2013年02月28日

労務管理講習会

労働基準行政への協力や企業の労務管理支援などの活動をしているのが「労働基準協会」である。
全国の、労働基準監督署管内ごとに設立されている。
その設立は古く、多くは60年を超える歴史を持っている。

瀬戸市の場合、監督署の所轄地域が瀬戸市、尾張旭市、長久手市でありこの三市にある企業で「瀬戸労働基準協会」が組織されている。
昨年、設立60周年事業を行なっている。

3月が年度末であり、今年度最後の事業である「労務管理講習会」が昨日開催された。

毎年テーマは違うが、今年度の内容は「法令遵守の基本」にもどり、日々の労務管理のあり方についての講習であった。

冒頭、開会の挨拶をしたが、「講習会案内のチラシ」にある文章を引用した。
この講習会を開催した背景を的確に表現している。
《「法定割増賃金率の引き上げ」・「時間単位年次有給休暇制度の導入」を中心とする改正労働基準法が施行され3年を経過しました。

しかしながら、瀬戸お労働基準監督署には依然として、長時間労働・割増賃金の未払い・年次有給休暇の取得に関する労使紛争が多く寄せられ、改正法が目標とした過重労働を防止し、働く人が適度な休暇を取得しつつ、生きがいを感じながら働くことができる職場環境の実現は未だ達成されていない現状にあります。

また、昨年施行された、精神疾患に関する労災認定基準の改正によって、精神疾患の発症にも長時間労働の存在が大きな要素となることが公的に認定されました。

これらを考慮し、労務管理の進め方、長時間労働から派生する労働者の健康問題について必要な対応事項等を含めた内容の講習会を開催します。》

こんな内容である。
そしてテーマが『過重労働防止とメンタルヘルス』というものであった。

私が挨拶で強調したのは・・・
「労働災害」(肉体的、精神的)は結果であり、その要因を探し出し、それに手を打たなければ結果は変わらない。
つまり「災害は減らない」のである。

その要因とは、「リスクアセスメント」で明らかにした「諸要素」であることはいうまでもない。

もう一つ「要因」を明らかにすることとして、「適正な労働時間管理」である。
労働時間の管理というと、「法令に定める時間」ばかりを意識するが、一方で「労働時間と健康管理」という視点が必要である。

長時間労働が「健康障害」の要因の一つであることは認定されており、従業員の健康管理に「労働時間管理」不可欠なことである。

こんな思いで協会諸事業を進めている。


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2013年02月27日

普及活動

世の中にはいろいろな団体(組織)があるが、その多くは会員数の維持に苦心をしている。

私が所属している団体は、「瀬戸商工会議所」「瀬戸労働基準協会」「瀬戸北ロータリークラブ」「瀬戸市倫理法人会」などであるが、それぞれに苦労している。

最初の二つは「入会のメリット」ははっきりしている。
そして「ロータリークラブ」は経営者の価値観が大きく働く。
ゆえに、シンプルに「入会の勧誘」をすればいい。

少し事情が異なるのが「倫理法人会」である。
各地区の法人会(単会という)は、法人100社以上というのが条件になっており、最低限100社をキープしなければならないのである。

こう考えると「100社維持はノルマ(義務)」となり、活動は「勧誘活動」になる。
然るに、「勧誘のセールスポイント」は共通なものではなく、法人それぞれということになる。
これは、「やってみなくてはわからない」というもので、勧誘するにはインパクトにかけるのである。

こうした現実はあるが、目指すは「純粋倫理の普及」ということを忘れてはならないと思う。

ともすれば、会の役員やメンバーに「あと何社」と、圧力をかけ、「会員数を確保するだけの活動」に陥りがちだが、「地道な普及活動」に徹するべきだと思っている。

瀬戸市倫理法人会でもこのことを再確認し、新たな気持ちでスタートを切った。

普及活動の要諦は、「自身が実践し、その効果(善さ)を実感し、それを一人でも多くの人に伝えること」であろう。
そのためにいろいろな道具も用意するが、まずは自ら足を運ぶことが肝要であろう。

始めたばかりだが、純粋倫理を人に語ることにより、自身の活動整理につながっているように感じている。


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2013年02月26日

善悪の中間

作家の曽野綾子さんは注目している人の一人である。

歯に衣を着せぬ「ズバリ!」の直言に好感を持っている。
ブログでも何度か紹介をしているが、常に、「次は何を切ってくれるのか」楽しみである。

そんな曽野綾子氏の著書が紹介されていた。
(産経新聞2月24日、読書欄)

『この世に恋して』という曽野綾子自伝である。
とても興味深い。

80歳を過ぎた今も、月に400字詰め原稿用紙120枚は書いているという。
毎日4枚ということは凄い。

執筆活動はほぼ60年。
今までに書いた原稿は15万枚以上に及ぶというが、その作家人生を振り返ったのが『この本』だそうだ。

本欄での紹介文の「見出し」は、《人間すべて善悪の中間》であるが、その意味を氏が説明している。

《小説の他、エッセーや社会時評も多い。
一貫しているのは、偽善を嫌う直言だ。
その発言はときに議論を呼ぶが、あまりギスギスした展開にならないのは、そこにユーモアと、曽野さん一流の人間観があるからだろう。

「今の世の中が幼いと思うのは、すぐ善い人か悪い人かに分けたがるところ。
すべての人間はその中間だという認識がないと、私は不安でしょうがない。
善くて悪い、悪くて善い人間を描く」

この世には、善いだけの人も悪いだけの人もいない。神ならぬ身、人は誤り、罪を犯す。
だからどんな相手に対しても、人格否定はしたことがない。
批判はすべて具体的な発言や、行動についてだ。》(以下略)

とてもわかりやすい「人間観」だ。

「人を正しく見る」とは、こういうことをいうのだろう。


posted by 伊藤保徳 at 09:22| Comment(1) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月25日

先生への礼儀

教師という仕事は「聖職」といわれていた。
いつの頃からか「教師は横の関係」、つまり「友人のような関係」で、仕事も「労働基準法が適用されるようなもの」になってしまった。

振り返ってみると、私の中学、高校時代から変わったように思う。
昭和30年代半ば頃である。

現在の日本人の生き方、考え方を見るにつけ、「人間関係」がそれぞれ思い思いの基準で付き合いがされているようだ。
やはり、礼儀とか尊敬といった「心のありよう・態度」は見直すべきだと思う。

昨日、古い資料を整理していたところ、『小学生徒心得』なるものが出てきた。
文部省が明治6年(1873年)に定めたもののようだ。

全部で17項目あるが、その中で、「教師への礼儀」に関することが8項目もある。
その部分を紹介する。

(三)校に入り席につかんとする時、教師に礼を致すべし。
(四)席につきては他念なく、教師の教へ方を伺い居て、仮にも外見雑談等をなすべからず。
(五)教師の許しなくして猥りに教場に入る可からず。
(六)授業の時限至れば控室に於て銘々の席につき教師の指示を待つべき事。
(七)もし授業の時限に遅れ参校する時は、猥りに教場へ入る可からず。遅刻の事情を述べて教師の指示を待つ可き事。
(十)生徒たるものは教師の意を奉戴し、一々指揮を受くべし。教師の定むる所の法は一切論ずるべからず。我意我慢を出すべからず。
(十一)授業中自己の意を述べんとする時は手をあげて之を知らしめ、教師の許可を得て後に言うべし。
(十三)師友又はその知りたる人に逢いたらんには礼儀を尽くして挨拶す可べし。帽ある時は之を脱すべし。

小学生の頃からにこれだけ徹底したのである。

「これがいい」とか、「こう出なくては・・・」というつもりはないが、改めて「教育のあり方」を考えてみることは必要だと思う。


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2013年02月24日

夢を持つ

子どもの頃よく言われてことの一つに「夢を持とう」というのがある。
長じて、社会人となったころも「夢を持ち続けよう」といわれた記憶がある。
そしていつのことからか、「夢を持とう」と、言う側になった。

多くの大人が経験していると思うが、いささか「無責任な言葉」であったような気もする。

2月17日の産経新聞「解答乱麻」欄で、パッカーズ寺子屋塾長の木村貴志氏が述べている。

《これまで私たちは、無責任に「夢を持とう。夢は必ずかなう」「努力をしよう。努力は必ず報われる」と教えてこなかったか。
フリーターやニートの出現は、そうした大人の無責任な物言いを反映してはいないか。

金メダルを目指して必死の努力をしてきた選手が、銀メダルになったのなら、正確にはその選手の努力は報われなかったのだ。
だが、その努力も悔しさも人生においては決して無駄ではなく、素晴らしい価値を持つ。

ならば、私たちは「懸命にやっても報われない努力もある。だが、無駄な努力は一つとしてない」と正確に語るべきではないか。》(以下略)

正にそのとおりである。

「夢を持とう。夢は必ずかなう」というのは、「夢そのもの」が重要ではなく、その夢の実現のために、「目標を作り」その実現のために「計画をつくり」、努力し続けることこそが重要なのである。

更には、「夢」を膨らまし、個人的なことから「より、世のため人のため」ということに進化させていくべきだろう。
それを「志」というのではなかろうか。
それこそ生まれてきた価値であり、いき続ける意味だと思う。

これからも若者に期待を込め「夢を持とう」といい続けたいが、その真の意味も加えて説明したいものだ。


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2013年02月23日

教育改革に望む

今日の産経新聞に、曽野綾子氏が「教育改革に望むもの」と題した意見が載っていた。

氏は、安倍内閣の「教育再生実行会議」のメンバーでもあると聞く。
その氏が、幾分覚めた目で論じているのが「教育問題の難しさ」を表しているように思う。

主張されている点は、「人を育てあげる最も基本的な部分」についてである。
「人を育てあげる・・・」というのは、「日本人を・・・」といっているように思える。

書き出しのところで氏の思いが綴られていると思うので紹介する。

《安倍晋三首相は熱心に教育改革を図ろうとしておられるという。

多分民間の多くの人も同じ思いだろうと思うが、実は私個人には、なぜこれまで教育というより、人間の生きる姿の基本部分を教えなかったのか、という思いが強い。

戦後68年、日教組の先生の言われるままに、たくさん間違った教育をしてきたのだから、骨のある人間を作る方向とは逆の道を行くことになっても不思議ではなかったのだろう。》(以下略)

この文章を読み、やはり、あの敗戦によって日本の最も大切にすべき「生き方」がないがしろにされ、アメリカに追いつこうと知識・技術中心の教育が行なわれた。

言葉を変えて言えば、「人間学」が軽視され、「時務学」が重視されたといえよう。

結果、間違った自由主義、倫理なき経済、という結果を生んだ。
それにひと役買ったのが日教組である。

そういう観点から言えば、「教育改革」は「日本人をどう育てるか?」という根本から議論を始めるべきだろう。

そこでの結論は、わが国の国づくりの方向と一致しているもので、同時に21世紀の地球社会をリードするものでなくてはならないと思う。

首相の言う「日本を取り戻す」とは、日本の伝統や文化、そして誇りを再確認し、国際社会に発信して行くことではなかろうか。


posted by 伊藤保徳 at 09:22| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月22日

明治の人に学ぶ

中日新聞の昨日(21日)の夕刊に面白い記事があった。

1面の下のほうにあるコラム「紙つぶて」である。
タイトルは『責任とは』で、なにやら難しい内容かと思いながら読んだ。

寄稿者は博物館明治村館長の鈴木博之氏であった。

英単語の訳の話である。

《明治時代の辞書に、レスポンシビリティという単語の訳として、「必ず返答いたすべきこと」と書いてあると読んだことがある。
レスポンシビティといえば、いまでは普通「責任と訳す。》
こんな書き出しで、「責任という意味」について改めて考えた、という内容である。

レスポンシビリティという言葉が「レスポンス、すなわち応答とか返答という言葉」から来ており、明治の辞書に書かれていたことに合点がいくというわけだ。

このように手順を踏んで考えれば、「責任とは!」などと、理屈をつけるよりずっと理解がし易いというのだ。
同感である。

「必ず返答いたすべきこと」とは、状況を引き受けることであり、それが責任を取るということである。

改めて「責任を取る」ということについて考えてみたいものだ。
政治家など、その職位を辞することが責任を取ることだと思われているが、どうも違うようだ。

「必ず返答してもらいたい」ものである。


posted by 伊藤保徳 at 11:35| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月21日

NHKの改革

産経新聞(大阪)に二日間にわたりNHKに関する記事が載った。
2月19日は「主張」欄に、『NHK給与削減・改革の本気度が試される』。
そして、翌20日には第一面のコラム「産経抄」に、NHKの職員給与についての批判であった。

なんでも今年は、テレビ放送開始60年とのこと。

昨今、つくづく感じることは、「見たい番組が減った」ということだ。
民放はその内淘汰されるだろうが、せめてNHKだけは「日本の文化性」を維持してもらいたいと思っている。
しかし、民放と似たようなものである。

そこに今回の記事である。

簡単に言ってしまえば、「NHKの職員給与が民間に比べ格段に高い」ということ。
それに対し、今後5年間で基本賃金を10%削減するという改革案がしめされたが、「民間感覚とはかけ離れ、あきれてモノがいえぬ」、というものだ。

知らなかったが、NHKの職員給与は《平均年収1185万円、厚生費などを入れた人件費は1780万円にも達する。》(「産経抄」)という。

この額には驚きだ。
社員の年収が平均で1千万円を超える企業というのはやはり特殊である。

槍玉にあがるのは、これらが「受信料で賄われている」ということだ。

昨年3月22日の衆議院総務委員会では、同時期の一般の被雇用者報酬が約440万円であるのに対し、厚生費などを入れた人件費(1780万円)は突出していると指摘されている。
それに対して「5年間で基本賃金を10%削減」では、とても納得が得られないだろう。

NHKの体質改善、経営改革は急務だと思う。

何よりも、その運営組織である。

「政府で運営すべきである」、という意見もあると聞く。
こうした意見も含め、一日も早い改革を望みたい。


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2013年02月20日

思いは叶う

昨日の夜、そして今朝と倫理の勉強会に参加した。

毎月1回、瀬戸市倫理法人会に本部(倫理研究所)から講師が派遣され、当日の夜は幹部研修、そして翌朝6時からはモーニングセミナーの講話を担当してもらっている。

昨晩は、「純粋倫理の特質」という話。
そして今朝は、「思いは叶う」と題した講話であった。

両方共に出席したが、全体的には「強く思えば願いは叶う」というものだった。

「本当にそうだろうか?」
「どういうメカニズムで願望が実現するのか」
「なかなか納得できない」
これらの「疑問や理屈」を口にしているようではダメで、とにかく「理屈なしでやってみる」。
つまり、「強く思うこと」、というのが教えである。

モーニングセミナーで毎回輪読している「万人幸福の栞」という教科書があるが、その中に『第15条信ずれば成り、憂えれば崩れる』(信成万事)という項目がある。

ここで言うところの「信ずれば・・・」というのが、「思い・・・」ということになる。
要するに強く信じるということである。

こんな一節がある。
《人の交わりの本は「信ずる」ことであり、事をなす根本の力は信念である。
決心の強いか弱いかによって、仕事の成否がきまるが、決心ということは、今までなかった事を、こうしようと信念を定めることである。

「ちかい」(誓)というのは、人と人とが、又人が人以外のものと結びあって、信念を固めることをいう。

「祈り」は神にすがって信念を確立するのであり、大宇宙の大信念と一致しようとするのである。
「祈るときすでに成就したものと思え」とはそのことである。》

そして講師はこの項目について、『別名、成功の法則』とも言われた。

つまり、強く思うこと、つよく念じることなのだ。
かといって、「思ったり、念じたり』だけでは成就しないというのは明らかなことである。

強く思えば、回りに変化が生まれる。
その変化に適応してゆくことが成就への道だということの様だ。

その第一歩こそ「信念を練り固めること」であり、それは、「書くこと」「口に出して言うこと」だと教えられた。

なんとなく思っていたことがスッキリした今朝のセミナーだった。

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2013年02月19日

人間力・生活力

今年から、瀬戸市倫理法人会の主催で「人財塾」が始まったが、不肖私がコーディネーターを務めている。
そもそもが、後継者や幹部の「育成」を狙いとしており、前2回はコンサルタントにお願いをしてきた。
しかし、その内容に満たされないものがあった。

研修のプロであり、さすがに豊富な内容だった。
しかしそれらは、経営管理に関する知識や技術が大半であった。

確かに「知識・技術」はあったほうがいいが、それよりもっと重要なことがある。

「知識・技術」は「時務学」であり、もっと重要なのは「人間学」である。

かといって、今から古典をひもとき、先人に学ぼうというのではない。
まずは「学び続ける姿勢」を持つこと、そして「仲間を増やす」こと。
それらを通じてこれからの努力の仕方をアドバイスしようということになった。
そして、私が担当することになった。

先週届いた「今週の倫理」では、「人間力・生活力」を取り上げていた。
今年正月の、箱根駅伝で予選会から勝ちあがり、見事優勝を飾った日本体育大学の事例が紹介されていた。

トレーニング以前に、選手の生活改善を徹底したとのことであった。
つまり、「知識・技術」より先に「人間力・生活力」が重要であるという証明である。

今、企業での幹部や管理者は、この「人間力」や「生活力」の強化向上が求められていると思う。

人間力や生活力が備わった人のことを「人材」ではなく、「人財」と呼びたい。


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2013年02月18日

叱る技術?

部活動やスポーツ強化の現場で、体罰が問題視され「指導のあり方」まで議論が広がっている。
議論な内容は多岐に及んでいるが、「叱る技術」という記事をみつけた。
少し違和感を覚えた。

2月15日の讀賣新聞(大阪)に、教育ルネサスというコーナーがあり、この日は「叱る技術2」とあった。元小学校教諭の野中信行さんへのインタビューで構成されたものだが、「技術」という視点が違うように思った。

ご本人の言われていることは「叱り方のコツ」である。
記事では4つにまとめられていた。
@夕立のごとくさっと終る
A叱り終わったら「終り」と宣言する
B叱った後にはフォローを入れる
C「叱る」は麻薬みたいなこと。魅入られない

Cの「麻薬みたい・・・」というのは、次のような説明があった。
《「叱る」は麻薬みたいなもので中毒になりやすい。
ここぞという時の、最後の手段であることを絶対に忘れないで》とのことであった。

全体的に、「叱ること」はそもそもいけないこと・・・という感じである。

私は、人を育てる上で「叱ること」はとても重要だと考えているので意外に思った。

更に、「叱ること」を技術という面から言及しているが、「叱ることは技術なのか?」という思いもある。

しかるというのは、「コツ」とか「勘所」というならわかるが、万人が会得し、同様な効果を生み出すものではないと考えてる。
従って「技術論」とはいえないのではないか。

つまり、「叱る」とは、指導者とその対象者との間にある信頼感のうえで繰り広げられる、「思いのやり取り」の一つだと思う。
故に、その場面限りの事である。

だから、この種のことを「技術論」で語り、それが支持されたとすると、「気持ちの通わない」ことになってしまうのではなかろうか。
その事のほうが問題だと思う。


posted by 伊藤保徳 at 06:14| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月17日

OB外交

16日に、「気になるニュース」と題して大阪の体罰問題のことを書いた。

「気になる」といえばもう一つある。
国の要職経験者の外交である。

2月16日の産経新聞に、「外患招く OB外交」という見出しの記事があった。

元首相の鳩山由起夫氏、同じく元首相の村山富市氏、元自民党幹事長の加藤鉱一氏は中国へ、元衆議院議長の河野洋平氏は韓国に、それぞれ出かけ「所見」を述べている。

この内容がニュースとして報じられているが、我が国の「国益」という観点から見れば明らかに「マイナス」だと感じる。
少なくとも国家の要職にあった人たちが、どうして「国益に沿わないような発言」をするのか理解できない。

よく言われる言葉だが、「あくまで個人的な見解」と断わったところで、世間はそうは見てないことくらいわかりそうなものだ。

立場上、いろいろな情報が入っているだろうし、マスコミのマイナス情報も少なからず知っていると思う。
その上で、あの種の発言をされていることに、呆れるしかない。

産経新聞の記事を紹介したいところだが、読めば読むほど腹立たしく、その気がうせてしまった。

もう、「気になるニュース」のレベルを超え、「問題なニュース」といええよう。
OB外交は個人判断では認めるべきではない。
そんなルールを早く作ってもらいたい心境である。


posted by 伊藤保徳 at 05:49| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月16日

環境教育

一昨日水俣で太陽光発電所の開所式に出席した。
ご来賓や関係者が集まり、神事、式典と続きその後発電所の視察と共にショールームも見てもらった。

夕方から祝賀パーティーがあり、冒頭水俣市長から挨拶があった。

水俣市はその昔「チッソの町」だった。
しかし、そのチッソの工場廃水が原因といわれる「水俣病」が発生し、水俣市民は大変な苦労を強いられてきた。

そんな中、熊本県から工場誘致の話をもらい、工場を操業して35年になる。

市長は、当社の水俣市への貢献を幾つか述べられた後、「水俣市は、環境都市として生まれ変わろうとしている。そんな中、環境問題のシンボル的なクリーエネルギーの発電所がこの水俣にできたことはまことに喜ばしい。併せて、ショールームは環境教育の拠点として、今後活用させていただけたら有難い」、と話された。

宴が始まってから、市長と話をさせてもらったが、これこそ会社が地域にできる貢献の一つである。

しかも、水俣市が目指す方向に合致しており、大きな効果が予測される。

これをキッカケに、各地の工場も同種の検討をしたほうがいいと思う。

何も発電所をつくれというのではない。
ショールームや食堂を整備しつつ、地域に解放することにより、「地域が望んでいること」が具体的にわかってくるのではなかろうか。
そんな中から、できることから一つづつやっていけばいいと思う。

地域貢献は、決して派手なものではなく、地味で継続的な取組みである。


posted by 伊藤保徳 at 10:27| Comment(0) | 社会貢献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

気になるニュース

毎日おびただしい数のニュースが入ってくる。
そんな中でも気になるニュースというものがあるものだ。

出張し、泊まったホテルに備え付けてある新聞を読むと、普段読んでいる新聞と何となく論調が違っていたり、取り上げ方が違っていたりする。
またそれが楽しみであったりするものである。

一昨日、新大阪のホテルに泊まった。
読売新聞が常備してあり、14日の夕刊と15日の朝刊を見たが「大坂本社」の発行であり、愛知のものとは違っているようだ。

その読売新聞(朝刊)の社会面に『ニュースが気になる』という欄があり、あの桜宮高校の「教員総入れ替え」についてが取り上げられていた。

この地方でも大きな話題にはなっているが、大坂での取り上げ方に比べたら小さい。

この体罰を原因とした事件も大きな問題だが、それに対する大坂市の橋下市長の言動をより大きく扱っているような気がする。

記事は、橋下市長が「教員総入れ替え」を求めているが、「それにどんな意味があるのか」と指摘、「納得できるプロセス」を求めるとした内容である。
この決断に対し、好意的ではない論調である。

大胆な決断に対し、マスコミがしり込みしている風である。

直感だが、もっと客観的な記事構成をすべきである。

私自身、市長の決断は「わかりやすい」し、応急措置としてはいいと思う。
その上で、恒久的な措置を今回の事件を事例にしていろいろな視点から分析し、原因を究め対策を打つべきだと思っている。

気になるニュースというのは、ある面「重要」だともいえる。
もっと踏み込んだ取材をし、国民的議論を促すべきだと思うが・・・。


posted by 伊藤保徳 at 08:37| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月15日

ことの起源

宿泊を伴なう出張の時、ノートPCを持って行き、それぞれの場でブログの更新をしていた。
しかし、最近はipadと使うようになり、出張もこれを持って行くようになった。

昨日のこと、水俣でこのブログを更新させようと文は書き込んだものの「投稿」ができず、結果断念した。
いろいろ操作している内に文章も消えてしまった。

そのときに書き込んだ内容を、もう一度思い出しながら書いてみる。

昨日、我が社九州工場の敷地内に、太陽光発電所が完成、その竣工式が行われた。
夕方からは祝賀パーティーも予定され、主賓の水俣市長にご挨拶をいただくことになっていた。

挨拶の中で触れられるであろう我が社と水俣市の関わりについて、最近のことはよくわかっているものの、ことの経緯、つまり「カワムラが、なぜ水俣に進出したのか?」という素朴なことをご存じなく、我が社の工場の問い合わせがあった。

ところが、当時その事に関わった人はおらず、手がかりは「70年史」のみということだった。

その場に私が居合わせたこともあり、知ってる範囲で話をしておいた。

要は、工場の建設や営業拠点の配備、あるいは新商品の誕生など、「ことの起源」についてキチンとした記録がないのである。
建物の完成とか、商品の発売日などは記録はあるが、「背景とか当時の様子」などは記憶中心だといえる。

やはり、記憶より記録である。
できるだけ生々しい事実を記録しておいたほうがいい。
極めて効果的な教育材料になると思う。


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2013年02月13日

開所式

今日から九州に出張だが、一番の目的は開所式への参列である。
熊本県水俣市にある、我が社水俣工場の敷地内にソーラー発電所がオープンする事になった。

我が社と水俣市とはとても深い縁がある。

水俣市に向上用地を取得したのが1973年の事。
第一次オイルショックを前に、大型投資の行われた年である。

水俣市役所のすぐ裏手の山林を取得したものの景気は一気に冷え込んだ。

しかし先代社長の水俣への工場進出の気持ちは強く、工場の設計や幹部要員の採用など着々と進んだ。
計画通りに進むかと思われていたが、先代社長が発病、長期療養が避けられなくなった。
計画の進捗は一気にダウン。
水俣市からは、カワムラ本当に来るのか?とまで囁かれた。

こうした事を経て、今は水俣市内で男子雇用型企業のナンバーワンである。

そして今回新しい分野への進出である。

私も毎年のように訪問しているが、水俣市と河村電器の新しい関係が始まる。

明日は市長や県議会議員ともお会いする。
水俣市の今後なども是非尋ねてみたい。

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2013年02月12日

教育技術

以前から教育に関する問題がいろいろ議論されているが、大津でのいじめによる自殺、大坂での体罰による自殺などの事件によって、議論の範囲が益々広がっているように思う。

更には、女子柔道の強化訓練で、監督の「体罰」が問題になり、「指導力」に関する議論も盛んである。

こうなると、「人としての生き方」にまで発展しそうである。

それはそれとして、資源のない日本にとって「人材」こそは、最も大切にしなければならない。
大切にするとは「人財」として育てあげることである。

本人の努力も必要だが、大人や社会が「そういう気持ちを持ち、指導育成を支援する」ことが大切である。こういう気持ちを持っているが、新聞で、「教育技術法則化運動」なるものがあることを知った。

産経新聞2月10日の「解答乱麻」という欄で、この「教育技術法則化運動」(TOSS)代表の向山洋一氏の寄稿があった。

この運動の狙いや内容については書かれていないが、文章の内容から大筋理解が出来る。

今回は、「子どもを安心して進級させるために」、と題した意見であるが、『子ども進級にあたって大切なことは、ズバリ「算数の学習」だ』、と言い切っている。
そして、効果的な算数の学習について述べている。

「教科書のすべての問題は教室で教える」
「プリントは教科書ではない」
「計算ドリルはほとんど意味のない教材」
など、「授業の基本」を説くと共に、『算数以外は短期間で追いつくことは可能だが、算数は毎日毎日の積み重ねが大切だ』と授業の力点も述べている。

更に、保護者に「学習の様子を点検する」ことを進めている。

まさに、「教育指導技術論」である。

こうした活動をもっと広めたらいいと思う。

大人が参画できる場面は少なくないと思う。

posted by 伊藤保徳 at 06:45| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月11日

データの示し方

企業業績は経営者にとって最も気になることで、毎月示されるデータはとても大切である。
示されるデータは、「そのものだけ」では語ってくれず、「予算との比較」「前月や前年同期との比較」などをすることによって、実績の評価や問題を発見している。

企業では当たり前のことである。

しかし、行政ではこういうデータの見方をせず、専ら「実数」を示し、「情報公開をしている」としている。
本当にこれでいいだろうか。

数日前も瀬戸市の13年度当初予算案が新聞に載った。

示されたデータは、「費目別の金額」と「12年度当初予算との比較」であった。

基本的な疑問点は、「予算案の開示目的」である。
予算案を示し、市民にも知らせる目的はなにか?
データの羅列だけでは意図がわからない。

十分に議論されてつくられた予算案であり、異論を挟む余地などないかもしれないが、市民の関心事としては、当面のことは「本市は何をしようとしているのか、そのための費用はどこから捻出しているのか」であろう。
更に長期的には「どんな町にしようとしているのか」、である。

長期的なビジョンがあり、それを実現するために「中期、短期の計画」があるはずだ。
そしてその実行のための「予算をどう確保しようとしているか」、である。

示されたデータで、市民の関心ごとは説明できると思うが、表現の工夫がないためにわからないのである。

「政治にもっと関心を持て」、というのは国民に意識改革を求めるだけではなく、国の運営をわかりやすく説明するすることも大切だ。
地方自治ではことのほか重要だと思うがいかがでしょうか?


posted by 伊藤保徳 at 07:08| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月10日

やはり凄い!

このところ女性の頑張りが目立っているような気がする。
やはり、オリンピック関連であろう。

代表格は「なでしこジャパン」と「吉田沙保里さん」であろう。
共に、国民栄誉賞である。

それぞれ、大変な苦労をされているが、立派な実績を残されている「理由」には興味がある。
普通の人間には真似のできないこともあるが、中には「平凡なこと」をされていることもある。要は、「どれだけ打ち込み、やりぬいたか」、という事だが、この取り組み姿勢が半端ではない。
「とても真似できない・・・」と諦めてしまう。

凡人の凡人たる所以である。

「なでしこ」の強さの秘密は、今年1月の始めから中日新聞で7回ほどの連載記事で紹介されていた。
「これは使える」と考え、記事を切り抜き私流に「要約」し、次の「人財塾」で紹介するつもりでいる。

さて、吉田選手のことだが、この人の「脳に関する話」昨日の夕刊にあった。(中日新聞2月9日)

コラム「紙つぶて」欄に、『ただもんじゃない』と題しスポーツドクターの辻秀一氏が書いていた。

《吉田選手は集中とリラックスの共存を常に創り出す脳の習慣に優れていることがわかりました。
そのような脳の使い方をライフスキル脳といいます。》

これだけでは、なかなか意味がわからないが、要は・・・
《一生懸命をとにかく楽しむプレイハードの習慣です。
いつでもどこでも楽しいは、自分次第だと考え生きている吉田さんはただもんじゃありませんでした!》

こう結んでありました。

集中するも、どこか余裕を残している。
打ち込むことに、何か楽しみを見出している。
・・・こんな状況なんだろうか?

どうしたらこんなことが出来るのか?
やっぱり凄い人なんだ。


posted by 伊藤保徳 at 07:52| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月09日

日本の市民憲章

一昨日の夕方、「市民憲章の勉強会」に出席した。

「市民憲章」というのは瀬戸市にもあるが、従来から全く意識してこなかったといってよい。
しかし、ふとしたことから注目するようになり、いろいろ調べていく中で、今回勉強会が企画された。

瀬戸市の市民憲章は、昭和54年10月1日に制定されているが、市制50周年の記念事業の一つとして制定されたとのこと。
読んでみて、「ほとんどの町にそのまま当てはまるような内容」だと感じた。
しかし、日本全国、多くの市民憲章はその傾向であるという。

さらに共通していることは、「制定しただけで、具体的なまちづくりなどに活用されている所はせいぜい1割程度」とのことであった。

瀬戸市の場合も「一般的な部類」のようだ。

勉強会では市民憲章そのものの説明もあったが、そこから派生した「日本の伝統や文化」に関する解説が特に印象的であった。
益々興味が湧いた。

『日本の市民憲章は3つの特長がある』
この部分の解説は面白かった。
@「簡潔である」⇒「自分にできる良いこと」がうかぶ
A「肯定的である」⇒「真のやる気」がでる
B「和語がたようされる」⇒「まこと」がつたわる

この三つそれぞれの解説は、まるで「日本文化論」であった。

「簡潔」は「抽象的な言葉」となり、故にいろいろイメージを生む。
それが、日本語の良さであり独特なものである。

「皇帝的な表現」は、人をヤル気にさせる。
体罰や指導のあり方が今話題になっているだけに、目からウロコの説明だった。

そして「和語」について。
「和語」のことはよく理解できてないが、「日本古来の言葉」とでもいいのだろう。
それが現代でも「方言に生きている」といわれ、妙に納得をした。

市民憲章を深く理解することは、日本を理解することにつながる。

市民憲章は「地域のもの」。
これを学校教育にも取り入れたらなら、人づくりの上で大きな効果が生まれるような気がする。


posted by 伊藤保徳 at 07:02| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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