文で評価し、《欠席や未提出があれば、子供の評価に加味する》とまで述べている。

必須の道徳教育を受講していない親の子供は「道徳心」が欠落している可能性がある、という論だが、確かにその通りである。

子供を育てるには、親が手本になるべきで、道理である。

《子供の道徳の教科化をやっても、親がこの惨状では効果が期待できない。
しかし、親も常に向学心を持ち成長していけば、自分自身の人生も豊かになるはずである。

何よりもわが子のために、親も精いっぱいの努力をして、何ら損することはない。》

大胆だが、実効性のある提言だと思う。


posted by 伊藤保徳 at 06:37| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月17日

大学院大納会

昨日、名古屋学院大学大学院の「大納会」に出席した。
思い起こせば、私自身「15回目の大納会」であった。

本学は1997年に「社会人大学院」としてスタートした。

当時、名古屋エリアで社会人を対象にした大学院は珍しく、マスコミにも数多く取り上げられた。
私は第1期生で、2年の修士課程を修了し、締めくくりとして会を催した。

1期の同窓生はユニークな人も多く、修了記念に有志でニューヨークまで遊びに行った。
コネがあり、マンハッタンにある、かの有名な「プラザホテル」に泊まったことを思い出す。

締めくくりの会は、修了証書授与式の後に、名古屋市内のレストランで開いた。
これが今日の「大納会」のスタートである。

主催は「院生協議会」とし、主役である修了生を中心に、教授やスタッフ、それに在籍者も加わり楽しい会となった。

骨格は現在も踏襲されているが、「OB」の参加者が少ないのが残念である。
やはり工夫不足であろう。
参加したくなるような「大納会」にしなければジリ貧になってしまうだろう。

私の立場は、「大学院同窓会、代表」であり、「OB動員」という点では責任重大である。

私は修士2年のあと博士課程にも進んだが、理由は簡単、「学ぶこと、研究すること」の楽しさを感じたからである。
それは今も続いている。
800名近くの修了生がいるが、その多くは私と同じような気持ちだったと思う。
ただ、社会における立場は千差万別であり、現在もまだ同じような気持ちでいる人は少ないかもしれない。

このあたりを知ることが、呼びかけのヒントになると思う。

もう一度「呼びかけ」をするつもりでいる。


posted by 伊藤保徳 at 09:02| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月16日

てんびんの詩

かれこれ20年、いやもう少し前だったかもしれないが、当時の営業担当常務が「営業マンには必ず見せるように」、と教材として映画「てんびんの詩」を入手した。

最後までキチンと観賞したのは1〜2回だと思う。

今年1月から瀬戸人財塾を開催しているが、その第1回目の時、日本型経営のベースに、「近江の商人道」が流れているという話をした。
有名な、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という三方善の考え方である。

その話の流れの中で、映画「てんびんの詩」を紹介したところ、16名の塾生のうち、15名が見ていないということであった。
そこで、なんとか観賞の機会を作ろうと考え、昨日それが実現した。

3月の人財塾は、「現場研修」を予定していた。
今回は河村電器の工場見学と、この映画鑑賞とした。

映画が始まり記憶がよみがえってきた。

あらすじは、近江における「商人の育て方」を回顧する内容だ。
時代は大正、主人公は大きな商店の長男に生まれたが、小学校を卒業した翌日から、「なべぶた」を行商するという実地訓練をさせられる。
なべぶたを天秤棒の両側に括りつけ、遠くまで売りに出かけるが、そう簡単に売れるものではない。

13歳なりの知恵で、いろいろなことを試みるがうまく行かない。

そのプロセスで、「商人として心構えや立ち振る舞いを学んで」いくのである。
その一つひとつがとても重要であるが、主人公にとってとても苦しいが、「体験しながらの学び」である。

結果、「売り手と買い手の気持ちが一つになる瞬間」がくる。
その瞬間こそ「モノが売れた時」である。
映画のクライマックスであり、感動の場面でもある。

こういう瞬間を体験すると、人はとても素直になる。
素直になれば「両親への感謝の念がわき」、そして「一人では何もできない、いろんな人の世話になっている」こともわかってくるのである。

昨日、塾生には観終わってから、「この映画から学ぶべき点を、10項目以上書き出す」、という宿題を課した。そして次回の冒頭でスピーチしてもらうつもりだ。

楽しみである。
人数の数だけ「学び」があると思う。
唯一の「絶対解」があるわけではない。
感じとる力を養ってもらえれば、職場で使えると思うから・・・。


posted by 伊藤保徳 at 09:40| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月15日

見習うべき会社

伊藤やすのり後援会で親睦旅行が開催された。
昨年に引き続き2回目で、今回は「駒ヶ根」方面に出かけた。

イチゴ狩りがメインであるが、その前に「養命酒駒ヶ根工場」と、「伊那食品工業株式会社(かんてんパパガーデン)」の見学を組み入れた。

参加者は中高年の女性が多かったが、概ね好評であった。

私は「二つの会社」を見学し、見習うべきことや学ぶべきことを数多く感じた。
二社とも素晴らしい会社である。

「養命酒」は創業400年の歴史があり、連綿と続いた経営に学ぶべきことは多い。
なんといっても「社会への貢献」であろう。
創業者の「人の健康」に対する思いは並々ならぬものがあり、それが「養命酒づくり」へのこだわりになっているようだ。

それを基点とし、地域社会への貢献も素晴らしい。
広大な敷地、聞けば28万坪あるという広大な森は、縄文・弥生時代や平安時代の住居が復元してあり、入場者は自由に散策することが可能である。

工場の見学というだけではなく、敷地内にあるカフェなども自由に利用できるようにしている。
むしろ、積極的に迎え入れている感じだ。
夏にはいろいろなイベントが開催されるようだ。

もう一つの会社「伊那食品工業」であるが、この会社も凄い。
会社設立から48年間増収増益で一躍有名にもなった会社であり、寒天を活用した商品づくりに余念がない。

この会社の素晴らしさは、その「社是」にあるように、働く社員の幸福を第一義としている点である。
社是は『いい会社をつくりましょう たくましく そして やさしく』である。

利益とか売上を高く掲げ、叱咤激励する企業が多い中で「異質」である。
数値目標を立てるのではなく、「昨年よりは少しアップする」という考えで、これを会長は「年輪経営」と名付けているようだ。

少しでいいからアップする。
これは会社経営もそうだが、社員それぞれへの「成長期待」にも聞こえる。
まさに、人財を資本とした経営である。

この会社も養命酒と同様に、地域への貢献は凄い。
広大な敷地(かんてんパパガーデン)は、地域の人々の憩いの場として公開している。
その中に、レストランもカフェもある。
そば屋さんもあった。

工場に隣接した「商品販売スペース」は、今や観光コースに組み入れられるほど人気だそうだ。

お客様との接点は「社員」である。
その社員達が「いい会社になるため」に、知恵をだし、汗をかいていると思うと、成長は確信できる。

二社とも、研究対象にしたいような会社である。
一つでも二つでも見習いたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 06:19| Comment(0) | 経営改善 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月14日

レッテル貼り

1週間ほど前の産経新聞に、「レッテル貼り」という見出しがあった。
個人的な感想だが、この「レッテル」という言葉を久しぶりに見て、なにか懐かしい「言葉」に出会ったような気がした。

そうです。「レッテル」という言葉は「ラベル」にとって変わられたと思っていた。
だから「レッテル貼り」という文字に懐かしさを感じたのである。

念のため、広辞苑を見てみた。
『レッテル』
@商品に製造会社などが貼り付ける紙札。商標。ラベル。
A転じて、ある人物や物事に対する特定の評価。
やはり、ラベルと同じであった。
新聞の見出しはAの意味で使われている。

『レッテルを貼る』というのも解説があった。
「一方的にある評価・判断を下す」とあった。

この記事は、安倍首相に対する民主党輿石東参院議員会長の代表質問を報じたもの。

『輿石氏 レッテル貼り執拗』という見出し。

《輿石氏は首相を「タカ派」と決め付け、国家安全保障会議の検討作業などにも、「軍事力偏重との意見もある」と指摘。》
とにもかくにも執拗に「レッテル貼り」をつづけているようだ。

詳しくはわからないが、一読者としての印象は、「つい昨年末まで政権を担当していた政党幹事長」にしてはお粗末な質問だ。
政権与党に対し、重箱の隅を突っつくような質問や、このレッテル貼りのような質問をしているようでは政策を任すことは出来ない。

逆に、支援団体である日教祖に対し、よからぬ「レテルが貼られてしまう」と思う。

もっと、国民に選ばれた議員として「大義」を持って望んでもらいたい。

posted by 伊藤保徳 at 06:49| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月11日

イクメンの星?

「イクメンの星」とはいいネーミングだ。

「イクメン」とは何年か前から言われるようになった「育児男性」(「育児に熱心な男性」かもしれない)のことだが、その「星をめざせ」というのが面白い。

産経新聞(3月9日)の「機先」という欄に、《日本生命保険は男性の育児参加を後押しする「目指せ!イクメンの星ハンドブック》を作成したという記事があった。

私の友人にも熱心な「イクメン」がいて、このハンドブックに興味を持ちそうだが、世の中全体が「育児は夫婦協同で!」というのが流れのようだ。
ただ、それを「作業として分担し合う」というのは、どうも違うように思う。

男と女では役割が違っており、この点の認識を再確認しておく必要があるように思っている。

いろいろな議論があろうが、夫婦間でよく話し合い、協力し合うことが重要であろう。

さて、この記事に注目したのはもう一つの理由がある。
それは、このガイドブックを作成した「日本生命保険の担当部署」のことである。
『輝き推進室』という部署で、室長の山内千鶴氏へのインタビューで構成されて記事であった。

最初に「ハンドブックを作った狙い」について述べている。
《「輝き推進室は、20年に女性の活用を目的に立ち上げた。
活動の中で見えてきたのは、女性が活躍するためには、男性の協力が欠かせないということ。

特に若い世代は共働きが増えており、家事や育児を女性に似任せていては、女性の活躍を妨げることになる。

ワーク・ライフ・バランス(WLB)を大切にする姿勢を打ち出し、社員の意識改革をする必要があると考えた。》
女性の側からの発想である。

女性社員が多い会社であり、当然といえば当然かもしれないが、「社員を輝かせる!」ということを狙いとする部署のあることに驚いた。
この部署の使命や業務内容を詳しく聞きたいところである。

イメージできるのは、一般的な「人事管理や労務管理」の一歩先をいく施策を考えたり企画する部署であろう。
なかなか難しい取組みだが、「女性の視点で」いろいろ発想し、発信することはいいことだ。
女性の経営参画が諸外国に比べて低いといわれる中、こうした部署が女性たちの活躍する場をどんどん提案するのはいいことである。

長い目で見守りたいものだ。

posted by 伊藤保徳 at 05:52| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月10日

広報誌「倫風」

3年位前から時々『倫風』という月刊誌が自宅に届くようになった。
社団法人「実践倫理宏正会」の熱心な普及活動の一環である。
私自身、同じような活動団体「倫理法人会」で勉強しており、お断りしているが意に介さない様子だ。

この二つの団体、創始者はもともと一緒に活動しており、似ているところが多い。

私も深く理解しているわけではないが、ネット上の解説によれば、「実践倫理宏正会」は宗教色が強く、その普及活動も「強引な勧誘」があると聞く。
一方「倫理法人会」(「倫理研究所」)は、「宗教ではない」、と宣言しており「社会教育機関」としての活動が中心だ。

さて今回は、「実践倫理宏正会」の中心的広報誌である『倫風』の記事から学んだことを紹介する。
それは、3月号の「倫風宏話」で会長の上廣氏が書かれた文である。

《「聞く力」は実践力》と題し、あの阿川佐和子さんの『聞く力』(文春新書)から引用された内容だった。

世の中で暮らしていて、「話す力」「聞く力」は共に必要である。
しかし、このうちどちらがより重要か、といえば「聞く力」だろう、というもの。

とくに現代人(子どもも含め)は、「話すこと」は好きだが、「聞くこと」は嫌いなようだ。
しかし、「聞き手のない話」というのは、「話し」ではなく「言うという行為」だと指摘している点は目からウロコの一言である。

そして最後には、阿川氏の次の言葉を引用し、上廣氏の意見を述べている。
《阿川さんは悟ったのです。
相手が「この人に話したい」と思うような聞き手になればいいのだと。》

ここまでくると、「聞き手」というのは受身ではなく、積極的な姿勢となる。
この事を上廣氏は次のように述べている。

《相手の言うことに耳を傾けるということは、相手に「関心」を持つことです。
そして、これこそ「愛和」や「共生」の出発点でもあるのです。
すべては人を思いやることから始まるのです。

ご承知のように、倫理とは人と人とのより善い関係を求めるものです。
とすれば、愛和にしても普及にしても、倫理の実践には人との会話が不可欠です。

この本を読んでいると、「話し上手」にはなるのは難しくても「聞き上手」になれそうだと、思えてきます。》

「聞く力」とは、「実践力」である。
なかなか意味深い言葉である。


posted by 伊藤保徳 at 06:59| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。