2012年06月30日

二人の総長

6月26日の日本経済新聞に、皇學館大學の全面広告があった。
紙面は、去る4月29日に行なわれた「皇學館大學 創立130周年・再興50周年」の記念行事で、元首相の安倍晋三氏による記念講演会の要旨が紹介されていた。

演題は「日本の将来 皇學館に望むこと」であったが、安倍氏は、今の日本を憂い「伝統的な日本の精神性を取り戻し、真の独立を・・・」という発言も多く、期待を持って読ませてもらった。

内容は期待通りで、共感できることが随所にあった。

そんな中で、冒頭触れられている「皇學館大學の二人の総長」の紹介は心に残った。

講演の冒頭・・・
《昭和37年い再興された皇學館大學の初代総長は吉田茂元首相でした。そして二代目が私の祖父にあたる岸信介です。この二人はタイプがずいぶん違います。》と、二人の比較をしながらその違いを明らかにしながらも、皇學館大學に対する思いは見事に一致している、ということを語っています。

吉田元首相
《吉田さんはリベラリストで、戦前は軍部ににらまれ、弾圧された人物。
吉田さんはこう書き残しています。「自分自身は戦前、戦争に対し、いわゆる自由主義者などといわれて弾圧を受けたが、私は伊勢神宮、神社に対する尊崇の念においては、人後に落ちないつもりである。

私はまさに日本の祖先に対する思いを次の世代につないでいきたい。受け継いでいかなければならない、との思いで総長を引き受けることにした」と。

さらに「皇學館大學は再興の趣旨は、単に神道の復活だけでなく、国民精神の中心として国の歴史や伝統に対する理解を深めることにある。わが国に必要なものはそこからでてくる」とも書いています。》

岸元首相
《岸は東條内閣の閣僚の一人でした。
岸は「地球の資源は永遠だという考えのもと、他国を征服していこうとの考え方は終わりを告げている。これからは世界全体が互いに協力し合い、分かち合っていくという理念が求められている。

経済成長至上主義は壁にぶち当たった。農耕民族にふさわしい、新たな市場原理、そして経済理論を考えていかなければならない。それは日本のみならず、世界にとっても新しい指針になるはずである。それが二十一世紀ではないか」といっています。》

この二人の総長の考え方に賛同しつつ、安倍氏は「戦後レジューム(体制)からの脱却」を主張している。
つまり「日本国憲法の改正」である。
少し譲って、「改正を含めた憲法論議」を活発化すべきだと述べている。

同感である。

二人の総長の考えをわかりやすく説明し、その上で「今なすべき事」が幾つか述べられていた。

学ぶべき点の多い内容であった。


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2012年06月29日

五つの質問

昨年の10月頃からフェイスブックを始めた。
仕事に関することなら新しく始めることについてあれこれ考えたり、内容を調べたりするがこの種のことは思いつきで始めることが多い。

ブログでもそうだった。

従って、最低限度のこと(投稿すること、返事をすることくらい)しか知らないがそれなりに楽しんでいる。私の「友達」の投稿は「食べものネタ」が圧倒的に多いが、時に驚きの投稿があったりする。

フェイスブック上での「友達」に、元首相の安倍さんご夫妻がいる。
特に昭恵夫人の投稿量はすごい。
その中で昨日次のようなものがあった。

『経営者に贈る5つの質問 P.F.ドラッカー』
1、われわれのミッションは何か?
2、われわれの顧客は誰か?
3、顧客にとっての価値は何か?
4、われわれにとっての成果は何か?
5、われわれの計画は何か?

食事や風景の写真が多い中にあって「・・・5つの質問」というのは目立つ。
しかも、元首相の夫人が書き込まれていることに意味を感じた。
まるで今の日本のリーダーに対する「公開質問」のようだ。

民主党の野田さん、小沢さんそして興石さんへ。あるいは自民党や公明党の党首に対して「あなた方のミッションは?そして顧客は誰?」と訊ねているようだ。

多くの人がそうであるように、「その立場になろうとする時」はその使命や実現すべき成果を明確に述べるものの、一端その立場になるとそうした事が忘れ去られてしまう。(そう見えてしまうものである。)


ドラッカーは「経営者の贈る5つの質問」といっているが、全ての人に当てはめられる問いかけである。
それぞれの立場で、真摯に受け止めたい「問い」である。


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2012年06月28日

そのつど支持

少し前のことであるが、利用したホテルでサービスとして置いてあった新聞が「朝日」であった。

普段読んでいいない新聞をみると、取り上げてある内容も新鮮に感じ、幾つか切り抜いておいた。
昨日、それらを整理していて改めて考えさせられる記事があった。

埼玉大の松本正生教授(政治意識論)の《「そのつど支持」が停滞生む》というもの。(6月8日「私の視点」)
政治の不安定を招いているのは「中高年のその都度支持」ではなかろうか、という内容である。その都度支持というのは昔からあると思うが、若い人の行動特性だと思っていたのでいささか驚いた。

具体的に数字を示している。
2005年の衆議院選挙(郵政選挙)と、09年の衆議院選挙(政権交代選挙)で、民主党に投票した比率の変化を年代別に示している。
・20代・・・14%⇒20%
・30代・・・17%⇒30%

・50代・・・22%⇒42%
・60代・・・21%⇒45%
比べて見て中高年のほうが伸び幅が大きいのである。

また、09年衆議院選挙と民主党が敗北した10年参議院選挙の間では、20代が2ポイントしか落ちていないのに対し、50代は19ポイント、60代は17ポイントも下落している。(データはいずれも共同通信社トレンド調査から)

支持政党がないという無党派層といえば若年層の代名詞であったが、今や中高年層でも半数に達するという。人は年をとるにつれ、社会とのつながりや付き合いを深めて保守化し、政治的な態度も固まっていくとされた。しかし、「無党派であった若者が、年を重ねても無党派」ということだ。

この要因を松本教授は次のように分析している。
《終身雇用と年功序列の崩壊で脱組織化の風潮が強まり、無縁社会化が進んだ90年代以降、様相は一変した。

地域の人間関係は希薄化し、一人一人が社会との接点を持たず原子化した。地方では、家に閉じこもってテレビを見るだけの中高年層が急増したと聞く。中高年層が保守化どころか、メディアを通じた風向きに楽々と影響されるようになったのは無理はない。

政権交代を希求し民主党に投票したのに、1年も経ずに民主党から離反。投票行動は一時の選択として完結し、選挙が短期的イベントとして消費された。衆参のねじれを生じせしめ、政治の停滞を招いた最大の要因は、まさに中高年の揺らぎ、よろめきにある。》(以下略)

中高年の一人として耳の痛い指摘である。

ただ感じるのは、こうした「中高年のその都度支持と政治停滞」の関係において、どちらが原因でどちらが結果なのか「鶏とタマゴ」の論争のようでもある。

いずれにしても自省しなければならないのは「中高年の社会での役割」である。
中高年が若年層より社会的経験が多いのは当然であり、年相応の「生き方、考え方」を持っていないとすれば問題である。

ここにも日本の戦後教育の悪影響が見て取れる。


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2012年06月27日

モーニングセミナー

今朝は瀬戸市倫理法人会のモーニングセミナーがあり、講話は私の担当であった。
モーニングセミナーは毎週1回開催されるが、瀬戸市の場合は水曜日である。

毎月4回開催されるが、その内の1回が私の担当でありもう50回を越えた。

自身、月刊誌「致知」の記事と純粋倫理の実践行動とを結びつけ、行動の意味づけをしようと努力しているところだ。なかなか難しいがやりがいもある。
以前にも書いたが、「致知」を深く読むようになったことや、純粋倫理や倫理経営の実践体験を聞かせてもらいながらその意味を考えるようになった。

深く考えれば本質に近づくのであり、共通的事項は沢山発見できている。

今朝のテーマは『復興への道』であった。
今の時期、「復興」といえばあの東日本大震災からの復興を思い浮かべ、「街の形」ということをイメージするがそうした目に見えるものだけではなく、むしろ「目に見えない人心の復興」のほうが重要であることを述べた。

昨年の大震災は、日本に対し、「今のままではいけない!」という警鐘のような気がしてならない。

つまり、これを機会に根本から、あるいは原点にかえって今のことを見直してみる必要があろう。
1980年代までは、目標とする国や生活があった。そこに向けて懸命に努力すればそれなりの幸福が実現できた。しかしそれ以降、我が国は方向性を見失い夢までなくし、「失われた10年、いや20年」とまで言われてしまっている。

根本を見失っているからである。

我々が勉強している純粋倫理では、自分自身の根本、つまり「根っこ」は両親であることを教えている。これを更に遡ればご先祖さまとなり、その先は日本という国、そして地球となる。
根本中の根本は「大宇宙の根源、太陽」ということになる。

こうした縦系列のつながりをまずはきちんと認識することであり、それに対して感謝をすることである。

こんな内容の話をした。
多くの日本人が、こうした考えや善の行動に徹したならば日本は必ずや復興するだろう。

更に進め、世界各国の先頭に立つ気概を持ちたいものだ。


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2012年06月26日

経営人財塾

瀬戸市倫理法人会では一昨年から会員会社の社員を対象にした研修会を開催している。
毎月1回全6回で、内容は「経営管理知識(技術)」が中心である。

倫理法人会が主催する意図からすれば、知識・技術もさることながら「人間力」を高めることも重要と考え、地元の企業経営者による講話も毎回入れている。
講師(コンサルタント)にも、人間力とか人間学に関わる視点を加味するよう依頼している。

しかし、2回の開催(1月〜6月)を終え、内容について些か不満が出ている。
つまり、「人間力」向上に関わる内容が少ないのである。
地元経営者の講話でいえば、事業体験の話が中心になって当然であるが、講師からの「問い掛け」や「内容の整理」を通じて「経営者の人となり」を理解することは可能なれどそれが出来てないのである。

コンサルタントであり、「管理技術」の指導は全く問題はない。
でも、会員会社からの要望は知識・技術の習得よりも人間的成長なのである。

「人材」を「人財」に、という要望はよくわかるがなかなか難しいものである。
企業内で、トップがその気になって行なわなければ出来ないかもしれないことかもしれない。

ただ、折角倫理を学び、日々の活動の中で「純粋倫理に適う考え方や行動」をしようとしており、何とかしようということになっている。
その企画について今私に投げかけられている。

イメージからすれば「経営を担う人財づくり」というものである。

基本的な構想は固まりつつある。

全体的には「人を資本」と考える日本型経営の本質を理解し、成長し続ける組織の仕組みを考えたい。それをベースに、経営機能の各論にも少し触れた。
一方「人間力」の方は、その人の持っている個性を自身で再認識し、その上で「著名な経営者」の人となりの研究をしたい。

つまり、学ぶ機会や対象を十分提供し、そこで何かに気付いてもらい今後の「学び方」を理解してもらおうと考えている。

10月までには「経営人財塾」の企画書を完成させる予定である。


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2012年06月25日

原点を大切に

昨日、名古屋学院大学大学院で「大学院15周年、通信制10周年」の記念行事があり、1時間ほど話をさせてもらった。とても名誉なことだが、出席者はいずれも高い向学心のある人ばかりなので、いつもより緊張度を高めての講演だった。

講演中で、上海でのエピソードの一つ、「端午の節句」について紹介した。
上海には20日から23日の4日間滞在したが、22日の金曜日が「端午の節句」であった。旧暦の5月5日であった。
この日は家族揃って粽(ちまき)を食べることが風習とのこと。
レストランでも特別メニューで粽を用意しているところがあった。
中国人から『日本では端午の節句と言わず、「こどもの日」なんですよね』、と言われた。

もともと旧暦の5月5日が端午の節句である。
その謂れは、紀元前3世紀、楚の国でのこと。国王の側近に「屈原」という人がいたそうだが、策略により失脚し河に身を投げてしまった。それを悲しみ遺体を魚に食べられないように「餅」を投げ込んだという。

屈原の命日が5月5日、投げ込んだ餅が後に「チマキ」となった。

あるいは、古来中国では5月は物忌みの月ということで、最初の午(うま)の日に厄払い行事を行なった。邪気をはらうということから、よもぎや菖蒲を摘み、家臣に配ったり家にぶら下げたようだ。

などなど、いろいろな説があるようです。

こうした原点(いわれ)があるにもかかわらず、そのことを語ることのできる大人がどんどん少なくなっていることは問題である。
日本でも「端午の節句」という言葉は残っているが一般的には「新暦5月5日はこどもの日」である。さらにいえば、3月に雛祭りに対し「男の子の成長を願う」、というようなニュアンスもある。
最早、原点とはかけ離れた「休日の一つ」というような認識である。

こんな話を紹介しながら、日本の歴史教育に問題があることを指摘した。
真の国際化というのは、「まずは自国の原点、つまり建国の歴史をきちんと理解する」ことが第一歩であろう。

外国から伝えられた風習を、日本化する事はいいと思う。
しかし、その原点を見失ってしまっては「単なるコト」になってしまうのである。
心したいものだ。


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2012年06月24日

中国での人材育成

昨日、中国経営塾の修了について書いた。

昨年10月から毎月1回(一月は除く)開催した経営塾だが、今後の中国事業の中心的役割をになってもらう管理職を対象に行なった。
歴史とか文化・慣習の違いのあることは十分承知の上で、ほぼ日本の経営塾(13年間主宰)と同じ内容で進めた。

河村電器の創業から今日まで、そして中国事業を始めた背景や狙いを基礎に、経営のあるべき姿を説明した。

経営システムの各論(例えば売り方とか物の作り方)などでは「人の慣習」から来る違いはあるものの、本質的なことは日本とほとんど違わないと感じた。
これは少し驚いた。
つまり、日本型経営の根幹をなす「人を資本」とする考え方は当たり前のように受け入れるのである。従って、日本の人事諸制度についてもほとんど違和感が無い。

違うと思われるのは、その運用で「やった人が報われる」「同種業務は同等賃金」の遵守について厳格である。
日本でも当然そうであるが、残念ながら、決めたことが厳格に守られないことが多いのである。この点は学ぶべき点である。

こういう状況であり、「人材の育成」の中で最も重要である「考え方」の部分は日本のそれと全く同じであっていいと思う。
彼らの個人研究で、松下幸之助氏や稲盛和夫氏らの経営思想を理想とする考えなども聞き、『人が資本』は万国共通であることをし認識した。

今日午後から名古屋学院大学大学院の設立15周年の記念行事がある。
その記念講演会で1時間ほど話をする機会を戴いた。
「中国事業での人材育成」をテーマに中国経営塾の様子を話すつもりでいる。

少し飛躍するが、1980年代まで世界でもてはやされた「日本型経営」を復興すべきだと思っている。今更「修身雇用」「年功序列」「企業内組合」を復活させようというのではない。
日本型経営意の本質は「人を大事に、育て活用する」ことなのである。

つまり「人が基本、中心」であり、その育成こそが企業永続発展の礎なのである。


posted by 伊藤保徳 at 08:28| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月23日

修了の目処

先ほど上海から帰宅した。
中国経営塾も計画した8回を終え、あとは塾生の研究成果を発表してもらうだけになった。

最終回は、1日かけて「研究成果の発表」を聞いたが、長時間に及びさすがに疲れた。
何しろ、1グループ1時間ほどの発表と議論である。
本来は、会場で一緒に聞いている塾生からもっと質問や意見を出してほしいと願ったが、数件の質問だけで「議論」まで発展しなかった。

自分たちの発表があるのでそれどころではない、ということだったかもしれない。
それも致し方ない。

報告を聞いて、修了の目処は立ったといえよう。

グループでの研究は、日常の仕事もあり時間的にも大変だったと思う。

ともあれ役員に提言できるだけの内容にはなったと思う。
来月中旬以降に、是非発表機会を設けたいと思っている。


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2012年06月20日

経営塾の最終回

中国経営塾も最終回となった。
昨年10月から毎月1回開催し、4月は日本で見学や交流を行なった。
中国経営塾は私が提案をしたが、一番心配したことは「言葉の壁」であった。

経営管理に関する知識なら適切な言語があるが、「創業の思い」とか「会社の価値観」といったことの表現はなかなか難しい。いわゆる「日本的な表現」だからである。

人(創業者や経営トップ)の思いや考え方は、その根底に「日本人の精神」があり、その共通的な精神文化のうえに成り立っている。
こうしたことがうまく伝えられるかどうかが「経営塾の価値」だと考ええいた。

心配しながらいろいろ準備をしたが、素晴らしい通訳(中国事業部の管理者)の力を得てほぼ思い通りの成果があげられたと思っている。
それは、毎回与えた課題レポートの出来ばえでわかる。

「我社の経営理念」、あるいは「理念浸透の方策」といったテーマに対し、的確な回答があった。日本の同年齢と比較しても優るとも劣らない。
感じたのは、「相手の文化性を認めたうえで、主張に対する賛否を明確に言う」ことで、これはごく当然のことながら、日本人でこれができるのは多くはいないであろう。

国際化が進む中で、日本人がもたねばならない姿勢だと思う。

最終回である明日はグループ研究の成果報告が中心となるが、個人の提言レポートにも注目したい。
事前に提出されており、一通り目を通したが「人材」に関する提言が多い。

企業経営において人材の活用(人的資源管理)問題は、世界共通だと思う。


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2012年06月19日

臨時教員

新聞で「臨時教員が増えている」という文字を見た時、驚きと共にとても暗い気持ちになった。
「そこまで来たか・・・」という感じである。

6月15日の中日新聞。
「ワーク&ライフ」の欄に、驚きの文字が躍っていた。
『40〜50代で「雇い止め」多数』
『不安定さ際立つ臨時教員』
『生活保護に頼るケースも』

冒頭に記事の概要について述べられている。
《公立学校の教壇に立つ教師に変わりはないのに、不安定な非正規雇用を強いられる「臨時教員」が増えている。雇い止めに遭ったり、時給制のため低賃金で、生活保護に頼らざるを得なくなったりするなど、労働条件の悪さが際立つ二人の臨時教員の話を聞いた。》

この説明にあるように、極めて不遇な二人の臨時教員のインタビューで構成されている記事であった。

まず気になるのは、国家存続のための重要な柱である教育が、こんな状況でいいのか、ということである。しかも公立学校の現場である。
この国の価値観は今や経済至上主義になってしまい、「教育」制度の中にコスト意識が色濃く反映している。「非正規雇用」とか「雇い止め」などということは、利益追求を一義とする民間企業でのことで、教育者にはそぐわないものだ。

更にいえば、先生たちの処遇を「労働条件」などというようになってからこの国の教育はおかしくなったといえるのではなかろうか。

「臨時教員」といわれる中でも、常勤・非常勤があり、更にその中でそれぞれ「県費採用」と「市費採用」とに分かれているようだ。
予算の執行を厳しく行なうことは重要なことだ。
しかし、教育・文化のように「目に見えない」ものへの投資は「費用対効果」ではなく、ビジョンや方針に基づくべきである。

教員を「正規・非正規」と区分する。
そして費用負担を「県・市」でも区分することにどんな意味があるだろうか。

そこには、国(人)づくりのビジョンなど、ひとかけらも見えない。
これでいいはずがないと思うのだが・・・。


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2012年06月18日

会社は誰のもの

昨日、トヨタ自動車の株主総会のことを書いた。
1980年代までの総会に比べ、ずいぶん変わり「株主に開かれた総会」になった。

株式会社であり、その所有者たる株主に、経営状況や今後の見通しを説明するのは当然のことであるが、日本では長い間それをしてこなかった。
1980年代までの株主総会は「儀式」のようなもので、いかに短時間で終了するかが会社の総会担当部門の腕だといわれたこともあった。

日本の株式市場に外国資本が入ってくるようになり、日本独特の閉鎖的な株主総会では立ち行かず、徐々に「株主重視」といわれるようになった。
それを、バブル経済の崩壊が後押しをし90年代後半頃から「欧米型の経営」を称賛するようになった。いわゆるコーポレート・ガバナンス問題である。

会社は誰のものか?
ガバナンスのあるべき姿は?
株主総会、取締役会のあり方は?
などなど多くの問題提起がされ議論も盛んになった。

しかし、1990年代以降の日本経済は(一般的には)「浮上することなく、未だ低迷」を続けている。

思えば、あの時の議論は「日本の株式会社はやり方が間違っている」、という自己否定からの議論がスタートしていて、日本の良いところまで捨ててしまったように思う。それが今日の姿を作っているのではなかろうか。

こんなことを思うのは、今朝の日本経済新聞に関係する意見があったからである。
記事は、「池上彰の必修教育講座」という欄で、株式会社を取り上げていた。

冒頭、オリンパスの粉飾会計という事件が何故起きたのか、という視点を明らかにし、株式会社の興り、株式会社という仕組みが果たした資本主義経済の発展などを説明していた。
そして、最後に述べていることが「日本の株式会社」のあり方だと感じたので、原文のまま紹介する。

《資本主義発展の原動力にもなった株式会社ですが、組織を構成する経営陣や社員次第で、暴走したり、犯罪行為に手を染めたりすることになってしまいます。
会社はそこで働く社員のものでもあります。社員の正義感が問われているのです。》

「会社はそこで働く社員のものでもある」
このように考えてきたのが日本の経営姿勢である。

株主重視の経営は、利益(しかも短期の)最優先が最高の価値とされる。
しかし企業経営はそれだけではない。
人材の育成や商品の開発など、長期的で継続的な活動も極めて重要だ。

このバランスをいかにとっていくか。
まさしく、「経営の妙」である。


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2012年06月17日

さすがトヨタ

株主総会の「時期」である。
今月末近くになると、日本経済新聞は各社の決算公告で埋まる。日本独特だと思う。

20年位前までは、6月最後の日には株主総会が集中し、いかに短く総会を終えるかが話題になったこともあるが、今は、株主に開かれた経営を目指す会社も多くなった。
そんな中で、総会での質疑応答まで詳しく報じられた会社がある。
トヨタ自動車である。

円高、製造業の海外シフト、日本のモノづくりの危機など、日本を代表する製造業がどんな方向を目指そうとしているのか、株主でなくても気になるところだ。

6月16日の日本経済新聞。
トヨタ自動車の株主総会は、15日に開催され、前年より856人多い3860人の出席があったという。

株主総会での主な質問と幹部の発言として5項目が紹介してあった。
「輸出比率を競合並みにしてはどうか?」「海外進出で技術流出があるのでは?」「円高が株価に及ぼす影響への対策は?」
これらの質問にそれぞれ異なる幹部が答えているが、恐らく想定内の質問であったであろう。

紹介されている残り二つの質問はユニークだと思った。
Q テレビCMの意図がわかりにくい。
A 豊田章男社長
 日本の再生をトヨタに任せてみたいと、みなさんにそう期待してもらえるような会社でありたいとの思いと、お茶の間で普通に話題になる会社でありたいとの思いを込めた。「東北の皆さんと共に進んでまいりたい」などトヨタの3つの姿勢をCMの柱にしている。

Q 太陽熱エネルギーを利用する発電所を宇宙につくるような壮大な構想を検討してほしい。
A 伊原保守取締役
 低炭素で快適なクルマ社会をつくるため、スマートグリッドに取り組み、太陽光発電や天然ガスを原料にしたコージェネレーションシステムで発電に参入を考えている。宇宙についてはこれからの検討にさせてほしい。

さすがトヨタである。

円高は、製造業にとって厳しい環境ではあるが、日本のリーディングカンパニーとして頑張ってほしい。

エネルギー関連で「スマート・シティ」などの取り組みも知っているが、日本の社会構造の変革にも大きな力を発揮してもらいたいし、期待したい。


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2012年06月16日

夢かぎりなく

先日、瀬戸市倫理法人会で幹部研修会があったが、終了後「国旗、国歌」のことについて話題になった。

学校での国旗掲揚や国歌斉唱について、いまだ賛否の議論がある。
私は全くナンセンスであり、「反対だ!」とか、「個人の自由だ!」といっている人の価値観を疑っている。「宇宙があり、地球があり日本がある」ということ。そして、「先祖、両親があって自分が存在している」ということがきちんと認識できていない、と思っている。

私の見解はともかくとして、「国歌、君が代」について話が出た。
講師が言われるのは・・・
「国歌・君が代がいけないというなら、新しい国歌(歌詞なり曲なり)を提案すべきなんだ。国に国歌は必要なんだから」・・・と。
そして、「私は、『夢かぎりなく』という歌が素晴らしいと思っている。第二の国歌にふさわしいのでは?」と言われた。

『夢かぎりなく』とは、倫理法人会の歌で毎週行なわれる経営者モーニングセミナーで、一番最初に全員で斉唱している。
私は、瀬戸市倫理法人会の創立時からのメンバーであるが、「この歌」をそのように考え、歌詞が「大宇宙の摂理を謳っているという説明をはじめて聞いた。
一番では、宇宙のこと、特に太陽と人との関わり。二番では、わが国日本のこと。そして三番では人としての生き方や根源である両親に対することがうたい込んである。

改めて歌詞を読み返しながら納得した。

・倫理法人会の歌
『夢かぎりなく』 丸山敏秋詞 小野崎孝輔曲
一、今日もみなぎる 光をあびて
  朝の誓いに 燃え立つ勇気
  ああ 太陽と いのち結んで
  夢はひろがる
  われらの世界

ニ、明日の日本を 背負いて進む
  倫理(みち)につながる まことの友よ
  ああ この国の誇りかかげて
  夢をつたえる
  われらのつとめ

三、永久(とわ)の栄を 祈りて歩む
  人のよろこび わがよろこびに
  ああ 父母に涙ささげて
  夢をかなえる
  われらの未来

まさに、夢かぎりなくである。

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2012年06月15日

100周年企業

先週の土曜日(6月9日)、日経の土曜版(NIKKEI PLUS1)の「エコノ探偵団」(欄)で100周年企業のことを取り上げていた。
日本は、世界の中で長寿企業が抜群に多いことで知られている。

本欄で取り上げているのは、今年100周年を迎える企業数が例年に比べて多いが、「それは何故か?」ということだった。
100年前は1912年であるが、起業が多かった理由を次のように説明している。
《1912年は大正元年。明治末期から大正初期は好景気でした。大正デモクラシーの原動力となった自由な気風も相まって、改元が起業ブームを生んだのでしょう。》・・・と。

この大正元年(1912年)起業で、今年100周年を迎える企業がどれくらい多いかといえば、1854社と昨年に比べ2.7倍である。過去5年と比べてみても突出して多い。(「帝国データバンク調べ)

一口に100周年というが、大変な長さである。
企業経営の最大の責任を、「起業したからには絶対つぶさないこと」と答えた経営者を知っているが、創めることよりも継続することの方が格段に難しい。しかもそれを100年も、あるいはそれ以上に継続されていることは、とても素晴らしいことだ。

このことがどれほど大変なことかを示すデータも紹介されていた。
今年100周年を迎える企業というのは、10年前に創業90周年を迎えていた。(当然のことである。)注目したいのはその数である。

今年100周年を迎えた企業は1854社。
10年前、創業90周年だった企業は2573社。

なんと、この10年間で719社(27.9%)が消滅してしまっている。

このデータを見るだけでも100周年の凄さがわかる。

記事では、100年もの長き亘って永続発展をしている「秘訣」を探ろうと、この長寿企業数社に取材をしているが、ごく当たり前の答えばかりだったようだ。

つまりは「本業重視」と「たゆまざる革新」である。
創業の精神、創業者の熱き思いを組織としていかにして持ち続けることができるか。
常に変化する環境に対し、タイムリーに適応しているかどうか。
この二つである。

違う言葉で表現するとすれば、「易・不易」であろう。


世界の中で創業200年以上の企業数も示されていたが、日本が飛びぬけて多い。
1位 日本     3937社
2位 ドイツ    1850社
3位 英国      467社
4位 フランス    376社
5位 オーストリア  302社
(日本経済大学の後藤俊夫教授が集計。2012年1月末時点)

こうした事実をどう考えるか。
国家のありよう、企業経営の真髄、、企業内教育、国民の勤労観・・・などなど。

こうしたことを考えれば、日本が目指すところや道筋が見えてくるように思うが・・・。


posted by 伊藤保徳 at 08:17| Comment(0) | 経営改善 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月14日

大飯原発再稼動

昨年の原発事故以来、エネルギー政策論が盛んである。
それはそれで意味あることだと思うが、夏場の電力需要を前に「大飯原発再稼動」の政府決定に対し、マスコミは「反対の大合唱」である。(そういう印象を受ける。)

マスコミが「殊更に反対している」ように感じるのは私だけでしょうか?
もっと国のこと、国民のこと、そして将来のことを考えたれ「客観的な報道」があっても良さそうな気がする。

6月14日の朝刊(中日新聞)に、「特報」として紙面半分を使い『「大飯再稼動が必要」7人が切る』と題した記事があった。
見出しは大きく「野田演説 矛盾と詭弁」である。

まえがきには・・・
《国会では、13日も大飯原発再稼動についての質疑があったが、野田政権は「馬耳東風」に徹した。政権はひたすら儀式を重ね、再稼動へと突き進んでいる。野田佳彦首相が国民に直接訴えたいと開かれた8日の記者会見。
そこでの演説からは、論理も倫理も欠いた政治が浮き彫りになった。危機の実態を識者の皆さんに「謎解き」してもらった。(上田千秋、小倉貞俊)》

このまえがきだけ読んで、明らかに「意図的」だと感じた。
ということは、識者7人の発言も「意図的に編集されていつのでは?」と思う。

・法政大学教授の田中優子さん
・脱原発デモを催す松本哉さん
・僧侶で作家の玄有宗久さん
・文芸評論家の柄谷行人さん
・神戸女学院大名誉教授の内田樹さん
・作家の宮崎学さん
・作家の高村薫さん

それぞれの立場で「エネルギー問題」や「原発」についての意見をお持ちのようだが、今回の「特報」の中では、意見というより「野田政権」や「野田演説」に対し、茶化しているように思える。

インタビューの中で、同じような発言はあったと思うが、それにしても・・・と思った。

見出しにある「矛盾と詭弁」。
前書きにある、「識者に謎解きを・・・」。

とても気になる内容だ。


posted by 伊藤保徳 at 08:56| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

仕事をする意義

大阪・ミナミであった通り魔事件。

「どうしてこんな世の中になってしまったのか?」多くの人がこう思われたことだろう。

しかし、社会にその責任をなすり付けても何の解決にもならない。
何か具体的に行動できることはないものか、考えてみる必要があると思う。

中日新聞の6月12日の「社説」で、この通り魔事件を取り上げていた。
事件に対する憤りが表れた見出しである。
『みんな耐えているんだ』と。

こんな書き出しである。
《またも「誰でもよかった」である。大阪・ミナミであった通り魔事件。私的な不遇を言い訳にして落ち度のない人の命を奪うとは同情の余地は一切ない。
みんな生きづらくたって耐え忍んでいる。》
怒りのこもった文章である。

さて、記事では14年間連続して3万人を超えた自殺者の高止まりと、通り魔事件の頻発は軌を同じにしているという仮説に基づき、社会問題とし一つの提言をしている。

《無差別凶行はは許されないが、希望を失わせる社会はいけない。自殺対策と同様な視点に立って仕事や住居が不安定だったり、孤立無援だったりする人を支えることが通り魔を防ぐ一助にならないか。

とりわけ刑務所を出てから再び犯罪に走る人の七割は無職とされ、再犯率は仕事のある人の五倍という。国は出所者の社会適応訓練や職業紹介、身元保証などの手立てにもっと注力してほしい。

宮城県や兵庫県のように出所者を雇い入れる協力雇用主を公共事業の入札で優先する取り組みを全国に広げたい。》(後略)

読んで「仕事をすることの意義」を改めて思った。
「生活の糧」を得るという直接的な目的はある。
しかし、それ以上に大きな意義は「社会とのつながりや、人と人とのつながり」を実感するのが「仕事」ではなかろうか。

仕事の厳しさや、報酬の高低など「自身の思い」とのギャップはあるにせよ、「仕事に就いている」という意義は大きい。

宮城県や兵庫県の取り組みもいいが、国内での就労機会を増やす方策が取れないものかと思う。
つまり、国をあげての取り組みとして、@キャリア教育を積極的に行い、日本型の勤労観を復興させる。A労働基準法を見直し、多くの人に就労機会を提供する。
こんなことをしてはどうだろうか。

3・11以来、我が国日本の復興が叫ばれるようになったが、右肩上がりの経済、大量生産大量消費などの昔の社会システムと決別する時期が来ているように思う。


posted by 伊藤保徳 at 09:22| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月12日

ラジオ体操を見直す

現代人は一般的に運動不足といわれている。
高カロリーの食事を取り、運動しないとなればやはり体にはよくない。

それでも若い頃は休日には身体を動かし、それなりのカロリー消費をしていたが50歳くらいを境に運動を殆んどしなくなるようだ。
そこで「何かいい方法は?」ということになる。

日本経済新聞、先週土曜日の「NIKKEI PLUS 1」に《運動不足の解消に、ラジオ体操を見直そう》という記事があった。
運動の最もポピュラーなものが「ラジオ体操」だといっていい。

記事では、気軽に身体を動かすのにまず勧めたいのは「ウオーキング」であるとし、もう一つが「ラジオ体操」だとしている。

《さらに、気軽に体を動かすもうひとつの方法として勧めたいのが「ラジオ体操」だ。
歴史は古く、夏休み早朝の体操会や学校の授業で再々取り組んだ人も少なくないだろう。現在もNHKのラジオ第一放送で毎朝1回、第二放送では日に3回放送がある。(中略)

音楽に合わせ、指導者の指示に従ってラジオ体操に取り組んでみる。初めはそのスピードに戸惑いつつ、しだいにうっすらと汗ばんでくる。

運動の強度にもよるが、ラジオ体操を10分間行なった時に消費されるカロリーは、自身の体重(s)を0.8倍した数値が目安になるとされる。
体操と同じエネルギーを食事でもセーブできれば、減量への近道となるだろう。》(食卓プロデューサー荒巻麻子氏)

職場でも朝礼の前後などにラジオ体操をやっている。
しかし問題は「運動強度」だろう。
指導者の指示通りに、キチンと体操が出来ているかといえばそうとはいえない。
「うっすらとを汗をかく」くらいしっかりとやらないと効果は出ないようだ。

ラジオ体操といえば、『致知』6月号の裏表紙に「かんぽ生命」の広告があるが、この「ラジオ体操」支援をを取り上げた広告であった。
それによれば、昭和3年(1928年)に「国民保健体操制定」があり、以来ラジオ放送をしているとの事。昭和37年(1962年)には、全国ラジオ体操連盟が創設され、1000万人ラジオ体操祭が始まり、昨年は第50回だったそうだ。

運動不足の解消策に加え、早起き、地域連帯の強化の一つとしてラジオ体操をとり上げてみるのもいい。


posted by 伊藤保徳 at 07:38| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月11日

防災学入門

昨日の日曜日、地域活動の一つである「親子農業体験・本地の米づくり」がスタート、まずは田植えを行なった。今年で12回目となるが、例年に比べ参加者が少なめであった。
継続事業だが、内容の見直しが迫られているような気がする。

この事業の今後については改めて考えたいと思っているが、今回の話題は「避難学」についてである。
「親子農業体験事業」の集合場所である「本地会館」で、興味深い資料を見つけた。それが「まんが・避難学入門」である。

20ページの小冊子であるが、「ゴミ箱行き寸前」の様子だったのでもらってきた。

表紙をめくり、最初の見開きページに地震の発生から三日目以降・・・という「地震対人間の時間割り」と題したマンガがある。
これが実にわかりやすい。
市民目線での説明である。

《地震発生》
・激しい揺れ
 【命】を守る! まず身の安全
・揺れがおさまる「阪神大震災で約20秒後、関東大震災で約2分後」
 【家】を守る! 火の始末・初期消火
・外へ出て状況の確認「約15〜20秒後」
 【町】を守る! 近所の人たちと助けあい
・家族・知人の安全確認「約半日〜1日」
 緊急対策
・とりあえずの生活「約半日〜」
 生活を守る とりあえずの衣・食・住
・復興 「三日位から」
 じょじょに復興

そしてこの小冊子の説明がある。
《本書は関東大震災、そして戦災の悲惨さを身をもって体験した籏野次郎(1911〜1997)が一生かけ研究した「避難学」を分かりやすくマンガ化したものです。》

俄然興味が湧いてきた。
次の水曜日に予定している「瀬戸を語る会」のテーマは、「安全・安心社会」でズバリ防災(減災)の内容である。
既にレジュメは用意したが、このマンガ本の内容は是非盛り込もうと考えている。

それにしても凄い社会貢献活動である。


posted by 伊藤保徳 at 07:18| Comment(0) | 社会貢献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月10日

七十ニ候

私の生まれ育った地域は瀬戸市の南部で、いわゆる農村であった。
1970年代の高度成長期には幹線道路を中心に開発が進み、郊外型店舗の出店が相次ぎ、その後方に住宅開発と、みるみるうちに農地が無くなっていった。
とはいえ、まだまだ水田が残っており、今の時期、概ね田植えが終った状態である。

こうした光景はもは広がることはなく、減る一方ということもあり、本地の将来を考える会(地域おこしを計画実践する会)では「自然と触れあえる空間を」と、4〜5百坪の土地を借受け整備を進めて来た。
通称「本地の郷」という。

その場所には湿地もあり、必ずしもいい条件ではなかったが、そこに「半夏生」が自生していた。

整備が進み、一杯の日差しを受けるようになると、その「半夏生」はどんどん増え、今や群生地となった。そこでこの場所を広く知ってもらうためにウォーキングを計画することになった。
とはいえ、「半夏生」に関する知識は乏しく、にわかに勉強することになた。

そもそも「半夏生」というのは植物の名前の前に「七十ニ候」のひとつなのである。
「七十ニ候」とは馴染みが無いが、同じ気候を表す言葉である「二十四の節気」というのは少しは知っている。
「立春」「啓蟄」「夏至」などのことである。

「七十二候」というのは、この二十四節気それぞれの間に三つづつある「気候」のことである。
まずは「二十四の節気」の内、「夏至」というのが今年の場合新暦で6月21日である。その「夏至」から
11日目が「半夏生」で、今年は7月1日ということになる。

「二十四の節気」の中で「夏至」の次に来るのが「小暑」である。
この間に三つの「気候」があるというわけである。
・初候・・・乃東枯る(なつくさかれる)
・次候・・・菖蒲華さく(あやめはなさく)
・末候・・・半夏生ず(はんげしょうず)

こんな説明がある。(『日本の七十二候を楽しむ』文・白井明大、絵・有賀一広、東邦出版)

日本の豊かな自然。
それは四季があるからだといえるが、それを更に細かく「七十四」にまで区分した繊細さによって一層引き立っているといえよう。

大切にしたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 20:27| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月09日

人間の復興こそ

昨日、仙台のホテルで読んだ朝日新聞の記事を紹介した。
「コミュニティーデザイン」という言葉に惹かれたこと、そしてその内容が「人と人とのつながりをつくることこそデザイン」というフレーズにとても興味を覚えた。

ブログを更新してから朝食に出かけ、部屋に戻る時朝刊(朝日新聞)をもらってきた。
朝刊に目を通しながらビックリ、コミュニティーデザイナーの山崎さんの記事があったのである。今回のものはインタビュー記事は「コミュニティー新生」という1ページの特集で、3人のオピニオンが思いを述べていた。

記事を読みながら、どこかで読んだことのある内容だと気がついた。
とっさにはでて来なかったが、仙台からの新幹線の中で思い出した。

月刊誌『致知』6月号にあった。
6月号の特集は「復興への道」で、一見東日本大震災からの復興を取り上げてあるように感じたが、内容は、3.11を機に、日本の復興、日本人の復興という極めて根源的なものであった。

対談記事、インタビュー記事など内容の濃い記事ばかりだったが、その中に山崎さんのインタビュー記事があった。改めて読んでみた。
朝日新聞の記事を二回にわたって読んだこともあり、より理解が深まったといえる。

「致知」のインタビュー記事(『真の復興は、人間の復興にあり』)の冒頭にある一節はとても重要だと思う。
《現在も限界集落や大手百貨店の再生、まちづくりなど二十以上のプロジェクトが動いていますが、その基軸である「人と人との繋がり」が最も大切になるのが、今回の震災のような非常時です。

僕の場合、震災と聞くと十七年前の阪神・淡路をイメージするんですが、当時関西の大学生だった僕は被災直後に神戸市の腕章を巻いて現地を踏査しました。

全壊、半壊、部分壊を判断し、白地図に色を塗るという役目でしたが、担当した地区はもう、見渡す限り全壊。都市計画を学んでいた僕は、近代建築が壊滅状態になたのを見て、これまで一体何をしてきたんだろうと相当落ち込みました。

ただそんな瓦礫の中でも生き残った人たちが励ましあい、新しい生活を模索している姿に出会って、凄く救われた気持ちになったんです。
同時にこの「人の繋がり」を普段からつくっておかないと、事が起きた時にすぐ協力し合える状態は取れないことを痛感しました。
それが今の仕事の原点ですね。》

「人と人との繋がり」
人が社会生活を送る上でもっとも基本的な事だ。
つまり、人は一人では生きては行けない。

こんな当たり前で最も基本的なことを、戦後の教育や政策で大切にしなくなってしまった。
この事を取り戻すことこそ「真の復興」という、山崎さんの考えに強く共感できる。

大災害から学ぶことは多いが、最も重要なのは「人としてのあり方」を原点に戻って見直してみることかもしれない。


posted by 伊藤保徳 at 07:07| Comment(0) | 言葉・文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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