2012年08月31日

ピア・サポート活動

小中学校で「ピア・サポート活動」が盛んなようだ。

「ピア」は仲間、「サポート」は支援を意味する言葉で、異なる学年が混じる「団活動」のことを言うそうだ。
言葉は知らなかったが、特に目新しい事ではない。
私の高校時代は工業高校ということもあり、同じ科の生徒は3年、2年、1年とまとまって学校諸行事をしたいた。

丁度一ヶ月前の中日新聞(7月30日朝刊)に、この活動のことが取り上げてあり、興味があったので切り抜いておいた。

記事によれば、学校教育でのピア・サポート活動を次のようの説明している。
《児童生徒が互いに思いやり、支えあう関係を育むための学習活動。
活動を知る学習、計画、主活動、振り返りーの一連の流れを繰り返す。
困っている人への支援、あいさつ運動、相談活動、仲裁などさまざまな事例がる。
人との関係づくりに加え、相手に役立つ自分に気付き、自分を大切にする気持ちを育む利点もある。》

学校で、異なる学年の生徒が混じって活動することが、これほど難しく考えなくてもよさそうなものだと思う。
要は、「集団生活の中でより良い人間関係のあり方を学ぶ」ことであろう。

学校現場ではこうした言い方がされるが、小学校の「集団登下校」などは、その最たるもので、実に上下間の統制が取れてる。
小学校で6年間、一番下から段々に上位の立場がわかってくるもので、先生や親より、上級生の言うことには一番で従ったものだ。
中学に入ると「部活」があり、ここでも上下の秩序を叩き込まれた。

いつの頃からか義務教育は高校や大学に進学することが目的化し、塾へも通うことが常態化した。
これは、団生活の中で磨かれるべき「人間関係能力」を高めることなく大人になっていくことで、社会に出てからとても苦労している。

それなりに同化する人は良いが、そうではない人も多い。

フリーターとかニートを言われる人の多くは集団の中での生活が苦手である。
つまり、人間関係能力が低いといえるだろう。

やはりこれは子供の時に「経験」させ、身をもって覚えるべきことであろう。

ピア・サポート活動が有効だとは思うが、もっと日常的なことで人間関係能力を育んだらいいと思う。
例えば、「正しい通学団」「放課後の教室解放」「地域子供会の活発化」「地域行事への子供参画」など。

地域の大人たちが、「子ども育て」にもっと関わることが重要ではなかろうか。


posted by 伊藤保徳 at 08:20| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月30日

深まる理解

瀬戸市倫理法人会で純粋倫理のことを勉強しているが、なかなか難しい。
倫理研究所の研究員や、スーパーバイザーからは、「理屈ぬきでやってみればその良さがわかる」といわれる。
少し前から、普及活動・会員拡大が「重点方針」として打ち出され、県からの達し事項として「会員数目標の登録」という事が行われた。
営業で言う「ノルマ」のようなものだ。

「役員が一人一社獲得すれば、10や20は簡単に増加する」と、ムチが入る。

普及活動の管理項目として「会員数」を用いるのは間違っているとは思わない。
しかし、このことだけをやかましくいえば「架空の入会」をし、期が変わるとすぐ退会手続きをするような手が使われている。
「そんなことは絶対にしていない」、といわれるが、締め切り間際に会員が増大し、期が変わると退会が増えるという現象は、「締め切り日」につじつまを合わせているとしか思えない。

こうしたことは、「正しい普及活動」をしていないということを反省すべきだ。

どうすればいいのか、私自身もいろいろ考えていた。
真剣に考えれば誰かの救済があるというのは本当である。

昨日、8月29日のモーニングセミナーの講師は、倫理研究所法人局の川又名誉専任研究員であった。

テーマは「大我に生きる」であったが、話の中で普及活動のあり方に触れられた。
『普及とは』というレジュメも配布された。

全部で10項目。
そして一番最後には次のように書かれていた。
《本物の普及は環境を大きく変える。
普及する者がまず救済されぬ普及は普及に非ず。
自他共に繁栄してこそ本物の普及である。》

1.普及とは、自らの生命を燃やし、日本創生の人類救済行と心して、小心翼々、大胆不敵に、明るく前向きに取り組むべし。
2、普及とは、受身の行動ではなく、先手先手と働きかけてゆく攻めの行動に醍醐味がある。
3、普及とは走りながら考え、考えながら端綱かに結果と実績がうまれる。
4、普及とは・・・・

こうして10項目が明示してあった。
個別の解説はなかったものの、「普及」を「営業」という言葉に変えて読んでみて・・・という説明はとてもよくわかった。

少し理解が深まったセミナーだった。
この10項目それぞれを、具体的な行動に落とし込み、実行するのが我々の役目だと思っている。


posted by 伊藤保徳 at 09:39| Comment(0) | 人材育成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月29日

節目

何事にも節目は大切である。
特に日本人は・・・といえるかもしれないが、いろいろな節目に「新たな決意」をするものだ。

倫理法人会という団体がある。
瀬戸市には5年前に設立され、私も縁あって当初から関わっている。

この倫理法人は、節目は一年に二つあると感じている。
一つは「1月1日」、つまり暦の上での「新年」である。

1月1日に特別の行事があるわけではないが、倫理研究所の理事長から新年メッセージがあり、新しい年への決意に結び付けている。
設立5年になるが、この1月1日に「何かを行なう」という動きは今のところない。
国民の祝日の中で最も重要な祝日でもあり、何か「新しきこと」を考えたい。

もう一つの節目は「年度替り」である。
ちょっと珍しいが、倫理法人会は9月1日から1年間が「年度」であり、間もなく新年度となる。
既に、来年度の方針や体制などが発表され、「動き出すばかり」である。

節目であるこの時期、多くの人は「新年度のこと」である。
「あれをする」「これをしたい」と、計画は盛りだくさんである。

自分の会社の経営となると、いろいろな条件もあり、「盛りだくさんに・・・」というわけには行かない。つまりは「先ずは今期を踏襲する」ことをベースに、新しい計画を幾つか盛り込むことが一般的のようだ。

企業経営者の一人として感じているのは、「総じて反省が足りない」ということだ。
節目に考えることの多くは、新年どのこと。つまりはこれからやることなのである。
これも重要であるには違いない。
しかし、その年度、一年だけというのはあり得なく、連続性を意識しておく必要がある。

今日の動きは、以降に「結果」として表われる。
良い結果を出そうと思えば「原因」を変えなくてはならない。

こうした道理を考えれば、「節目」というのは階段の踊り場のようなもので、「今までの歩みの反省」と、「これからの歩みの方向確認」ということになろう。

胸に手を当てて考えると、「これから・・・」のことを考えているウエートが高い。

反省が足りないと、「同じような失敗を繰り返す」とか、「成功体験から抜け出せない」というようなことになる。

節目に当たっては、「反省・分析」を十分に行なう時間をもつべきだと思う。


posted by 伊藤保徳 at 10:09| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月28日

社会時評

中日新聞の夕刊に「社会時評」という欄があり、作家の高村薫氏が「辛口の意見」を述べている。

私は浅学であり高村薫氏は知らなかったし、氏の小説を読んだこともない。
しかし、この「社会時評」は好きで掲載の度に興味深く呼んでいる。

好きな点は、「社会現象の捉え方」である。

8月16日は『政府批判の一文』であった。
テーマは「国民の声 聞かない政府」であったが、見出しには『世論調査は形だけ 本音は国民投票回避』とあった。
これは、毎週金曜日に行なわれている「原発反対集会」のことや、原発に関する「討論型世論調査」などを評し、「政府はもともと国民の声を聞く」という気持ちなどない・・・と、一刀両断にしているのである。

いろいろ事情はあろうが、国民的目線でいえば「その通り!」ということだ。

さて、社会現象の捉え方であるが、今回も冒頭、なかなか意味のある視点が述べられている。

《日本選手の幅広い活躍に沸くロンドン・オリンピックの熱狂と、脱原発に向う国民世論の静かなうねりと、ついに国民の目線に立つことなく自己崩壊が進む政治と。
この三つを同時に眺めながら、日本という国への希望と絶望が交錯する一月だった。》

これが今回の書き出し文である。

「希望」はオリンピックである。
国の威信をかけてメダルが期待できる分野に集中投資する諸外国に比べ、日本はどんなにマイナーで弱い競技にも選手が出場していることについて、《好きなスポーツに打ち込む自由が社会に受け入れられていることの、なんという豊かさだろう》と述べ、ここに日本の希望を見出している。

片や「絶望」であるが・・・。
「国民の声を聞かない。声を聞こうとしない政府。」ということである

思えば、首相官邸を取り囲む脱原発の集会を、首相は「声」ではなく、「大きな音」だと言ったという報道があった。
国民の声を聞くということは、政治の基本中の基本だと思う。

これもいろいろな事情があることだろう。
報道の片よりもあることだろう。
しかし・・・
多くの国民が感じているのは、「政治への空しさ」である。

マスコミの影響もあることを承知しながらも、どうしてもそう感じてしまうのである。
何とかしなくてはなりません。


posted by 伊藤保徳 at 08:11| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月27日

地学地就

またまた聞きなれない言葉だ。
「地学地就」とは、《地域で学び地域で就職する》ことだそうだが、地方大学がその地域の中小企業を中心に学生の就職を促す活動のようだ。

一ヶ月程前の日本経済新聞に取り上げられており、興味もあったので切り抜いておいた。

静岡と福島の事例が紹介してあった。
《「地学地就」の促進は大学と企業のパイプづくりがカギとなる。だが中小企業の場合、単独では大学との連携には限界がある。金融機関や商工会議所が仲立ちしてインターンシップなどに取り組む例も増えている。

しずおか信用金庫(静岡市)や静清信用金庫(同)など静岡県中部の4信金は今年度、静岡大と組んで学生のインターンシップを実施する。
4信金が秋に開く大規模商談会に参加する中堅・中小企業約10社に静岡大が学部・大学院の学生を送る。

福島県郡山市の郡山商工会議所は会員企業と学生のインターンシップの仲介を全国に先駆ける形で始めている。

マッチング数は1998年に6社3校の9人だったが、2010年度には29社24校の75人に拡大した。11年度も東日本大震災の影響があったにもかかわらず23社に20校の93人を紹介した。

日本商工会議所のまとめによると、インターンシップ支援などを行なっている商議所は08年度に全国で153件、11年度に184件と増えている。》

いろいろな地域があり、同じ手法を導入することは難しいが、考え方は大いに参考になる。

キーワードは「地域」ということだ。

「地域」と「地元就職」という二つをベースに、「大学」「高校」を結びつけたらいいのではないかと思う。
ただ、忘れてはならないことは「就職したら終り」であってはならないことだと思っている。

インターンシップも就職も「当事者である学生」の成長機会と捉えるべきだし、そういう視点をもつ企業を選ぶべきである。
だからこそ、「働くことの意味」をキチンと教え、共有することが重要である。

日本人の持っている「勤労という精神」を長く継承すべきだと思う。

地元で仕事を持つ意義も大きい。



posted by 伊藤保徳 at 08:45| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月26日

自治体の経営

今年3月、瀬戸市倫理法人会の設立5周年の記念行事で講演会が催された。
講師は、北海道・森町の佐藤町長であった。

佐藤町長のお願いすることになったのは、準備を開始した頃月刊誌「致知」(2011年8月号)にインタビュー記事が掲載され、純粋倫理を実践されていることよともに、革新的な活動をされていることを知ったからだ。失礼を省みず講演をお願いしたところ快く引き受けてもらった。
しかも講演料は無し、ということだった。

そんなこともあり、瀬戸市倫理法人会として森町に訪問することになった。

昨日は、夕方から佐藤町長の「お話とギター演奏」があった。
3月に瀬戸市に来てもらった時も、パーティーでギター演奏と披露いただいた。

40分ほどの話であったが、「自治体の経営」のついてであったがとても興味深かったし、大いに共感できた。さすが自身で企業経営をされてきただけある。
考え方が「シンプル」であること。
自治体運営に「企業経営の考え方(経験)」を積極的に取り入れていること。

「自治体は参考にすべき」、というより、「全面的に取り入れるべき」だと思った。

役場職員の処遇や考え方を「中小企業と同等に」と、町長第一期から大胆な改革をされたようだ。
職員の抵抗やマスコミにも批判された経緯があるようだが、ほぼ狙い通りに進められたようだ。

経営という面では、毎年4月という期の初めに、会社でいう売上(利益)はほぼ確定しており運営は専ら「お金の使い方」、しかも使い切ってしまうことが自治体運営であり、実に簡単である。
そうではなく、役場そのものが「収益をあげる」ようになり、会社のように「収入・支出」ともにマネジメントする仕組みに変えていく、という考え方である。

考えてみれば当たり前のこと。

集めた税金を、その年に使い切ってしまうこと。
足らなければ「借金」をする。

こんな運営は「経営」とは言わない。

現状は、予定した「費用」を少なくする活動は評価されない。

予算どおりに執行することがいいことではなく、少しでも減らすことが評価されるような自治体にするべきである。

佐藤町長、10月の選挙での勝利を祈りたい。


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2012年08月25日

あるもの探し

あの3・11は、多くの日本人の価値観をかえ、その新しい考えでの「行動」が始まっている。

3・11を機会にして考えが変わった人もいるが、それよりも日本のバブル経済崩壊以降、「今までのやり方ではいけない」「過去の成功体験から決別する」などと、いろいろ挑戦しながら見つけた方向に確信を持った人のほうが多いように思う。

つまり、失われた20年といわれる「混迷期」の中で、しっかりと時代を見据えていた人達である。

そういう人の一人だと思うのが、福島県・飯舘村の村長、菅野典雄氏である。
飯舘村というのは、人口6000人で今回の原発事故で「全村避難」となった村である。

村長である菅野氏が、ロータリークラブの地区大会(福島県)の記念講演会で、『「お金の世界」から「いのちの世界」へ』と題して「時代の流れを読んで考えや行動を変えよう」と、述べている。

直接聴いたわけではないが、「ロータリーの友」8月号に講演内容が掲載されていた。

最も印象的なところは、この村にビジョンを掲げ10年計画で「時代にあった地域づくり」をされていることだ。東日本大震災はこの計画7年目の出来事だったが、その方向に間違いがなかったことを強く感じているようだ。

その計画のキャッチフレーズが「までいライフ いいたて」。
文字を見て、思わず口に出して読んだほど意味がわかりません。
最後の「いいたて」が村名であることはわかるが「まいで」という言葉が分かりません。
もちろん説明がありました。
村長は「スローライフ」を進めようとしているが、この「スロー」を説明する言葉が「まいで」だとのこと。

この地方では『まいでに子供を育てないとあとで苦労するよ』とか、『まいでにご飯つぶまでキチンと食べないとバチが当たって目がつぶれるよ』というように使われていたようだ。

つまり「まいで」とは「真手」(まて)のこと。
「左右揃った手。両手」のことで、転じて「基本に忠実」「丁寧」「大切」「念入りに」というような意味だそうだ。

そうした基本的な考え方をベースに「ないモノねだり」から「あるもの探し」という価値観を植え付けようとされているようだ。

具体的には、
@資源を大切にする。もっと身近にいえば、自分たちの暮らしを方を少し考えてみる。
A「お互いさま」という社会や地域をつくっていく。
B自分たちでできることはできるだけ自分たちでやろう。

つまり、もう一度身の回りを見直し、いつしか忘れ去られてしまったっことや捨ててしまったことの価値を見直してみたり、見方を変えて見ることによって発見をする、といったことをやろうということなんだろう。

とても参考になる。
日本全国に広げたい「考え方」だと思う。


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2012年08月24日

拠点の歴史

昨日、北海道支店で研修を行った。
主たる対象は営業マンであったが、参加者の入社歴はいろいろであり、営業技術論ではなく日常活動に「役立つ知識」を、という要望をもらっていた。

具体的には支店長から、「北海道における我社の歴史」というテーマをもらっていた。

我社と北海道との関わりは意外に古く、シェアも高い。
拠点は昭和43年(1965年)に出張所が設置され、営業所、支店へと昇格規模も大きくなってきた。

一方、生産拠点も昭和44年(1966年)に出張所の隣に「製作所」を開設したが、製造以来が増えていき、昭和48年(1973年)には工場が建設された。

日本経済の高度成長期ということもあり、順調に伸張してきたといえる。
そのタイミング絶妙なものがあった。
がしかし・・・
どうしてその時期であったのか?
はっきりとした勝算はあったのか?
どうしてその場所だったのか?
などなどの「疑問」、つまり「知らないこと」が多くあるのである。

支店長も2年目であり、素朴な疑問もあったようだ。

今回の研修会は、こうした疑問に答えるという内容だった。

昨日の午後から2時間。
北海道の拠点歴史を語った。

「温故知新」という言葉がある。

市場やお客様のニーズは時代とともに変わるものである。
変わってからそれに対応していては競争に負けてしまうことが多い。一歩でも半歩でも先んずる必要があるが、その踏み出す方向は「歴史の中にヒント」がある。

つまり「ふるきをたずねて新らしきを知る」、ということだ。

2時間の話でどれだけわかってもらえたか。

その後行なわれた会食の場では、「拠点の歴史」に関する話が多かった。
それは歴史の一部分を知り、新たな疑問や興味が出てきたことの証だと感じた。

歴史を学ぶことはとても意義あることである。


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2012年08月23日

単身世帯の急増

8月10日の産経新聞の記事。
「正論」の欄で拓殖大学総長の渡辺利夫氏が『単身世帯の急増は亡国への道だ』と述べている。

この見出しを見る限り、《少子高齢化社会・人口減》という範疇での問題提起だと思った。
読んでみると、人口減の問題ではあるが、その背景に「憲法精神の具現化」があり、「民主党左派への批判」をし、このままでいくと日本は滅びてしまうのでは(亡国への道)という、恐ろしい内容だった。

先ずは、「単身世帯の急増」であるが、現在全世帯数に占める「単身世帯」の割合は31%。片や標準世帯の比率は29%と、単身世帯のほうが多いという。

死別以外の単身世帯化の要因は「未婚と離婚」だが、これが現在日常化してしまっている。

つまり、《未婚や離婚に対する人々の規範意識がが変化し、結婚・出産・育児といったライフサイクルをどう形作るかは個人の自由な選択によるべきだ、とする考えが定着してしまったという指摘である。
そしてそれこそが《憲法精神の具現化》だというのである。

なるほど、と思う。

その憲法は「日本人によって制定されたものではない」、と考えると、GHQによる「日本戦後政策」は空恐ろしく感じる。

憲法は第13条と第24条を取り上げている。
第13条では『個は絶対的存在である』ということ、第24条では『独立した個から構成されるものが夫婦であるいう』のみで、夫婦が家族共同体の基礎だという語調がないことを問題視されている。

そして現与党の民主党の政策は「家族崩壊に拍車」をかけるようなものが多いという指摘。
「男女共同参画社会計画」などは問題であるとしている。

まとめとして述べている内容は、じっくりかみ締めてみる必要がありそうだ。

《単身世帯の増加は、出産・育児という後継世代を恒常的に再生産する自然生命体としての営為を、あたかもそれが理不尽なものであるかのごとき認識に人々を誘ってしまいかねない。

単身世帯という存在は、個々の単身者がそれをどう認識しているかは別だが、結果としては社会的エゴそのものである。かかるエゴを助長する政党に執権を委ねる国家は、亡国への道に踏み込まざるをえない。》

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2012年08月22日

小1の壁

「小1の壁」という言葉を始めて知った。

日本経済新聞の8月17日号に、小さな囲み記事があった。
「発光言」というコーナーである。
そこで、名古屋大学の浜口道成学長が述べている。

《「小1の壁」を解消することが、少子化に歯止めをかける近道》と。

つまり「小1の壁」とは・・・
働く女性の子育て支援策として、小学校入学後のフォローを手厚くすべきだ、というのが持論のようで、子育て支援は、小学校に入ってからが重要という意味で「小1の壁」と表現されているようだ。

考えてみれば、未就学児童というのは保育園などで、夜遅くまで子供の面倒をみてもらえるところがある。しかし、小学校に入ると授業は午後まで、その後の「学童保育の場」も夕方までというのが殆んどである。

さて、大学の学長がこういう話をどうして?という疑問が湧いた。
記事を読んで再認識をしたが、《子育てと研究の両立を目指す優秀な女性を集めること》が課題になっているお湯だ。

名古屋大学は学内に保育所と学童保育所を整備されているようで、このやり方を全国に広げていくべきだと主張されている。

企業でもいろいろな取組みをしているが、一社だけではその負担は大きいものがある。
しかし、工業団地などでは「団地全体の取り組み」として、保育所や学童保育所の開設を検討すべきかもしれない。

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2012年08月21日

オリンピック選手

ロンドンオリンピックでメダルを獲得した選手達のパレードが昨日行われた。
石原東京都知事の英断によって実現したと思うが、素晴らしいことだ。
「国威発揚」という言葉があるが、それそのもののイベントだと感じた。

バスに乗って50万人の人たちに、一杯の笑顔を振りまいたメダリスト達。
心から祝福をしたい。

一方、努力が報われず「顔向けができない」と思っている選手も少なくない。
こうした選手達にもねぎらいの言葉をかけてあげたいものだ。

さて、メダルを獲得してもその内容によって自責の念を強く持ち、ついには自らの命を絶ってしまったメダリストがいる。
1964年東京オリンピックの男子マラソン銅メダルの円谷幸吉選手のことである。

今月1日よりの日本経済新聞「私の履歴書」は、マラソンの君原健二氏だが、その中で「円谷選手」のことを述べている。
東京オリンピックは、日本が戦後の復興を遂げ「国威発揚」の素晴らしい舞台だったといえる。
しかし、そのことが記憶にある人、ましてやマラソンの円谷選手のあの場面を覚えている人はどんどん減ってしまっていると思う。
何せ昭和39年のことである。

マラソンのゴールまであと少し。
国立競技場に第2位で入ってきた円谷選手。
しかしその後に続いて入ってきた英国選手(ベイジル・ヒートリー氏)に抜かれてしまい結果3位の銅メダルであった。
陸上競技での日本メダル獲得は28年ぶりの快挙だった。

しかし、彼(円谷選手)は《抜かれたことを深く悔やみ、悩み続けた》という。

当然のことながら、4年後のメキシコオリンピックに期待が膨らんだ。
そして円谷選手自身も「日の丸を揚げること」を公言もし練習に励んでいたという。

「私の履歴書」大18回は「円谷さんの死」と題した内容だった。
1967年に行われた全日本実業団選手権でのこと。(以下、原文を抜粋)

《競技場の控え室で「メイキシコ五輪では日の丸を揚げる。それが国民に対する約束だから」と口にした。それは、東京五輪の直後から円谷さんが繰り返してきたセリフだった。

東京五輪のゴール目前にして、ベイジル・ヒートリー(英国)に逆転を許し、メダルの色が銀から銅へと変わった。円谷さんは国民の前でぶざまな姿をさらしてしまったと恥じた。

そして、メキシコでの再度のメダル獲得が自分に課せられた責務なのだと自分に言い聞かせ、公言もした。私は言ってあげるべきだった。「そこまで自分を追い詰める必要はない」と。》

円谷さんはメキシコ五輪の年1968年の1月9日、自らの命を絶たれた。27歳であった。

遺書には・・・
『父上様母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。』
上司宛には・・・
『お約束守れず相済みません』

オリンピックに国民の期待を受けて出場するということは、人をこうまで追い込むものなんだと改めて思った。

ロンドンオリンピックでメダルを獲得した選手が一様に口にしていたのが「感謝の言葉」であった。
期待という重圧から解きはなたれた瞬間でもあろう。
素直で、心のそこからの言葉であるが故に私たちに感動を与えてくれるのであろう。

posted by 伊藤保徳 at 07:52| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月20日

人口の減少傾向

日本全体でも人口減が始まっているが、地域によっては切実な問題になっているところもある。

17日から滞在している熊本県水俣市もそんな地域の一つだと思う。

先ずはデータであるが、水俣市広報によれば、本年7月末現在の人口は2万7千181人で前年同月比で157人の減である。

3年位前に、「水俣ファンクラブ」の存在を知り入会しましたが、会員特典の一つで「市広報」がおくられてくる。それを毎月見ながら「人口減少の傾向」が続いていることを知っている。
そして十数年前から毎年8月の「桜ヶ丘観音祭」に参加しており、水俣の多くの人から話を聞かせてもらっている。
なんといっても人口減の話が多い。

人口減に拍車をかけていることもある。
その一つに「土地」の問題があるようだ。

隣町(鹿児島県出水市)には車で30分足らず。
土地の価格が水俣市に比べて格段に安いとのこと。

「若い者が、水俣に家を作らんとですよ・・・」
水俣は海と山の町というくらい平地が少ないのである。
供給が少なければ値段の上がるのは経済の理である。

水俣は「チッソの町」である。(「・・・であった」というほうが正確かもしれない。)
チッソでの生産活動が旺盛な頃は7万人くらいの人口があったと聞く。
それが現在、半分以下の2万7千人。

市の運営を抜本的に考え直す必要に迫られている。

そしてそれは「明日はわが市の問題」でもある。

posted by 伊藤保徳 at 07:34| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月19日

言葉で変わる認識

旅先でメモ帳を読み返していた。

とあとるるページに「言葉だけでも認識が変わる」というタイトル。
何かを見て書き留めたものだ。
改めて見てみて納得した。
どこの誰の「文」なのかわからないが紹介したい。

『言葉だけでも認識が変わる』
・「あたりまえ」を「ありがとう」というのが『感謝』

・「だからなに?」を「おめでとう」というのが『賞賛』

・「もうダメだ」を「これからだ」というのが『希望』

・「なりたいな」を「なってやる」というのが『決意』

・「もういいや」を「まだ待とう」というのが『忍耐』

・「疲れた」を「頑張った」というのが『努力』

「人間気の持ちよう」といわれる。
また、「言葉は自身の思考を規制する」ともいわれる。

日本語ならではの世界のような気がする。
やはり「言霊」があるのだろう。

今日は特に「感謝」の一日にしたい。


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2012年08月18日

管理者達と会食

昨夜、水俣工場の管理者達と会食した。
工場長は本社での会議に出席のため不在だったが6人の課長が集まってくれた。
私が経営一線から引いてから初めてのことである。

会食というと、食事を共にしながらいろいろ情報交換をすることが本意だと思うが、お酒が入り「単なる飲み会」になってしまうことが少なくない。
その原因の一つが参加者数だ。
人数が増えればあちらこちらでグループができてしまい、会としてまとまりがなくなってしまうのである。

昨夜の会食は、久しぶりに充実した2時間であった。

先ずは場所の設定がいい。
水俣市にある福田農場である。
「スペイン村」と銘打っており、それらしい雰囲気である。
ホールのようなレストランであるが、7〜8人用のテーブルがいくつかセットしてある。

その一つに予約が入れてあった。
私を入れて7人。
食事をしながら話をするのに丁度いい人数だ。

料理は「おまかせ」とのことだったが、大変なボリュームである。
二つの大皿で出てくる。
そのたびに話が中断し、料理の話しになる。
これが会食ならではの雰囲気である。

仕事のこと、地域のイベントのこと、これからの水俣のこと、などなど。

7人が一つの話題に参加するとそれぞれの「特長」がよくわかるものである。
各課長のことはそれなりにしていたつもりだが、昨夜、新たな発見もあった。

いい事はもとより、好ましくないことも気がつく会食はとても効用が大きい。

水俣ではもう一回、日曜日の夜に開催される予定である。
メンバーは少し変わるようだ。
今度は役員が参加するので雰囲気も違ったものになろう。


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2012年08月17日

ハイコンセプト

毎月購読している「致知」打が、自宅に届いてすぐに読み始めるわけではない。
2週間くらい経ってから読み始めるのがいつもの読み方である。

今日は熊本の水俣市に向かっており、名古屋から福岡への飛行機の中で9月号を読み始めた。

一番最初にある「巻頭の言葉」に興味ある事が書かれていたので紹介する。

ウシオ電機会長の牛尾治朗氏の文である。
タイトルは、「新世紀の潮流を掴め」というもの。

この中で、かってアメリカ副大統領を務めたアル・ゴア氏が大統領選に出馬した際、選挙参謀を務めた人が提唱した「六つのハイコンセプト」のことを紹介している。
一、相手を説得する論理だけでなく、相手を思いやり、共感することが大事。

二、各論や問題の焦点を追求していくだけでなく、シンフォニー、全体調和を図っていくことが大事。

三、AかBかといった議論よりも、ストーリー、物語生のあるものの方が選ばれるということ。

四、デザイン。

五、真面目さだけではダメで、遊び(心)が必要。

六、情報の積み重ねだけではなく、それをどう意味づけるかが大事。

以上が「六つのハイコンセプト」とのこと。
一読して、日本人の得意とするところが多くある。
このハイコンセプトが「新しい潮流」とすれば、日本が国際社会でリーダーシップを発揮すべきだと思う。

自信と誇りを持つべきだ。


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2012年08月16日

国を護る

昨日は終戦の日。
ニュースを見ていて、いろいろの立場がありいろいろな考えがあるものだと思った。

戦争を美化してはならないが、今日の平和は「尊い犠牲」の上に成り立っていることを忘れてはならない。
明治維新以来、世界各国との交流を通じて近代国家に成長してきた日本だが、あの大東亜戦争の敗戦で「歴史を分断」されてしまったことが悔やまれる。

日本の今日的問題の多くは、「敗戦時」を原因にしていることが少なくないように思う。
最近特に騒がれるようになった領土問題もその一つである。

終戦記念日に改めて思ったことは「国を護る」ということである。

この「国を護る」ということで思い出したことがある。
月刊誌「致知」本年6月号の対談記事である。
このときのタイトルが『護国なくして復興なし』というもの。

書棚にあった6月号をもう一度見てみた。
評論家の黄文雄氏(台湾出身)と、桐蔭横浜大学教授のペマ・ギャルポ氏(チベット出身)の対談だが、二人とも中国との戦いを体験しており、そこから学ぶべき「中国共産党の野望」からいかにして日本を守るべきかを話し合っている。

私が記憶にあったのは「空恐ろしい中国の野望」である。

ペマ氏の著書『最終目標は天皇の処刑ー中国「日本解放工作」の恐るべき全貌』については以前に少し紹介した。
対談記事を読み返してみて感じるのは、(両氏の話が真実とすれば)とても恐ろしいことであり、日本の無防備さに大きな問題を感じます。
ペマ氏のこんな発言があります。
『例えばインドやベトナムなどの陸続きの国は、攻め込まれる前提でそれなりの対応を日本だけが無条件に気を許しています。』
世界の事情を知っている人の発言である。

こういうことに耳を傾け、もっと日本のこと、国土のことを考えなくてはならないと思う。

国あっての家族であり、自分なんだから。


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2012年08月15日

価値判断のために

情報化社会といわれるようになって久しいが、毎日おびただしい情報の中で生活している。
いろいろな情報の中で、何が正しくて正しくないのか。
絶対的な「正解」があればいいが、世の中の事象など、絶対的な正解は「無い」といっていいだろう。

だからこそ、自身の「価値基準」をもたねばならぬと思うが、それがまた難しい。

繰り返されるワイドショーを見ている内に、そこで述べられていることが「正解」と信じ、いつしか自身の価値観が形成されていく。
洗脳とも、集団催眠ともいえそうだ。
とても恐ろしいことだ。

結局は自分で努力をするしかないが、「マスコミ」の無責任さも何とかして欲しいものだ。

こんな思いを持ち続けていたが、昨日の産経新聞で『社説検証』という記事があった。
前々からあったかもしれないが、産経新聞は1週間ほど前から「サービス配達」をしてもらっており読むようになった。

記事は、「広島原爆の日」に関する各紙の社説を比較し、「あるべき論」を述べている。(清湖口敏氏)

産経だけ8日で、他の新聞は6日付である。
・産経(8日)《政治色薄い式典歓迎する》
・朝日(6日)《破滅リスクのない世界へ》
・毎日(6日)《「核との共存」問い直そう》
・読売(6日)《核の脅威阻止へ不断の努力を》
・日経(6日)《日米の連携で核兵器廃絶を》
・東京(6日)《ヒロシマに耳澄まし》

平和記念式典の「平和宣言」や、野田総理大臣の挨拶に注目しながらの各紙の社説である。
各紙の思想や編集方針が「色濃く出ているはず」である。

論点は、「反核」と「脱原発」をどう考えるかである。

朝日、毎日、東京の三紙は《「原爆」と「原発」を結びつけた論を展開》していた。
産経、読売、日経は、これを結びつけず、「反核」「核削減」と「原爆忌」としての意義を述べていたという。

全部を読んだわけではないが、こうして比較してもらうと自身の価値基準の持ち方に参考になる。
いろいろな機会に行なうべきである。
「国民の祝日」などの取り上げ方は、各紙大きく違いが出るのではなかろうか。

私は、記事の最後に書かれていることに賛成である。
《そもそも「原爆の日」は「原爆忌」とも呼ばれるように、忌日としての意味が強いのではなかろうか。産経の主張も「原爆の日は、遺族や国民が犠牲者の霊を静かに弔う鎮魂の日であることを忘れてはならない」と結ばれれていた。

それにもかかわらず、追悼や鎮魂には一切触れないでひたすれ「脱原発」を論じる社説が少なからずあった。

原爆犠牲者の御霊は、これをどのように感じていることだろう。》

この社説比較によって、新聞を色眼鏡で見る必要はない。
ようは、比較しながら「より善い」考え方に近づくことが重要である。


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2012年08月14日

人財塾の概要

以前にも少し紹介したが、瀬戸市倫理法人会の主催で「後継者・幹部候補生」を対象とする研修会を開催する予定である。
倫理法人会は、新年度の始まりが9月であり今月末には来年度の方針や計画を発表されることになっている。

さて、この研修会であるが今回で3回目。
過去2回の内容を振り返り、全く新しい内容で再スタートする。
名称は、今までと同じ『人財塾』である。
一番の違いは、「全てを瀬戸倫理法人会の自前で行なう」ことである。

企画案の作成と、研修会の運営を任されたが、自社内で行なう場合に比べ、何倍も気を使う。
とはいえ、自身の能力以上のことはできず、今持っているものを100%出し切りたいと思っている。

「人財塾」の内容だが、大きく三部構成にしている。
一部・日本型経営の特質を理解する。
二部・地域企業の経営研究。
三部・日本を代表する経営者の人物研究。

「日本型経営の特質」は、日本の商人道(三方善しの経営など)をはじめ、人本主義とか現場主義の真髄を理解し、自身の活動と比べながら実態を再確認する。

「地域企業の研究」は、実際に訪問し、経営の実態について学ぶ。

そして三部の「経営者研究」は、今回の目玉でもある。

経営を推し進める時、いろいろな事例を参考にしたり、新しい経営管理技術を導入したりする。
しかしそれは、余り大きな効果はでず、いつしか忘れ去られることも少なくない。

技術や手段はいつでも導入することができる。
大事なことは、それを使う「考え方」である。
その会社の考え方(価値観)というのは、トップのそれとイコールであり、「企業経営の研究」は、「経営者の研究」であるべきだと思っている。

そういう考えから、この「経営者研究」には力を注ぎたい。
ある決まった答えがあるわけではない。
私ができるのは、「研究のキッカケづくり」である。

この三部は3回に亘って行なう予定で、取り上げる人物は、「渋沢栄一氏」「松下幸之助氏」「稲盛和夫氏」の3人である。

「人財塾」は来年1月から半年間、毎月1回の開催予定だが、研究のための資料集めを始めようと思っている。


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2012年08月13日

起業の促進

経営の第一線から外れてから、まちづくりに対する活動ウエートが高まっている。

「まちづくり」といえば、先ずは人を集め交流を深めることからはじめるのが一般的だ。
「まちづくり」において、イベントは一定の効果はあると思う。
しかし、多くのケースは「イベント開催」の域を出ず、結果マンネリ化し衰退してしまっているように思う。

「まちづくり」を本格的に取り組もうと思い、改めて原点に帰って考えてみた。

今までとは違うアプローチがあるのでは・・・と思った。

行き着いた結論は「仕事を創る」ということである。
そして今、「仕事の創造」とか、「起業の促進」ということを模索中である。

先日(8月6日)の日本経済新聞に、この「起業」に関する記事があった。
『起業「老高若低」に』という見出し。
要するに、起業する人の年代が《シニア(60代)は経験・人脈を生かして1.5倍、20代は減少気味で革新の停滞懸念》というものである。

記事によれば、2011年度の統計で、60代以上の起業が全体の6.6%になり、この比率はリーマンショック前の1.5倍になったという。
これは、企業OBが経験や人脈を生かすという例が多いようだ。

いろいろな理由があるようだが、60歳を向え「65歳までの雇用延長」という道ではなく、起業の道を選択されたのは素晴らしい。
少し大袈裟かもしれないが、生涯をかけた「社会貢献」活動といえよう。

私としては、企業人として50歳以上には、こうした選択肢があっていいのではないかと思っている。

いきなりというのが難しければ、「週末事業」くらいから始めても良いのでは・・・。
ただし、会社の理解が必要(前提)である。

一方で、20代の起業が減少傾向で「深刻」だとしている。
1991年以降で最低(8.2%)とのことである。
若い人の企業が減少しているのは《日本全体のイノベーションが停滞しかねない》、としている。

この指摘も「問題の一つ」ではあろうが、もっと大きな問題は「起業総数が減っている」ことだと思う。

記事では・・・
《総務省によると、日本の会社数は09年7月時点で180.5万社で、同年までの3年間に開業した会社は10.4万社にとどまる。同じ時期に廃業した22.6万社の半数に満たない。》

最近の3年間、1年平均で開業が約3.5万社、廃業が約7.5万社。
毎年、約3万社づつ会社が減っているということであり、それだけ「雇用機会」も減っているということである。
問題であるし、これでは町が元気になるはずがない。

瀬戸市では4〜5年前から「しごと塾」が行なわれている。
起業促進の一策である。

こうしたことに加え、日常の中にビジネスの可能性を探す活動をするべきだと思っている。
それは、「経済性だけの尺度」だけだと見つけにくいが、「社会参画」とか「社会貢献」という視点を加えれば必ず見つかる。

起業の促進は重要な課題だと思う。


posted by 伊藤保徳 at 09:06| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月12日

高校野球に思う

夏の風物詩といえば甲子園、夏の高校野球である。
しかし今年は、ロンドンオリンピックの開催中ということもあり、メディアでの扱いが少ないような気がする。

8月8日中日新聞の夕刊(コラム「紙つぶて」)で、高校野球のことが取り上げてあった。

オークロンマーケティング社のハリー・A・ヒル氏による「高校生の日米比較」の内容だった。

会社も氏の事も全く知らないが、高校生のスポーツに対する取り組み方の違いは興味深いものであった。
氏は、日本の高校野球に好感を持っているようだ。

以下、氏の説明である。
《日本の高校生は、一つのスポーツを通じて強い精神力や協調性を育みます。
米国の高校生は、一つのスポーツを一年中してはいけないと法律で決まっているため、複数のスポーツにチャレンジし、個人を磨くという主体性を育みます。》

「一つのスポーツを一年中してはいけない・・・」という法律があることをはじめて知った。

教育的配慮からかと思うが、とても意外である。

ここからが氏の「言いたいこと」のようだ。
《「和」をもって貴しとなす」というように、日本では伝統的に協調性を重視する国民性があります。高度経済成長の原動力の一つとも言われています。

チームプレーで目標を達成する組織においては、個人の能力だけでなくチームへの強調も求められますが、同時に米国的な考えの主体性を育むことはとても重要で、日本ではまだまだこの部分が足りません。》

高校生のスポーツへの取り組み方を比較し、日本人の「主体性の欠如」を指摘している。

私自身の考えは、「主体性に欠ける」ことは諸外国の人に比べ反論しようとは思わない。
一つの側面であり、その通りだと思うからだ。

しかし、主体性の育み方を「スポーツへの取り組み方の違い」をもって言い切るのは違和感を感じる。

氏がこのように考えるのは、「高校の社会的責任」についての認識の違いにあるようだ。

コラムの最初の方で、『企業に社会的責任があるように、私は、高校にも社会的責任があると思います。それは、学業やスポーツを通じ、強い個人をつくること。将来、強い日本をつくる人材を育成することです。』と述べている。

これは実は「アメリカの価値観」であり、日本とは違うのである。

ただし、真の主体性は重要なことであり、育んでいかねばならないのは当然である。


posted by 伊藤保徳 at 08:49| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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