2012年09月29日

今、改めて論語

昨日の産経新聞に、子供たちへの教育として「論語」がとり上げられていた。
記事の見出しは『今、改めて論語』であった。
そして、《子供たちに教える「人間としての基本」》とある。
個人的にも大賛成である。

よく考えてみると、我々日本人の「精神的支柱」は論語にあるように思える。
いわゆる「性善説」である。

ただ不思議に思うのは、論語は「中国・春秋時代」のもので、聖人、孔子の言行録であり、なぜ中国で普及浸透しなかったことである。
昨今北京で、「論語」を見直す流れが出て来ているようだが、一党独裁の国家では普及が難しいようにも思える。

やはり論語の精神は日本人に合っているのであろう。

第一点は、宇宙とか自然に対する畏敬の念があること。
そのことが人間社会において「相手を思いやる心」になっている。

第二点は、万世一系の天皇制が、タテ系列の伝統を重んじる価値観を創りあげている。
それにより、両親先祖を敬う心や長い目で見る価値観を育ててきたと思う。

大まかにこのように考えており、人としての最も基本となる「心」を教えるのに「論語は最適」だと思う。

記事では、「論語を子供の教育に取り入れる動きが広がっていること」の紹介である。

子供向けの「論語教育」なので、いろいろな工夫が見られるが、一番いいと思うのは「輪読」である。
教育というと、「知識の伝達」と考え、先ずは「言葉の意味」から入りがちだがそうではない。
やはり、「声を出して読む」ことが基本だ。
しかも、大きな声で。

いい言葉というのは、それを発するだけで心が豊かになるといわれる。
頭で意味を理解しているか否かは関係ないのである。

大きな声で読む。
それは自身の耳からも入り、記憶するのにも効果的だ。

記事を読みながらこんなことを感じた。

《今、改めて『論語』》である。


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2012年09月28日

瀬戸・人財塾

瀬戸市倫理法人会では会員サービスの一環として、後継者や幹部社員を対象とした研修会を開催している。
すでに2回開催した。
毎月1回、半日を使って6ヶ月間の研修である。

倫理法人会での勉強は、「倫理経営を実践し、日本創生を目指す」という大きな目的があり、それを少しでも早く実現することへの支援活動という意味もある。

1回目、2回目を開催し、《人材育成》には違いないが、「経営管理」に関する意識やノウハウよりも「人間力」を高めることの方が重要ではないかという意見が出た。
最もな話である。

ただ問題はお願いする講師である。
「人間学の大家」を招聘すれば効果は大きいだろうが費用も多額になることが予測される。

いろいろ議論の結果、過去4年余、毎月1回モーニングセミナーで講師を担当してきた私に白羽の矢が立ち、浅学非才ながら挑戦させてもらうことにした。

名称は『瀬戸・人財塾』である。
来年1月開講することにし、「塾生募集チラシ」が出来上がってきた。

カリキュラムの細部はこれから詰めていくが、まさに挑戦である。
ただ一方では、今までの「学びの整理」「経営実務での反省」などをする機会だとも考えている。

「何かを教える」というスタンスではなく、《経営者に必要なこと、人として大切なことを、皆で考え、議論し、気付き、学びあう講座》にしようと思っている。

新たな発見も多くあると今は楽しみになってきた。


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2012年09月27日

中国の沖縄工作

領土問題で隣国とギクシャクした関係になっている。
改めて日本の立場や相手国の言い分について、キチンと吟味しておく必要があろう。

私自身一つの勉強機会と捉え、理解を深めようと思っている。
そんな中で、とても気になる記事(意見)があった。

9月14日付の産経新聞に、評論家の石平氏が『中国の「沖縄工作」の狙い』という記事があった。
石氏というのは、1962年中国四川省生まれ。
北京大学卒業後、88年に来日され神戸大学大学院の博士課程を修了。
民間研究機関を経て評論活動を始め、平成19年には日本国籍を取得した人である。

記事によれば、《中国の一部の軍人や学者が突如、「沖縄は実は中国領だ」という奇妙なことを言い出した。》というもの。

尖閣諸島の領土問題は、実は「中国の沖縄工作の前哨戦」、というようなニュアンスである。

石氏が言っているだけに私は信じてしまう。

後半では「空恐ろしいこと」が書かれているので原文のまま紹介する。

《つまり中国が欲しがっているのは、決して尖閣諸島だけではないことは明々白々だ。彼らはすでに、日本の沖縄に対する野望をむき出しにしている。

おそらく中国からすれば、沖縄を名実ともに「中国の属地」にしてしまえば、中国の海洋制覇戦略の最大の妨げとなっている米軍基地をかの地から追い出すこともできるし、日本本土を完全に中国の軍事力の脅威下に置くこともできよう。

そうすると、「琉球の中国属地化」の次にやってくるのは、すなわち「日本の中国属地化」なのである。

われわれはまさにこのような意味合いにおいて中国の考える「沖縄工作」の真意と狙いを理解しておかなければならない。

このような国家存亡の危機にどう対処するのかが、まさにわれわれにとっての重要課題となるのです。》

大東亜戦争での敗戦以後、「自虐的歴史観」と「間違った自由主義、個人主義」により、日本人としての誇りも失ってしまった。
防衛力などの裏付けあって平和が保たれていることも知らず、「1億総平和ボケ」になっているのではなかろうか?

反省をし、国民の一人として「何をすべきか」考え、実行すべき時だと思う。


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2012年09月26日

我社の経営の本質

瀬戸市倫理法人会の今朝のモーニングセミナーは私の当番であった。
先月は、年度の最終月ということもあり、新年度の方針説明などがあり、私はお休みでした。

9月からが新年度。
約4年間、毎月1回モーニングセミナーの講師を務めてきたが、もうしばらく続けることになった。ただし、内容を少し変えようということで、「経営・倫理・人間学」を基本にして話を組みたてようかと思っている。

約4年間は「日々感じること」をメインテーマとし、ブログにアップしているような内容であった。
新年度からはメインテーマを「経営のこころ」とし、もう少し「経営者の心」とか「品格向上」に関わるような内容にしようと考えている。

そして今朝のセミナーである。

内容は、1週間ほど前にブログにアップした「本質を見抜く」とし、その目をどう養ったらいいかについて所見を述べた。
そして最後に「我社の経営の本質」について紹介した。

これは会社内でコンセンサスがとれている訳ではないが、経営塾など社内の研修で会社の歴史や理念の背景などを解説する中で、自身が率直に感じたことである。

@事業は人なり
A企業は公器なり
B職場は家庭なり

@とAはさほど目新しい事ではない。
我社らしいといえるのは、「B職場は家庭なり」である。

創業者は「社員は家族」というのが口ぐせだった。
職場での先輩社員や兄や姉であり、上司や経営者は親がわり・・・こんなことも言っていた。

つまり、仕事の指導と共に、面倒をみることをよしとする雰囲気であった。

私にはその状況が「家庭生活」そのものだと思った。
今から45年も前の印象だが鮮明に覚えている。

ということで新年度第1回のセミナーを終えた。

自己採点は70点くらいであった。


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2012年09月25日

政治を考える

昨日夕方から、愛知県第7選挙区の自民党時局講演会があり出席した。
自民党第7選挙区支部長の鈴木淳司さんが主役であるが、もう一人の主役が(予定では)安倍晋三さんだった。

しかし安倍さんは自民党総裁選の真っ只中にあり、昨夜、瀬戸市に単独で来ることなど適わず、結局講演は評論家の金美齢さんであった。
加えて安倍さんのご夫人昭恵さんも出席された。

自民党総裁選の投開票日が迫っており、さながら「安倍総裁誕生」「安倍総理大臣誕生」を願う会のようでもあった。

「批判するのはたやすい、されど・・・」
今の政権与党民主党におくりたい言葉だが、同時に自民党にも言えよう。

こんな状況になって、あの政権交代選挙の時、民主党に1票を投じた人が「やはり自民党だ」、という人が少ないのだ。
つまり、「既成政党ではもうだめだ・・・」という空気が漂い、「維新の風」が吹き始めている。

でも、本当にそれでいいのだろうか。
「日本の政治は三流だ」、と笑っていていいのだろうか。
いつまでも無関心を装っていていいだろうか。

私は近くの四国(中国・韓国・ロシア・北朝鮮)からの圧力を受けている今、国民の一人ひとりが「政治に関心を持たねばならない」と考えている。
今、その機会であるといえよう。

政治に関心を持つということは、わが国日本のことをよく知り、良いところを見つけ好きになることが大前提である。
国を愛さない者に政治に関心を持てと言っても詮無いことだ。

こう考えると、国のリーダーに最も重要なことは「国の行方」を明確に示すことの出来る人だ。
そしてその人の属する政党を支援すべきなのだ。
国政選挙というのは「一に政党、二に人物」だと思う。

昨晩の時局講演会で金美齢さんが言っていた。
私は50年日本の政治を見てきた。
台湾が日本統治下にあった時、一党独裁政治の時も知っている。だから比較もできる。

そして政治の根本は、正しい国家観と信頼関係だ・・・と。

つまり、「本質」を見ているという自信あふれる講演であった。

その金さんが言った。
日本の政治を担うのは「自民党である」、そしてそこのリーダーは安倍晋三さんだ・・・と。
むろん最後に鈴木淳司さんの名前を言われたのはいうまでもない。

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2012年09月24日

相手を理解する

領土問題に端を発し、中国や韓国との関係がギクシャクし始めている。

私自身勉強不足もあり、「問題の本質」や「今後どうすべきか?」についてはその答えを持っていない。ただ今回の騒ぎで、日本人として「日本近代史」をもっとキチンと理解しておくべきだったと思うし、第2次世界大戦前後の史実を改めて勉強しようと思った。

多くの日本人が私と同じような思いを持ったことだろう。

そんな中、NHK総合テレビで特別番組があった。
9月23日日曜日、午後9時からのNHKスペシャルである。

「領土をめぐる対立の行方」と題し、第1部では「日本と中国」、第2部では「日本と韓国」であった。

私はこの番組のあることを全く知らず、10時半過ぎに偶然見ることになった。
番組は終盤で、「日韓の論客」3人づつが討論をしていた。
日本側にジャーナリストの櫻井よしこさんが出演されていたこともあり、20分ほど見た。

後で新聞の番組欄を見ると、《日韓論客が徹底討論 竹島・従軍慰安婦問題 互いの不信感の根底にあるものは?ホンネで迫る緊急生放送》とあった。

「大統領の竹島上陸」が対立の引き金となっているが、歴史的な問題なども話し合われていた。

放送時間も少なくなり、司会者から、「時間も少なく難しいでしょうが・・・」と前置きの後「今の状況を踏まえ今後どうすべきか?」と6人に問われた。

その「回答」がとても印象的だった。
韓国の人たちは総じて「韓国はこう思っている。日本はこうすべきだ・・・」という内容。
それに比べて日本のほうは、「韓国はこう考えている。日本はこう考えている。その上に立ってどうすべきかを考えなくてはならない。」と発言していた。

これが国民性の違いであろう。

先ずは自己主張があり、その上で相手に要求をする。
些か乱暴だがこのように言えよう。

日本は違う。

櫻井氏が発言していた。
《歴史というものは、一つの史実でもそれぞれの国で認識が違う。まずはこの事を互いに理解する必要がある。その理解の上で「今後どうすべきか」を検討しあうことが大切ではないでしょうか。》

「自国の歴史観を相手国に押し付けるのは議論ではない」というようなニュアンスがあったように思う。

とても共感できる発言であった。

こういうスタンスで歴史を学ぶべきであろう。


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2012年09月23日

「致知」からの言葉1

昨日、本を処分することについて書いた。
特に、人間学を学ぶ月刊誌「致知」については悩ましく思っていたが、やはり場所の問題もあり、処分を進めようと考えた。

処分対象の本を一通り目を通し、「生涯手許に置くべし」と感じたものは保管、処分するが記事の中で「心に留めておきたい言葉」などは切り取り、ブログに書き込んでいこうと考えた。
今回は第1回である。

『戦後日本人の五つの忘れ物』 中條高徳氏
今の日本人は豊かさの中にどっぷりと浸かっている。
奇蹟といわれる富の構築は我が民族の誇りといていい。
が、しかし・・・
その豊かさを掴むについて、様々な大切なものを失った。

1.「国家観」が希薄になった。
 国防の基本は愛国心だ。公を忘れて個のみにはしる民族に明日はない。

2.「義務」の喪失。
 「権利」と「義務」は表裏一体。
 権利のみの主張に終始し、義務を顧みないのは強く恥じるべきだ。

3.「叱ること」を忘れてしまった。
 「父母は習慣の教師、家庭は習慣の道場」(福沢諭吉)
 叱ることが罪悪で、甘く育てることこそが親の愛と錯覚している昨今の親の病は重い。

4.「褒めること」が下手になった。
 叱るべきをきっちり叱る人から褒められると、褒めれる側の喜びは倍加する。

5.「忍耐」を忘れてしまった。
 耐えてこそ明日につながるのが世の常。
(「致知」2008年5月号 「巻頭の言葉」より)

私は、縦の流れ、国の成り立ちから連綿と続いてきた「日本人の精神文化」が、戦後からの活動で「どこかに追いやってしまった」と感じている。
それは単に、昔を懐かしんでいるのではない。

「何か大切なものを・・・」という思い。
まだ多数ではないかもしれないが確実に増えていることを感じる。

気がついたときが吉日だ。
先ずは自らが「忘れ物」をとりに行きたい。

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2012年09月22日

本の処分

読書家というわけでもないが書棚はすぐに一杯になる。
ほぼ毎週本屋に出かけており、行けば購入する。
こんな日常ではたまる一方で、処分を考えないといけないと思っている。

だが、この処分がとても難しい。

「いつか役に立つだろう・・・」という考えがあり、つい手元においてしまうのである。

一時、書棚のスペースを決め、そこに納まらないのは「即、処分」としたことがあるがこれも続かなかった。しかし、この方法が一番できそうな方法でもある。

改めて「ストックスペース」を決め、そこに入りきらない本は思い切って処分しよう思っている。

まずは・・・と、月刊誌から始めることに。
毎月購読しているのは2誌である。
「致知」と「家の光」である。
この2誌は自宅に送られてくるので毎月必ず増えていく。

「家の光」2年分(12冊)の保管スペースを用意し、1冊届くと1冊処分することにした。
勿論処分する時にはざっと目を通し、興味のある記事があった場合は切り取っている。

これと同じ方法で「致知」も処分しようと考えた。
しかし、この本の処分は難しい。
「人間学を学ぶ月刊誌」であり、「2年分保管」とか、「3年分は保管」というわけにはいかない。

今のところ、「特集」の内容によって保管するか否かを決めようと思っている。

何年間も保管していても、全く読まないのであれば保管する意味がない。
さりとて期間を決めて処分するのも・・・。
悩ましいところである。


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2012年09月21日

自性の心

倫理法人会の会員になると、「職場の教養」という小冊子が毎月30冊、「今週の倫理」という資料が毎週送られてくる。
共に内容はわかり易いが、時に格調高い内容もある。

今週の倫理786号(2012.9.15〜9.21)は、『自性の心で役を受け 責任を全うしよう』というテーマでの一文であった。
「自性の心」、果たしてどういうことか?
私は初めて聞く言葉である。

こんな説明がある。
《私たち人間は、本能によって動く部分があり、自分の心や行いをを自由自在にもって行くことが許されている一面があります。これを倫理運動の創始者・丸山敏雄は「自性(じせい)」と呼びました。

「この自性を、右に用いるか、左にやるか。
進む方向にむけるか、退く方向にむけるか。
働きの方向にむけるか、怠けの静にかえるか。
己のため、己の自由、己の利益、己の好みのためにするか、人のため、世のため、天のため、神のためにするか。
そこで、すっかりとわかれてゆく。」
(「実験倫理学体系」より)》

要するに、「自身の心の持ち方」とでもいうのだろう。

そして、「俺が、俺が・・・」という自己中心とか、損得を基準とする心のもち方ではなく、「世のため、人のため」という心で「与えられたコト」に励むべきだ、としている。

資料では、法人会の役員辞令にふれ、そうした役職を「自性の心」で励むよう督励されていた。

読んでみれば「意味」は理解できる。
ひるがえって自身の日常をみてみるに、「世のため、人のため」というのはなかなか難しい。
ただ出来ることもある。

それは意思決定の基準として持つことである。

右か左かを迷う時、「世のため、人のためになるかどうか?」という基準で意思決定をしたいものだ。


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2012年09月20日

本質を見抜く

「本質を見抜く」とは、月刊誌『致知』9月号の特集タイトルである。
「本質を見抜く」には、安岡正篤氏の「長い目で見る」「多面的に見る」そして「根本を見る」という「教え」の通りだと思う。

日常的にも、目の前の現象や枝葉末節に惑わされることなく、本質を見て対応しようと心掛けている。

今回ブログで取り上げたのは、「純粋倫理の本質」についてである。

先日、瀬戸市倫理法人会主催のイブニングセミナーがあった。
純粋倫理の普及を狙っての催しであるが、突然「倫理法人会とは?という話を15分位して欲しい」という依頼があった。
当初は会長の役割だったようだが、急用ができたとのことで代役が回ってきた。

勉強を始めて5年余、純粋倫理のことはよく理解していると思われているがそうでもない。
なかなか奥が深く、よく理解しているとは言いがたい状況だ。
でも2時間位後にはみなさんの前で話さなくてはいけない。

そのとき頭に浮かんだのが「本質を見抜く」ということ、安岡正篤氏の言葉であった。

純粋倫理の本質といえるかどうかわからないが、『私自身の感じている純粋倫理、倫理法人会』を述べたらいいと考えた。
一種の開き直りだが、少し気が楽になった。

5年余の学びの中で一番の印象は「自ら実践」ということだ。
そして身の回りのあらゆることから「学び取るという姿勢」。
そして「自らが変わる」ということだ。

『凡事徹底』
当たり前のことを当たり前にやり尽くす、継続することだ。

『万象我師』
他人様をはじめ世の中全てのことから学ぼうという、謙虚で素直な気持ちで暮らす。

『運命自招』
己の暮らし方が運命をつくる。他人と過去は変えられないが自分と未来は変えられる。

この三つが私の思う『純粋倫理』、そしてそれを勉強している法人の集まりが『倫理法人会」であると。
つまり、法人のいえども経営の良し悪しは、そのトップたる経営者(個人)の考え方や暮らし方で決まるのである。

時々こうした予期せぬスピーチの依頼がある。
その都度考え精一杯話しているが、これもまた天からの試練であり、そのたびに勉強させてもらっている。

ことの本質を見抜くには、「ぼんやりと暮らさない」ことからはじめなくては・・・と思った。



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2012年09月19日

社説の検証

隣国との領土問題が喧しくなっている。
マスコミは連日報じているが、果たしてどんな価値観を持って「文字や映像」にしているのか。
微妙な問題なだけに、一つだけの報道を信じるのは危険だと思う。

以前から言われていることだが、どうも日本のマスコミは中立ではないようだ。

最も絶対的な中立など不可能なことで、マスコミの使命からすれば「国民に正しい判断してもらうための情報提供」を心掛けてもらっているはずである。
しかし、それもなかなか難しい。
会社としてのポリシーもあるし、個人的な価値観をゼロにして報じることも難しいといえる。

ではどうするか、ということになるが、我々としては「比較して」自身が判断せざるを得ないだろう。

そんな思いを持ちながら新聞も数紙読むようにしていた。
しかし、私が購読していた2紙は「同じような論調」であった。
そんな中、「これだ!」と見つけたのが産経新聞の『社説検証』という欄であった。

文字通り全国紙各紙の「社説」の比較である。
執筆者は「清湖口敏」と記されており、どういう人物なのかまだ調べてはいない。

例えば約一ヶ月前の記事では「広島原爆の日」が取り上げてあった。

論点は、「原爆の日」と「脱原発」について、「同じ原子力として絡めた論説」をした新聞社と、「原爆の日は追悼や鎮魂」という社説とを比較していた。

とても勉強になる。

いろいろな意見があっていい。
要は、多様な意見(情報)から選ぶ力が国民にあるかどうかである。

現在の一般的価値観は「自分にとっての損得」であり、直接的に関係の及ばないことは「無関心」を装ってしまう。
こうした風潮から直す必要があると思うが大変である。
でも、一人が気がついて直していけばいつかは「大義にもとづく判断」のできる国民(国)になると思う。

そういう意味からも、「情報」は多面的に見てもらいたいものだ。


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2012年09月18日

社歌の効用

会社に社歌がありながら、暫しその存在を忘れてしまうことがある。
制定されたときはその意義も明確であったが、いつしか忘れられてしまう。
理由は簡単、日常口にしたり耳にしないからである。

少し日にちが経ってしまったが、8月31日の産経新聞に「社歌」に関する記事があった。

「理念共有」「消費者との接点」「絆深めて」・・・と、「社歌」効用の文字が並んでいた。

記事では、この「効用」とともに、最近つくられる「社歌」の傾向について紹介していた。

特に興味深く思ったのが「変遷」である。
(作家の弓狩匡純氏によれば・・・)
・1917年
確認できる限り日本企業としては初めて、南満州鉄道が社歌の制作に着手。

・1939年代
世界大恐慌の影響により、大型倒産などが多発。社員の団結力向上などになると考え、松下電器産業などが社歌を制作。

・1940年代
第2次世界大戦下、国粋的な歌詞で行進曲風の社歌が作られる。

・1960年代
高度経済成長期、景気に合わせた明るい歌詞の社歌が歌われるようになる。

・1980年代
バブル景気により、コーポレート・アイデンティティーに取り組む企業が増える。社歌は「各自で口ずさめる」ものが増える。

・1990年代
個人主義のビジネスすアイルが注目されるようになり、社歌が敬遠され始める。

・現代
若者の安定志向により、再び社歌が受け入れられるように。対外的にも企業イメージ発信のツールとしても使われるようになる。

「社歌」があった方がいいのか、無くてもいいのかと問われれば、「あった方がいい」と思う。

「社歌」にいろいろ求めるより、その原点として歌詞に「経営理念」を謳いこみ、日常的に「歌う」ことだと思う。

「国旗」と「国歌」を大切にするように、企業内では「社旗」や「社歌」を同じように扱ってはどうだろうか。


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2012年09月17日

富国有徳への道

今までいろいろな本を読んできたが、20年以上購読している月刊誌「致知」は特別である。

企業経営の場面で参考にしたことも多いが、人格形成にも多くの影響を受けてきた。

この本に出会ったのは1987年頃だったと思う。
知人から紹介され、一読して気に入りすぐ購読を申し込んだ記憶がある。
あれから25年である。

その「致知」であるが、創刊30周年を迎えた頃から「積極的なPR」をされるようになり、購読者数も大幅に増えたようだ。

先週(9月11日)、産経新聞に全面広告が載った。
『人間学を探究して三十四年』という大きな見出し。
その下に、「致知」の創刊理念が紹介されていた。

 いつの時代でも
 仕事にも人生にも
 真剣に取り組んでいる人がいる。
 そういう人たちの
 心の糧になる
 雑誌を作ろうーーー。

そして、「致知」最新号の表紙写真と共に、『富国有徳への道』という文章が載っていた。
身震いするような内容である。

江戸の末期から明治にかけ、多くの外国人が日本を訪れ、日本と日本人についての感想を残している。
それらを紹介しながら、編集長の藤尾氏が「総括」している。

《私たちの祖先は勤勉・正直・親切・謙虚・素直・感謝といった徳目を規範に、育成期も暮らしてきた人たちであった。
外国の人たちの証言はそのことを明らかにする。

さて昨今は・・・
隔世の感、といわざるを得ない。

この日本人の美徳を取り戻し、後世にわたさなければならない。
私たち一人ひとりがこの美質を涵養し、発揮した時、日本は真に豊かな国となる。

富国有徳とはこのことである。》

全くそのとおりである。
今の日本人の行動基準は「損得」あるいは「経済」が最優先で、「正義」はどこかにいってしまった。
残念なことである。
「正義」とは、「世のため人のためになるかどうか」ということだ。


文章の最後は、先覚者安岡正篤氏の言葉である。
《人々が己一人を無力なもの、ごまめのはぎしりと思わず、如何に自分の存在が些細なものであっても、それはことごとく人々、社会に関連していることを体認して、まず自らを良くし、また自らの周囲を良くし、荒涼たる世間の砂漠の一隅に緑のオアシスをつくることである。

家庭に良い家風をつくり、職場に良い気風をつくれないような人間が集まってどうして幸福な人類を実現できましょうか。》

富国有徳への道は、『一己からはじまる』ことを私たちは忘れてはならない。

重い言葉である。


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2012年09月16日

超高齢化社会

明日は「敬老の日」。
国民の祝日であり、多くの国民が、日の出と共に国旗を掲揚し、祝日の意義を再認識してもらいたいものだ。我が家では、丁度一年位前から祝日には必ず国旗を掲揚している。

隣近所で、1軒2軒と増えていってもらいたいと願っている。

さて、敬老の日を前に、厚生労働省の調査で100歳以上の人が5万人を超えたという事がわかった。
(中日新聞9月14日夕刊)

高齢化が進み、総人口が減少傾向に転じた日本だが、100歳以上の人が5万人以上とは驚いた。
100歳といえば大台で、身近にも探すことが難しいほどだ。

驚きついでに二つ。
5万人いる100歳以上の高齢者のうち、女性が87.3%(4万4千842人)とのこと。
平均寿命でも醸成が随分上だが、100歳を超えるとなると9割近くが女性である。

私の近所を見回してみると、80代、90代が珍しくない。
そのほとんどが女性である。

もう一つの驚きは、今年度中(2012年度中)に新たに100歳になられる方が、過去最高の2万5千823人あるという。
来年の今頃の発表では、『100歳超え、7万5千人』ということになろう。

こういう数字を見ると明らかに世の中kが変わったと認識せざるを得ない。
60歳定年が、65歳までの雇用継続が義務づけられ、60代、70代まで現役として活躍される人が増えてくる。

この年代になると、横一線というわけにはいかないが、「生産人口」としてカウントできる人がきっと多いと思う。
故に、社会構造が変わらないといけない。

若い頃のように、フルタイムの仕事は難しいかもしれない。
しかし、新しいライフスタイルに基づき、短時間とか変則労働日という「就業希望」が出てくるかもしれない。

企業も「社会の公器」として、こうした高齢化社会に適応した「雇用システム」を検討する時期かもしれない。
考えようによっては、面白い時代が来ているといってよい。


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2012年09月14日

働く気持ち

先日長時間労働のことについた書いた。
健康管理の観点で、長時間労働は好ましくないということだが、「客観的な時間の長さ」だけで、判断するのは難しいということ。

労働は、その本人の姿勢や考え方、つまり主観が大きく働き、長い時間の労働であってもストレスを感じない場合と、短い時間なのに大きなストレスを感じる場合がある。

それぞれの感じ方であり、とても難しい問題ではある。

とはいえ、社員の健康管理は重要なテーマであり、「長時間の労働」は合理化や工夫で短くする努力が必要だし、一方で、個人の「働く気持ち」を前向きなものにしていく必要もあろう。

働くことの「意義」とか「意味」。
日本人独特の「労働観」とか「勤労の精神」。
こんなことを考えるのは、今勉強させてもらっている「純粋倫理」の中に、『喜働精神』という言葉がある。

正確には、『万人幸福の栞』の第10条である。
10.働きは最上の喜び 「勤労歓喜」

このことが頭をよぎり、「働く気持ち」を漢字で書いてみた。
正確な言葉(漢字)というより、「感字」である。
最上級から・・・
・歓働
・喜働
・苦働
・嫌働
・孤働

「働くということは本来苦しいもの」、この論を中心に据え、好ましい働く姿勢を「歓と喜」で表現、辛くストレス一杯の状況を「嫌と孤(独)」を使ってみた。
うまい具合に、か行で繋がった。

特に配慮が必要なのは、職場での「孤独」ではなかろうか。

そうした人が毎日どんな気持ちで仕事に取り組んでいるのだろうか。
考えただけで胸が痛む。

常にいろいろなことに目配せし、気遣い、気働きをしたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 09:29| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月12日

大相撲秋場所雑感

久しぶりにテレビ桟敷で大相撲を観戦した。
先ほど打ち出しとなったところである。

今場所の最大の話題は、大関日馬富士の横綱挑戦である。
先場所優勝しており、二場所連続なら文句なく推挙されることだろう。
今日も万全な取り口で白星、これで初日から4連勝である。

解説の芝田山さん(元横綱大乃国)が、意味深い話をしていた。
『横綱に挑むというのは、プレッシャーもふくめいろいろなことを考えるものです。個人それぞれでしょうが、いろいろな気持ちをどこにもって行くかということが大切です。私の場合は「下半身」でした。』

「勝たねばならない」「負けちゃいけない」。
寝ても覚めても土俵での勝負のことばかり。
いろいろ縁起を担ぐ人もあるようだが、要は「集中力」のようだ。

「集中力」のことは理解していたつもりだが、「気持ちを一ヶ所に集める」という説明を聞いたのは初めてであった。
我々のビジネスの世界でも使えると思った。

今日、4日目の取り組みを見て、横綱白鵬や大関日馬富士の万全さは結構としても、大関陣のふがいないことである。
今日から二人の大関(琴奨菊関と把瑠都関)が休場。
稀勢の里関は全勝ながら、琴欧州関、鶴竜関はともに負け、それぞれ2敗と1敗となった。
序盤の4日目のことである。

もう少し頑張って、終盤まで優勝争いに加わってもらいたいものだ。

さて、平幕に目を移すと「頑張っている力士」がいる。
今日で、通算勝ち星808勝の旭天鵬関。
もう一人、通算で801勝を達成した若の里関である。

この通算勝ち星800勝というのは大変な記録のようで、紹介した二人の現役力士を含め、全部で11人しかいないのである。
第1位は長く大関だった魁皇関である。
記録はなんと、1047勝とのことだ。

1年6場所で、勝率5割で年間45勝です。
800勝を積み上げるのは、20年以上が必要となる。

どこかで見た記憶があるが、11人の中に横綱はいなかったように思う。
最上位であり、ある一定以上の成績をおさめなければ引退しなくてはならない。

外国人力士では「高見山関と旭天鵬関」である。

長い期間土俵に上がり、存在感を示すのも一つの生き方であろう。
30歳を過ぎると「現役引退」がささやかれる世界にあって、40歳近くまで若々しく相撲をとるというのは素晴らしいことだ。

今場所、平幕の旭天鵬関と若の里関が、通算勝ち星を幾つまで延ばすか楽しみである。


posted by 伊藤保徳 at 18:38| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

日本人の歴史観

隣国からの領土問題で難しい対応を迫られている日本。
しかしながら政府は余り切実感を持って対応しているようには見えない。
メディアも国内の政局ばかりを、極めて興味本位に伝えている。

こんな状態で日本は大丈夫だろうか。
心配する人は沢山いるはずだが、どうもそれが見えてこない。

その原因の一つとして、大多数の国民が「日本の歴史観、国家観」を持っていないからだと思っている。

我々個人が、この国日本でこれからも幸せに生きていこうと願う時、子や孫に何を遺し、どんなことを大切にするかをキチンと伝えていく必要があろう。

先ずは家族であるが、自身の両親にはそれぞれ両親があるように、何代も遡れば膨大な数の鮮度のあることに気付く。そしてそれは、日本の建国や歴的変遷と大きな関わりがある。
つまりは、日本国の建国とその歴史の正しい理解である。

もっといえば、地球という星に住む我々は大宇宙の一部」だともいえよう。

こうしたたて系列をキチンと理解する必要がある。
しかしながら、大東亜戦争に負けたことにより、それまでの日本の「精神伝統」の多くは否定され、ただただ戦争に対し自責を求める意識を植え付けられてしまった。

そうした思想が前提となった対応が、特に外交面に「弱腰」となって表われているように感じる。

尖閣を中国領土とする主張。
竹島を韓国が実効支配をしている現実。

これらは、日本人の歴史観や国家観を取り戻すべき天からの啓示だと捉え、日本としての歴史観・国家に対する考え方を早急に明らかにすべきであろう。
そして、一日も早く学校教育に取り入れるべきだと思う。


posted by 伊藤保徳 at 09:25| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月10日

経営塾で学ぶもの

昨日の午後から今日にかけ、第15回の経営塾が開催された。
私は7月に続いて2回目の担当で、昨日は午後1時から5時半まで、会社の歴史を中心に話をした。

講義が始まる前に、前回塾生に課していたレポートをもらった。
テーマは「今まで仕事で学んだこと、これから学ぼうとしていること」であった。

ざっと目を通したが、これから学ぼうとしているのは以下の項目であった。
1.計画策定力
2.コミュニケーション
3.マネージメント
4.リーダーシップ
5.人材育成
6.目標管理

これから学ぼうというのは、「経営塾で学び取ろう」というのも含まれていた。
これは、6月の「社長講話」、7月の「会社の歴史・理念の形成」という私の話を聞いた上でのレポートである。

管理職として、あるいは中堅幹部として上昇しようという意気込みは感じるが、少し物足りなさも感じる。

つまり、学びたいものの殆んどが「知識・技術」であること。
人間形成とか、人格向上といった「人間学」にたいする関心がほとんどないように感じる。

確かに日々の仕事を合理的に進めるために技能(知識・技術)は必要だ。
しかし、経営塾という「特別な学習環境」の中で学びたい項目がこれではもったいない気がする。

経営塾のスタートの頃、塾生に何を学ぶべきかをやかましくいってきた。
それは「人間を学ぶ」ことだと。
知識・技術は経営塾でなくても学ぶことは可能だ。

経営塾でしか学べないもの。

これがはっきりわかれば、飛躍的に成長すると思うのだが・・・。


posted by 伊藤保徳 at 17:14| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月09日

経営理念の背景

今日から明日にかけ、経営塾が開催される。
「役員をつくろう」と、熱い思いをもってはじめた経営塾だが、15年目になる。
13年間は殆んど一人で企画、運営、講義をこなしてきた。

役員定年となって2年目になるが、この経営塾は人事部が主管して継続されている。
今は、「会社の歴史」という項目を担当しており、今年の経営塾では2回(7月・9月)の出番がある。
その2回目が今日からの経営塾である。

会社の歴史も伝え方によって理解の深さが違ってくる。

全6回の内の2回であり、会社の歴史理解に力を入れていることがわかる。

さて内容だが、7月は「創業から90余年」を振り返る形で、ほぼ年表に沿って解説した。
私の知識のバックボーンは、創業者、二代目社長、そして現社長3人に仕えていることと、創業70周年の時に発刊した「70年史の編纂」に深くかかわったことにある。

70年史の編纂では昭和37年以前の資料が乏しく、聞き取りや業界などの資料を基にライターに執筆してもらい、ストーリーを創りあげた。
何度も推敲し、多くのことが記憶となった。

今回の講義は「経営理念の背景」を中心に、5〜6年前に社内の研修会で講義をしたレジュメを利用するつもりだ。
内容は同じようなものだが、異なった二つの対象であり、理念をより深く理解してもらいたいと思う。

一つは、入社1年後の社員に「仕事の心構え」として、仕事に対する意義を経営理念との関係から解説したもの。
もう一つは、部門長(支店長)を対象に、「我々の継承すべきこと」と題して話した内容である。

ともに、我社の経営理念がどういう背景の下に形作られてきたのか、それを日常的にどう実践してきているかなどを具体的に話したものである。

今晩の「ナイトミーティング」で理解の度合いを確かめるつもりだ。


posted by 伊藤保徳 at 09:52| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月08日

全国労働衛生週間

本年も10月1日より1週間、全国労働衛生週間である。
今年は第63回で、スローガンは『心とからだの健康チェック みんなで進める健康管理』である。

10月からの全国労働衛生週間を控え、昨日、活動の説明会があった。

瀬戸労働基準協会の年中行事になっており、今年も200社近い出席があった。

主催者として10分間の挨拶時間があり、今回はすすんだ取り組みをされていいる企業のことを紹介した。
その会社は岐阜県関市にある「鍋屋バイテック」という。
プーリーの製造販売をされているが、驚くべきは創業が1560年である。

1560年というのは、あの桶狭間の戦いのあった年である。

長寿企業を代表する1社であるが、今回は「安全衛生活動」についての話である。

この会社では、「労働安全衛生マネジメントシステム」(OSHMS)を導入されているが、他の認証(ISO)とともに、「従業員が管理(発見・対処)できるのリスク」とし、明確な活動目標が設定されていた。

「安全衛生」に関していえば、それは「従業員に対するリスク管理」だという考えが徹底され、日常活動の中で、リスクを発見し報告することに徹していた。

つまり、個人、職場全体で安全や健康に対するリスクを見つけ出そうというのである。
地に足のついた活動だと思う。


ともすれば、スローガンを掲げ、それを唱和すれば何となく活動をやっているような気になってします。
そのことに対する警鐘とともに、具体的な行動を如何に促すかが重要だと話した。

我社はどうだろう。

恒例とはいえ、労働衛生週間をセレモニー化してはならない。


posted by 伊藤保徳 at 06:34| Comment(0) | 経営改善 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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